アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

幻の民サンカ 其の22 山窩と犯罪

2015年08月25日 | 近世の歴史の裏側

山窩と犯罪

 大正15年7月30日、池袋の黒川健三方に職人風の覆面男が忍び込み、20円を強奪した。

4年にわたって東京を震撼させた説教強盗の登場である。忍び込んだ家で、縛り上げた家人に戸締まり

しろとか、防犯上の説教をしたことから、当時朝日新聞の記者だった三角寛が「説教強盗」と名づけた。

説教強盗は犯行を重ね、その数は昭和4年には盗みと強姦をあわせて65件に登った。

その鮮やかな手口にキリキリ舞いさせられた捜査陣から「犯人はサンカ」ではないのかと声があがった。

これを聞きつけた三角寛はサンカに興味を持ち、サンカの研究を始める。昭和4年2月24日、説教強盗

妻木松吉は西巣鴨向原の自宅で逮捕された。捕まる時「おさわがせしてすみません」と言った妻木は

サンカではなかった。昔は、事件があると警察はすぐにサンカではないかと疑った。

下谷万年町にサンカが多くいて、潜入している刑事までいたのである。

 サンカは、明治以降、近代に入ってからも戸籍を持たずに山で漂泊の生活を続けていた。

そのため、明治以降、近代に入ってからは警察が、まつわる人々であるサンカを怪しみ、

サンカと犯罪を結びつけ、何かあるとすぐに「犯人はサンカ」ではないかと憶測した。現在もそれは、

続いている。グリコ森永事件の当時、一部で「かい人21面相」=サンカ説がささやかれたのである。

その噂(うわさ)の真偽は確かめようもない。また、何から何までサンカでは困ってしまう。しかし、

噂(うわさ)が出る事自体が、サンカの魅力が今も輝いている証拠なのは確実だ。

                                つづく