山窩(サンカ)名称の由来
サンカは散家、山稼、山家などとも書かれ、民間では箕作り・箕直し・テンバモン・カワラコジキ・
ポン・ノアイ・オゲ・ヤマモンなどと呼んでいた。山窩という名前は、明治維新後に警察によって作られた。
言葉であるといわれる。「山の窩(あな)にひそむ盗賊」くらいの意味であろう。
漂泊民をあたかも犯罪者集団と見た名残がある。三角寛は、ながく山窩と表記してきたが、
サンカには大きく三つの仕事の系列があることから、三家と書くのが適当ではないかと言っている。
ルポライターの朝倉喬司も別の角度から、やはり三つの家で三家ではないかという説を立てている。
四国高松地方で三界に家なき者のことをサンカまたはサンガイというのと同じだとか、ジプシーの故郷と
いわれる西インドのサンガタの住民サンガニに語源を発するとかという説もある。
異端の歴史家矢切止夫は、大和朝廷は海からやって来て平地に棲(す)みつき、原日本人は、
山でサンカとなり、海で海人(アマ)となったとことから。原日本人は山海族であり、
サンカは山海なのだと言っている。
サンカは自分自身を関東ではナデシ、関西ではケンシ、ショケンシ(世間師)、ケンタと呼ぶが、
これは、Gypsyという言葉が外部からの呼称で彼ら自身はRom(人間という意味)と呼んでおり、
Eskimo(生肉を食う人)がInuit(人)の蔑称であることと似ている。
つづく