えーと。
①津野海太郎著「百歳までの読書術」(本の雑誌社)
②小林秀雄「青年と老年」(「考えるヒント」の中の一篇)
③吉田兼好「徒然草」の第155段。
と3冊を引用してみます。
まずは、②からでいいでしょうか。
そのはじまりは、こうでした。
「 『 つまらん 』と言ふのが、亡くなった正宗さんの口癖であった。
『 つまらん、つまらん 』と言いながら、何故、ああ小まめに、
飽きもせず、物を読んだり、物を見に出向いたりするのだろうと
いぶかる人があった。しかし、『 つまらん 』と言うのは
『 面白いものはないか 』と問う事であろう。
正宗さんという人は、死ぬまでさう問ひつづけた人なので、
老いていよいよ『面白いもの』に関してぜいたくになった人なのである。
私など、過去を顧みると、面白い事に関し、ぜいたくを言う必要の
なかった若年期は、夢の間に過ぎ、面白いものを、
苦労して捜し廻らねばならなくなって、
初めて人生が始まったように思うのだが・・・・
・・のみならず、いつの間にか鈍する道をうかうかと歩きながら、
当人は次第に円熟して行くとも思い込む、そんな事にも成りかねない。」
このあとに、小林さんは、徒然草のエピソードをとりあげるのでした。
その徒然草の箇所は、どこだったかなあと、さがせば、ここあたりかな。
「・・生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。
四季は、なお、定まれる序(つい)で有り。死期は、序でを待たず。
死は、前よりしも来たらず、予(かね)て、後ろに迫れり。
人皆、死有る事を知りて、待つ事、しかも急ならざるに、
覚えずして来る。
沖の干潟(ひがた)、遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。 」
( 徒然草第155段。その最後の箇所 )
はい。②と③と続いて、最後に①です。①のあとがきから引用。
「 ・・・・ あるいは、こうもいえる。
ものごころついてからの人生を、10代から30代の青春期、
40代から60代の壮年期、そして70代から90代の老年期と、
30年ずつ、ざっくり三つに割ってしまう。
若いときは未知の未来がたっぷりあるし、意地でも、
じぶんを他人とはちがう存在として考えたい。
それやこれやで気張って人生を細分化してしまいがち。
しかし齢をとって人生を終わりから眺めるようになると、
それが変わる。ここまできたのだもの、もうこのていど
の大ざっぱな分類でいいんじゃないかな。
そう考えておけば『百歳までの読書術』は、
私にとっては『七十歳からの読書術』とほとんどおなじ意味になる。
その最終段階に足を踏み入れ、このさき、
じぶんの読書がどのように終わってゆくのか、
そのおおよそがありありと見えてきた。となれば、
こここそが私の読書史の最前線である。
好奇心をかきたてられずにいるわけがないよ。・・ 」(p269~270)
うん。70歳からの『最終段階』の『最前線』というフレーズを反芻していると、
つい。『 つまらん 』と『 面白いものはないか 』を思い浮かべました。