和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『日露戦史』を編纂した人

2024-03-21 | 安房
日露戦争といえば、「日露戦史」の本のエピソードが思い浮かびます。
司馬遼太郎氏が、その古本を買いに行く場面がありました。

「私は昭和29年に大阪の道頓堀の天牛という古本屋さんから買いました。
 上のほうに『日露戦史』がありまして、あれを買おうと思って行ったら、
 もう、紙屑のような値段でした。考えられない値段でした。

 しかもお店の人が、『 こんな本が欲しいんですか 』と言うのです。

 ・・・・何年もかかって読みましたが、読んでも何のイメージもわかない、
 不思議な戦史でした。立派な本ですよ、造本としては。 」

( p175~176 司馬遼太郎著「『昭和』という国家」NHK出版・1998年 )

このあとのエピソードが、一読忘れがたいのでした。
それは、湯川秀樹さんのお父さん小川琢治(たくじ・1870~1941)が
青島(チンタオ)を訪れたときのことでした。

「・・・青島の守備隊長といえば、まあ、閑職ですね。
 小川博士が青島に行ってその守備隊長に会うと、
 陸軍でもずいぶん優秀な人だと聞いていた人でした。

『 失礼ですが、あなたはどうしてこんな閑職にいるのか 』

 と聞くと、その守備隊長は、

『 私はあの悪名高き『日露戦史』を編纂したからだ 』

 と答えた。編纂しているとですね、将軍たちがやってきて、
 おれのいうことをよく書けとか、
 おれのあのミスを書くなとか、さんざん言ってくる。

 勲章とか、昇給、昇進に関係してくることですから、
 下級の一大佐としては、言うことを聞かないとまずい。
 それで、できるだけ言うことを聞きつつ、正しいことも書こうとした。

 ところがその正しい部分は
 将軍たちがやはり気に入らないこともありまして、
 それで袋叩きにあった。

『 とうとうこんな配所の月をながめておるのです 』

 というようなお話だったそうです。
 いかにも、日本が悪くなろうと、
 坂道を落ちていこうとしている話ですね。
 ころがっていく最初のエピソードとして、
 象徴的だと思います。          」( p176~177 同上 )


私が『安房震災誌』をひらいていると、
文は悲惨なことに事欠かない訳ですが、
どうも何か透き通る明快さを感じます。

それを何と言っていいかわからなかったのですが、
安房郡長・大橋高四郎氏が、震災の翌年に編纂を
白鳥健氏に依頼し後は一切口出しせず、仕事に没頭したことが、
安房震災誌をひらくと、朧げながらも行間から感じられてくる。

そこに点描されている安房郡長のエピソードなどは、
今でこそ、やっと安房郡長の喜怒哀楽が伝わります。
だんだん、こんな引用を書き並べながらの理解です。

 


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