和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

芭蕉直筆?

2011-02-20 | 他生の縁
探し物をしていて、当のものが見つからないのに、それ以前に探していたものが、ひょいと見つかる。このことをセレンディピティと教わったのでした(笑)。
さてっと、新聞の切抜きは、いざ探そうとしても見つからず。たいていは切り抜く自己満足で、時がたてば、捨てたと同然とあいなります。
でもね。それが出てくれば、うれしさ人一倍。
昨夜は、その人一倍をコタツであれこれ味わっておりました。
それは、「芭蕉直筆奥の細道」に関しての記事。

朝日新聞平成8(1996)年12月1日の「ひと」欄に
「奥の細道」自筆本を所蔵していた古書店主・中尾堅一郎氏のインタビュー記事。
朝日新聞の次の日夕刊には「芭蕉『真筆』貫く爽快さ」と題して
上野洋三氏の文。
毎日新聞の同じ日の夕刊には櫻井武次郎氏「出現した『おくの細道』」という文。

私は、この記事を切り抜いて、それから、つぎに出版された
岩波書店「芭蕉自筆奥の細道」(1997年)を購入したのでした。
ちなみに、新刊の値段は3296円。現在、ネットの古本屋で調べると
その半額ぐらいが相場のようです。その本の解説にも
櫻井武次郎・上野洋三のお二人が一人15~19ページをついやして経緯を説明しておりました。

さてっと、学者に対しては、学者同士では、あんまり名指しでの反論はご法度のようなのであります。というのも、谷沢永一氏の言葉に、こんな箇所があるのでした。

「僕の本には、僕の人生のドラマの登場人物が、全部、実名で出てきますが、それは他の人の本にはあんまり見ないことです。それは、軍隊で、『塹壕のなかでのことはいっさい、出てから言うな』というルールがある。同じように、学内のそういうことは、いっさい外に言わない。僕だけが、例外なんです。僕は、いわゆる学者街道から外れて、もの書きになりましたから、そこで自由に書けるわけです。いわゆる学者の世界にずっと僕がおれば、これは書けないですよ。いわんや、自分の学位が却下されたというようなことを書いた人は、明治以来、ひとりもありません。却下された例は、いくらでもあるはずですけれども、しかしそれはもう、絶対に表に出ません。・・・」(「運を引き寄せる十の心得」ベスト新書・p114)

なぜ、谷沢永一かといいますと、
谷沢永一著「完本 巻末御免」(PHP研究所)に
2回にわたって、この「芭蕉の自筆本」についてが取り上げられていたからなのでした。
ちなみに、巻末御免は月刊雑誌Voiceの連載で、その平成9年7月号と8月号につづけて取り上げられていたのでした。

さてっと、どこから引用していきましょう(笑)。
たとえば、谷沢氏のこんな箇所はどうでしょう。

「新出本を新聞が報じるに至る前夜、某紙から感想を求められた私は、全面否定の見解を語ったため、既に自筆本であると謳いあげる方向に走ると決めている編集方針に反するので、私の推論は握り潰された。ただ一紙『日本経済新聞』だけが原信夫による懐疑的論評(コメント)をも掲げた、その慎重な姿勢が記憶に残る。我が国の新聞はどうしてこれ程までに揃って軽率に一方的な速断に走るのであろうか。」(p182)

谷沢氏のコメントが新聞に載れば、新刊など買わなかったのに(プンプン)。
なんとも困った新聞社があるものです。

さてっと、つぎは、どこから引用しましょう。
上野洋三氏の夕刊の文にします。

「・・・筆者はこの一年余、もっぱら筆蹟(ひっせき)判定の上から本点の調査にあたり、最終的に99%の確率で芭蕉の真筆と結論を出した・・・」

途中を端折っていきます。

「とりわけ『芭蕉全図譜』は、作品、書簡、俳書につき、その時点で存在を確認できた476点を収載して、これを年代順に配列したものであり、その成果は、正確に現在の芭蕉研究の状況を示したものであった。・・・・現在、芭蕉の書いた文字を眺めるわたくしたちの眼力は、この数年間の以上のような急激なレベルアップの中にある。以前ならば、誰もが尻ごみして判定の場で口を濁していたようなものでも、ただちに意見が飛び交い、議論が始まり、結論に傾いてゆく。・・・・」

おいおい政治の議論みたいに語っている箇所です。
ここで、芭蕉の書き癖を、上野洋三氏はとりあげていくのですが、
ここで、また谷沢永一氏の文へともどりましょう。

「果せる哉その道の専門家によって、実証的な検討が開始された(『日本古書通信』5月)。口火を切った増田孝は『日本近世書跡成立史の研究』(文献出版)本文六百余頁別冊史料図録百三十余頁の著者である。書の黎明期から幕末維新期に至る書跡の真偽を永年にわたって凝視してきた綿密な吟味の結晶であり、その慎重と控え目な筆致は清爽の気が漲っている。」

「『芭蕉の書き癖』という、本来なら容易に断定できない筈の重要問題が、いとも安直に公理の如く振り廻されてきたが、この粗忽な態度は真贋の見分け方を知らぬ者の一方的な思い込みに過ぎない。そもそも『似せ物』を作ろうとする者が最も意識的に真似ようと努めるのが書き癖であるのだから、偽物は必ず書き癖が酷似する。故にもし芭蕉の書き癖なるものが明確に判明していると仮定しても、癖が同一であるからとて真物でるとは断定できない。鑑定に際しては、他人が真似ることのできる書き癖などという表層的な部分ではなく、書のかたちや線の質や筆脈などが書の上に看てとれる姿、つまり書風こそ吟味の核心となる。増田孝は新出本に用いられている草体の『は』を19箇所にわたって取り出し、比較検討を明示した結果、この本の筆者は自分本来の書を自然に書いているのではなく、何か別の書きものを写そうとしており、それが書体の一貫性を欠いた不安定な運筆の揺れとなって現われている実状を詳しく指摘した。そして権威あるかの如く利用されている『芭蕉全図譜』(岩波書店)は、実はどれが真物か判明しない擬似的な作品の無定見な寄せ蒐めに過ぎぬと見て、編者の無責任を嘆いている。」


ここらで、ちょっと話題をかえます。
谷沢永一著「運を引き寄せる十の心得」(ベスト新書)では、中村幸彦と谷沢永一の関係が丁寧に書かれております。静かな大人という中村幸彦先生についての言及が心に残ります。
さて、また芭蕉の鑑定へともどって、その谷沢氏の文にもちらりと中村幸彦氏が登場しておりました。そこを引用。

「このような真偽の問題を判定する為には、単に俳諧の研究者というだけでは不十分であり、近世の書跡をよほど広く丹念に検討した経験豊富な人でなければならぬ。幸い打ってつけの候補者が少くとも二人いる。そのひとりは、嘗て小高敏郎が、博学宏識一世に鳴る中村博士、と賛嘆した中村幸彦である。もうひとりは、天理図書館の蒐書を司ること多年、真偽の鑑定に精魂を傾けた木村三四吾である。・・・」

「取材に訪れた記者に中村幸彦はこう答えた。いわく、私は芭蕉自筆の真偽を鑑定できるほどエライ学者ではありません。」

ちなみに、中村幸彦(1911~1988)
     谷沢永一(1929~ )
     櫻井武次郎(1939~2007)
     上野洋三(1943~ )


ついでに、中村幸彦氏がこう語ったのなら、
中村幸彦に、天理図書館で研究の際のコメントをいただいたという板坂元氏ならいったいどう語るのだろうと私は思うのでした。
その板坂氏のコメントと思しき箇所がありました。
ありました。

板坂元著「発想の智恵表現の智恵」(PHP研究所)は1998年に出たのでした。岩波書店の「芭蕉自筆奥の細道」は、その一年前の1997年に出ておりました。当然に板坂氏は、この経緯を御存知だったと思われます。
この「発想の智恵表現の智恵」の一番最後の文を引用しておきます。

「私たちが学生のころ、俳諧を勉強していて、芭蕉やら蕪村やらの真蹟というものを調べるとき、先輩から本物ばかりをたくさん見るようにとよくいわれた。芭蕉の書いたと称されるものは、おそらく99%はニセモノだろう。そのニセモノを見慣れるとカンが鈍ってしまう。絶対本物というのを、しょっちゅう見ていると、一目でパッと真偽がわかるようになる。骨董屋さんが小僧さんを訓練するとき、やはり本物ばかり見せて、目を肥えさせる、あれと同じことをやれねば、という注意だった。・・・・
多分に精神主義になるけれど、本物主義というものは、生活感覚として非常に大切なものだし、また、本来人間は、潔癖であるべきなのだ。」(p202)

この言葉で、板坂元氏は新書をしめくくっておられました。
あ。そうそう。 板坂元(1922~ )
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