「アルバム・シベリアの日本人捕虜収容所」(朝日新聞・1990年)。
この古本を200円で購入。帯付でカバーも本文もきれいでした。
本を買ってもしばらくして、これをなぜ買ったのかを
すっかり忘れてしまっている自分に何度もでくわしたことか(笑)。
ここはひとつ備忘録として3冊を並べておきます。
①曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)
②蓮井秀義著「シベリヤの月 わが捕虜記」(かもがわ出版・2014年)
③「アルバム・シベリアの日本人捕虜収容所」(朝日新聞社・1990年)
①にはこうありました。
「・・・神が見えもせず、沈黙している、というところにこそ、
初めて人間が見えざるものへの忠誠を尽くす、
という信仰の証しがなり立つのであって、
神が野球のアンパイヤのように、即刻、
私たちの行為がストライクかボールか、判断する、
ということになったら、人間は
神のご機嫌をとるためだけに行動するようになる。 」
( p33 「心に迫るパウロの言葉」 )
初めて人間が見えざるものへの忠誠を尽くす、
という信仰の証しがなり立つのであって、
神が野球のアンパイヤのように、即刻、
私たちの行為がストライクかボールか、判断する、
ということになったら、人間は
神のご機嫌をとるためだけに行動するようになる。 」
( p33 「心に迫るパウロの言葉」 )
②に、『日本新聞』という箇所(p152~)がありました。
「ハバロフスクで発行される捕虜の教育のための新聞は、ソ連は天国
のように豊かな、世界一文化の進んだ国のように言うが、現実に目に
見るソ連は貧しく文化の遅れた国で、どうしても信用できなかった。
スターリン大元帥閣下への感謝署名運動がおこる。
『 私たちは資本主義の牢獄から解放され、シベリアに来たおかげで、
社会主義者の祖国・労働者の祖国の再建にたずさわることができた。
こんなありがたいことはない。 』というのである。
全員が署名する。署名しない人は反動と見られ転属になる。
捕虜が敵の国の元首に感謝の決議文を掲げた例はあっただろうか。
私は帰還命令が出るごとに感謝文を捧げた。・・・ 」(p152~153)
この前には、蓮井秀義さんの短歌が載っております。
日本はあらゆるものが悪くしてこの国のものはすべてよろしと
新聞でみるこの国の現実は遠い異国の如く違えり
この国の捕虜になったを感謝して決議文だす日本の捕虜
人間はかよわきものよ捕まった捕虜は捕えた国を讃える
このあとに、古本で③を手にしたわけです。
ソ連側から撮った写真に、ソ連側から発行された日本新聞。
収容所で、活字に飢えていた捕虜がその新聞を開いている写真。
そんな中に、ありました『感謝決議文』。写真ですが読めます。
ある決議文のとなりには写真があり、その下にこう説明がつきます。
「 『感謝決議文』朗読。帰国を前にしてソ連政府への『感謝決議』に
拍手する抑留者たち。『感謝決議』は梯団ごとに行われた。 」(p106)
こうして本の引用をところどころ引用していると、
そういえばと思い浮かんでくる本があるのでした。
➃ 『 The Art of Gaman 』
これは、平成24年から25年にかけて日本で開催された展覧会で、
その頃にテレビでも放映されておりましたから、ご存知の方もおられるかと。
すっかり忘れてましたが、私も気になりこの展覧会を観にゆきました。
この本には気になった新聞記事とパンフレットがはさんでありました。
まったく忘れていましたが、記事は朝日新聞2012年11月21日文化欄。
ここには、パンフレットのデルフィン・ヒラスナさんのメッセージの
はじめを引用してみます。
「 私が、第二次世界大戦中に強制収容された日系アメリカ人の
芸術作品に初めて興味を持ったのは、2000年に母親を亡くした後でした。
ある日、両親の収納部屋を物色していた私は、隅の方でほこりをかぶった
木製の宝石箱を見つけました。・・・・
日系二世である私の両親やその友人たちは、第二次世界大戦に12万人もの
日系アメリカ人が強制収容された事実について、あまり語ろうとしません
でした。・・・・皮肉にも、私には強制収容に関する知識がほとんど
ありませんでした。
そこで、本の執筆用に芸術作品を収集するにあたり、
私は収容所や出所後の生活について、作品の所有者の
体験談をじっくりと聞くことにしたのです。・・・・
私の両親は、私が『アート・オブ・ガマン』の執筆を始める前には
亡くなっていたので、残念ながら彼らの体験談を聞くことはできません
でした。しかし強制収容所での体験が、彼らの人柄や親としての姿勢に
深く影響していたということは、確実に感じ取ることができました。
そして、威厳と誇りを捨てず、厳しい時代を生き抜いた両親に対する
尊厳の気持ちが、私の中で更に深まったのです。・・・・ 」
あと、未読ながらドナルド・キーン編(中央公論新社)の
「昨日の戦地から 米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア」も
気になりました。
ここには、アートオブガマン展のメッセージの最後を引用しておわります。
「 『アート・オブ・ガマン』は、第二次世界大戦中に
強制収容された日系アメリカ人が、収容所のガラクタや素材をもとに
作った芸術作品を紹介するだけでなく・・・・
彼らが残したのは、怒りや涙ではなく、豊かな発想と
創造力あふれる精巧な芸術作品だったのです。
現代に残された、唯一の遺産として。 」
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