和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『歎異抄』の月。

2023-10-01 | 古典
せっかくなので、読んだこともなかった歎異抄を
現代語訳で読む。はい。短いし現代語訳ならスラスラ読めそう。

真継信彦現代語訳の歎異抄をめくっていると、
でてきました『月』。

はい。まずは現代語訳で、その箇所

「 私たちは戒律を守れず、経典を理解する力もない。
  しかし弥陀の願いの船に乗って生死(しょうじ)の苦海をわたり、

  報土の岸につけば煩悩の黒雲はすみやかに晴れ、
  法性(ほっしょう)のさとりの月がたちまちあらわれて、

 十方を照らしつくす無礙(むげ)の光明と一つになり、
 一切の衆生を利益(りやく)できるようになる。
 そうなってこそさとりと言えよう。   」
  ( p24 「親鸞全集5 真継伸彦現代語訳」法蔵館・昭和57年)


はい。現代語訳でやっと読んだ『歎異抄』。
それではこの引用した箇所の原文はどうなっているのか。
岩波文庫をひらいてみることに

「 いかにいはんや、戒行慧解(かいぎょうえげ)ともになしといへども、
  弥陀の願船に乗じて生死の苦海をわたり、
  
  報土のきしにつきぬるものならば、煩悩の黒雲はやくはれ、
  法性(ほつしやう)の覚月(かくげつ)すみやかにあらはれて、

  尽(じん)十方の無礙(むげ)の光明に一味にして、
  一切の衆生を利益せんときにこそ、さとりにてはさふらへ。 」

       ( p75 「歎異抄」金子大栄校注・ワイド版岩波文庫  )

  

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