和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

徒然草の第39段

2023-10-21 | 古典
徒然草は、ちくま学芸文庫の島内裕子訳・校訂「徒然草」(2010年)を
パラパラと現代語訳を通読したくらいのものでした。
それもすっかり忘れてしまっていて、
どなたかが、徒然草の一節を引用してくださっていたりすると、
あれ、そんなのあったけかなあ、ともう一度めくりなおしてみたりします。

それでも、何だか気になっているせいか、本の題名に徒然草とあると、
それが古本でしたら、つい買ってしまうことがあります。
最近は、生形貴重著「利休の逸話と徒然草」(河原書店・平成13年)
というのがあり、買いました。はい。読みましたと言わないのがミソ。

親鸞の「歎異抄」がらみで、読み直した徒然草の第39段が、
にわかに興味をひき、あらためてそこだけに注目してみたら、

島内裕子著「兼好 露もわが身も置きどころなし」(ミネルヴァ書房・2005年)
が興味をひきました。
島内さんは、その前の第38段からのつながりを重視しております。
ここには、島内さんが説明している第38段を紹介することに。

「第38段には、兼好の精神の危機がはっきりと表れている。
 ・・・書物からの知識の限界性が露呈し、人生いかに生きるべきか
 がわからなくなってしまった八方ふさがりの状況に彼は立たされて
 いるのである。」

このあとに、島内さんはこう指摘されておりました。

「徒然草の冒頭部から窺われる兼好は、
 この世の理想と現実の越えがたいギャップに悩み、
 自分自身の置かれた貴族社会での位置付けに息苦しさを感じる
 一人の孤独な青年である。その苦悩が書物の中に理想を見出し、
 すぐれた表現力を獲得させるという成果を兼好にもたらした。

 ところがその成果が、今度は限りなく彼の精神の呪縛となってくるのである。
 そのことに、まだ本人は気づいていない。
 その顚倒したありさまを描き出しているのが、第38段である。」(p192)

うん。もうすこし、島内さんの語る第38段を聞いていたくなります。

「第38段は一読すると格調高い文体なので、自信をもって兼好が
 世俗の人々に教訓を垂れているような印象を受けるかも知れない。

 だがこれを書いた時の兼好は、そのような余裕のある精神状況ではない。
 それどころか、いったい何を人生の目標とすべきかわからなくなって、 
『 精神の袋小路 』に陥っているのだ。

 世間の人々が現実社会の中で求める目標や価値観は、
 兼好が身に付けている広く深い知識と教養によって、
 やすやすと否定されてしまう。しかしすべてを否定し去った後に、

 兼好が踏み出すべき第一歩は、いったいどこに存在するのか。
 しかも『 伝へて聞き、学びて知るのは、まことの智にあらず 』
 とはっきり書いているにもかかわらず、
 ここで兼好が世間の価値観を否定する根拠とした言葉は、
 すべて兼好が文字通り『伝へて聞き、学びて知』った言葉や思想ではないか。
 これが矛盾でなくて何であろう。・・・・

 兼好が身に付けてきた書物からの知識と教養は、
 遂にこのような荒涼たる精神の荒野に彼を連れてきてしまった。・・

 徒然草をここで擱筆(かくひつ)してもおかしくないほど、
 兼好は断崖絶壁に立たされている。 」(p196~197)

この後に法然上人が登場する第39段がひかえておりました。
島内さんはつづけます。

「結果的には、ここで徒然草が中断することはなかった。
 徒然草は荒野ではなく、その後の日本文学の肥沃な土壌として、
 生き生きと蘇った。
 
 第39段以後の徒然草が書かれたことによって、
 どれほど豊饒な文学風景が私たちの目の前に広がったことだろう。」(~p198)

はい。その蘇りの地点に、法然の登場する第39段が位置していたのでした。

島内さんは、第38段をこうして説明したあとに、
その割には、サラリと第39段を通り過ぎてゆきます。

はい。次回は、別の方の説明を聞くことにします。


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