和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『舞姫』の文体。

2008-04-12 | Weblog
窪田空穂全集11巻の「現代文の鑑賞と批評」について。

ここに、森鴎外の「舞姫」が登場しております。そこでの空穂氏の文章。

「『舞姫』以前の小説は、小説にのみ限られた特殊な文体をもつて書かれてゐた。これは江戸時代からの伝統である。江戸時代の作者は、啓蒙の心をもつて、無智な婦人童子(をんなわらべ)に読ませようとして文を行(や)つてゐた。みづから戯作といつてゐた。小説の文体はかうした心から生まれ出たもので、作者によつて相違はあるが、一つの限られた範囲のなかにおける相違で、全体として見ると、小説の文章といふ特殊なものであつた。そして小説の文章といへば何うでもさうしたものでなくてはならないと、作者も読者もきめ切つてゐた。劃時代的の小説である坪内逍遥氏の『当世書生気質』も、たしか『春のやおぼろ戯著』としてあつたと覚えてゐる。二葉亭四迷の『浮雲』にしても、作の態度は、あれほどの真摯なものであるが、文章はそれに一致するほどの真摯なものだとはいへない。読者を唆らうとして、つとめて軽く書いてゐることが明らかに見える。・・・」
こうして舞姫について語るのです。
「『舞姫』の文章が、当時の読者にいかなる感じを与へたかは分らない。しかし小説の文章は、次第に小説離れをして、現在では、一般の文章の先駆となり、模範となつてゐるかの観がある。そしてこの最初のものは『舞姫』の文章である。即ち鴎外の信念が行はれたものである。まことに『舞姫』の文章は意味深いものといはざるを得ない。」

こうして、いろいろな角度から長所を指摘してあるのでした。
「欧州の小説に影響をうけて、人間を写実的に描き出そうとするに当つて、参考として我が国の文章を見た時、鴎外には、平安朝の文章が最も正しいものと思はれたのであらう。平安朝の仮名文は、我が国の文章のうち、最も純粋なものである。漢文の影響の少いものである。大体は、口語的発想に従つたものである。言ひかへれば、我が国のさまざまな文体のうち、最も欧文脈に近いものである。加ふるに、平安朝の仮名文は、作者も読者も貴族であつたが為に、おのづから気品を持つてゐる。鴎外が、自身の文体の基本として平安朝の仮名文を捉へたのは、好尚にひかれたところもあつたらうが、理としても当然のことといはなければならない。
『舞姫』の文章は、しかし平安朝の文章を踏襲したものではない。平安朝の文章は概して女流の文章である。婉曲を思ふところから来る廻りくどさがある。調子の低さがある。鴎外は、その日記を漢文で認めてゐたといふ程漢文の造詣が深い。漢文の特色である簡潔は十分に取り入れられてゐる。又、欧文の造詣はいふまでもない。その特色である自然をも取り入れられてゐる。当時の標語であつた和漢洋の調和といふことが微妙にもなされて、一家の文章となつてゐる。しかしその基本となつてゐるものは平安朝の文章で、その為に、この類のない醇正を持ちえたものと思はれる。・・・」(p432)

ここでは、もうちょいと、丁寧に引用しておきましょう。

「『舞姫』の魅力は、その言葉を惜しんでゐるところにある。短い描写によつて、その人を髣髴させてゐるところにある。この事は、文章を書くほどの人の誰しもが願つて、殆ど全部が遂げ難くしてゐる事である。困難な事だからである。言葉を惜しむといふことは、それをしても意は達しられるといふ確信がなくては出来ないことである。第一には、無駄がないといふことであるが、これは描かんとする事象に対して観照が行き届き、中心を的確に捉へなければそうはならない。即ち頭脳の明晰がいる。第二には、部分を具象することによつて全体を髣髴させる事であるが、そうした有機的の具象化をするには、感覚に鋭敏がいる。この芸術家としての頭脳の明晰と、感覚の鋭敏との二つが一つになつて、初めて惜しまうとする言葉が惜しめるのである。『舞姫』にはそれがある。そしてそれが魅力となつてゐる。この事は、書き出しの数行を見ても分る。」(p434)
こうして舞姫の文章を引用しているのですが、そこはカット。
最後にこう書かれておりました。
「見て来ると、『舞姫』の表現の魅力は、簡潔と含蓄にあるといつたが、対照、照応など、漢文の作法が、少からず応用されてゐるのには心づく。そしてそれと此れとは、離し難い関係を持つてゐることをも思はせられる。当時の標語であつた和漢洋の調和、これが微妙にもされてゐるのが、この『舞姫』の文章ではないかといふことが、繰返し思はせられる。」(p439)

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