和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

安房郡の震後の復興

2024-06-10 | 安房
「 震後の復興は官民の双肩にかかる大なる事業である。
  眼前の応急対策を講ずると共に、
  亘久の復興を策せねばならない。

  それには有力なる郡全体を一つにした
  大団体を起す必要がある。殊に当時にあっては、

  県と安房郡震災地との意思の疎通融合を図る上に於ても、
  斯うした官民一致の団体は欠くべからざるの必要があった。

  先づ郡長大橋氏は此處に着眼して
  之れを郡内の重もなる有志に謀った。
  すると有志も亦た之を郡長と相謀り互に議を重ねて、
  次に掲ぐる『 設立趣旨 』によって、
  先づ9月21日にその発起人会を・・開催した。 」

 このあとに、『 安房郡震災復興会設立趣旨 』が載っております。

 ここには、趣旨書前半をカットして、後半以下を引用してゆきます。

『 ・・・・雖然非常なる時に際し単に
  官憲の力にのみ倚頼し拱手傍観するは

  本郡の為め甚だ憂慮に堪へざる所なり
  宜しく此際官民戮力以て本郡の復興を図り

  将来郡民生活の基礎を培ふは目下焦眉の急務にして
  亦以て郡民の一大義務たらずんばあらず

  若し夫れ一時を糊塗し他日噬臍の悔を招き徒に
  無辜の民をして路傍に泣號せしむることあらんか
  本郡の不幸之より大なるはなし茲に於てか

  吾人等捐埃の至誠を捧げ安房郡震災復興会を設立し
  郡民の嚮ふ所を定め官憲の莫大なる援助と
  郡民諸士の熱烈なる翼賛とを得て其の目的の貫徹を力め
  本郡永遠の利益を樹立せんとする所以なり

 此の日の出席者は

  萬里小路通房 檜垣直右 大橋高四郎 小原金治 吉田敬三
  長谷川三郎  川名博夫 島田栄治  笹子慶太 武津為世

 の諸氏であった。
 それから9月27日、郡長大橋氏は
 被害激甚地の町村長を招集して、各町村復興会から代表者1名ずつ、
 安房郡復興会の会員として選定すべき事を議定した。
 そして、29日に安房郡震災復興会の総会を・・開会した。 

 開会に先て郡長大橋氏は、座長に小原金治氏を推挙せんことを諮った。
 満場異議なく之に決した。座長小原氏は、会則を議せんことを提議した。
 すると満場一致で原案を可決した。
 会長、副会長その他の役員は郡長大橋氏の推挙に一任するに決し・・

 ・・・・・

 斯うした順序で、安房震災復興会は、その目的とする
 復興の為めの根本組織が出来上ったのである。

 そして小原金治、門郡書記、光田鹿太郎の3氏は、
 先づ住宅用亜鉛板購入に関して、県に出頭して、
 知事に交渉するところがあった。その結果、

 県は農工銀行、川崎銀行の両行から、低利で
 金15萬円を安房銀行に貸出し、安房銀行は同一利率で
 郡長指揮の団体に之を貸付け、住宅復興の資に供することとした。
 ・・・・・        」
               ( p326~330 「安房震災誌」 )

もどって、日付を確認してゆくと、
光田鹿太郎氏が、『トタン』等を懇願しに大阪へと出発したのが
9月11日で、その物資をのせて館山湾に入港したのが9月28日でした。
この光田鹿太郎氏の記述の箇所をもう一度ふりかえってみます。

「斯くて第1回の屋根材料は、陸揚と同時に直ちに配給したのであるが、
 町村長会議を招集して、各町村の所要を聞くに、『トタン』板30余萬枚
 及び釘、鎹等之れに付属する物料を要すとのことであった。

 ところが、第2回目には、現金がなければ此等の諸材料を
 取寄せることが出来ないのであった。然るに素より斯うした
 大枚の金が郡当局の手にあるべき筈もないので、
 県の保証を得て、一時の窮状を救ふの外なかった。

 そこで、安房銀行頭取小原金次氏に謀り、
( ちなみに、「安房震災誌」のp269には名前が『 金次 』とあり、
  p328等には、小原『 金治 』とあります。次は治の誤植みたいです )

 光田鹿太郎氏と同行上県して知事に懇請することにした。
 そして門郡書記を同行せしめた。ところが、知事は
 
 本件については一切責任を負ふこと能わずとて、
 その懇請するところを容れなかった。
 然し安房銀行にして責任を負ふならば、
 農工銀行、川崎銀行の2行より金15萬円貸出の
 斡旋をすることだけは辞せぬ。といふことであった。

 そこで、小原氏は直ちに2銀行の代表者に会見し・・・・  」

               ( ~p269 「安房震災誌」 )

このあとに、「安房震災誌」の編者である白鳥健氏は
こうまとめておりました。あらためて引用しておきます。

「 要するに小屋掛材料の配給は、可なり複雑な経緯の下に・・・
  配給し得たのは郡長が英断の結果である。

  勿論その英断は、県から見れば独断専行であるが、
  それは常規から見た場合のことで、地震が描いた
  事実必然の要求は、実際常規で律することが不可能であった。

  今回の地震は詔書のいはゆる『 前古無比 』である。
  眼前に起った必然の要求は何よりも強力であった。  」(p270)



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