和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ソネット。

2010-09-11 | 詩歌
シェイクスピアのソネット。
ということで、思い浮かぶのは、

   中西信太郎著「シェイクスピアソネット集 完訳 」(英宝社)
   吉田健一集成別巻(新潮社)にある十四行詩抄。
   小田島雄志著「シェイクスピアのソネット」(文芸春秋社)
   柴田稔彦編「対訳シェイクスピア詩集」(岩波文庫)

私が好きなのは中西信太郎氏の訳。
さてっと、吉田健一集成1(新潮社)にある「シェイクスピア」には、
ちゃんと、「十四行詩」という項目がありました。そこにこうある。

「シェイクスピアは劇作家である前に、先づ詩人だつた。これは殆ど自明のことであつて、詩人の眼が彼に人間の生活、或は性格の急所を摑ませたのであり、それを一篇の劇に仕組むことに彼は年とともに、又、作品とともに巧みになつて行つた。そしてその手腕に掛けては、彼は後年、初期の作品では想像を許さない程の熟練を示したが、さういふ初期や中期の作品で何よりも当時の観衆を沸き立たせたのは、必要に応じて豊麗な言葉を際限なく織り出して見せる彼の詩人としての才能だつた。・・・・」


そういえば、福原麟太郎著「シェイクスピア講演」(講談社学術文庫)でも、劇作品は項目となっておりますが、十四行詩をひとつの項目として打ち出してはおりませんでした。
それだけでも、吉田健一の独得な視点が伝わってきます。
せっかくですから、吉田健一が「ロメオとジュリエット」を語った最後を引用しておきます。


「これ故に死は、一つの魅力でもあつた。烈しい時代に生きてゐることが、いつ死ぬか解らないことを感じさせるだけでなくて、烈しく生きてゐることそのものが、人々に死に就て考へさせた。そして実際に又、死ぬ時に慌てない用意をして置く心掛けが必要でもあつたので、その両方の意味から、エリザベス時代にはストア派のセネカの作品が広く読まれたのである。又そのやうに、恋愛と人生の青春に陶酔しながら、常に死を思つてゐる、この時代そのものの若々しい性格が、表現は凝つてゐても、或る意味では生のままで捉へられてゐる所に、この『ロメオとジュリエツト』といふ作品自体の特色が出てゐるとも考へられるのである。」


うん。この本、また機会があったら読み直したくなる一冊。
ありがたい。山本善行さんの推薦本として読んだのでした。

9月11日だというのに、
今日も暑かったですね。Tシャツを何回か取り替えました。
せっかくですから、シェイクスピアの十四行詩を引用しておきましょう。

   第18番    中西信太郎訳

君を 夏の日にたとえようか
君は もっと美しく もっとおだやかだ
あらしが 五月のかわいい蕾を散らし
夏の季節は あまりにも短いではないか

ときには 太陽の光は 暑く照りすぎる
ときには 輝く黄金の顔に 雲がかかる
こうして 自然のなりゆきや 時のはずみで
すべての美は いつかその美をそこなっていく

けれども 君の常夏の日は 色あせる時がなく
君に宿る美は 君から離れることがなく
君が冥府(よみ)の闇路をたどると 「死」に言わせることもない
この永遠の詩のなかで 君が「時」と合体するときには

ひとが生きるかぎり 眼が見えるかぎり 長く
この詩は生きて 君にいのちを与えるのだ
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