和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

片田舎の森の小さな社(やしろ)。

2021-12-15 | 地域
平川祐弘・牧野陽子著
「神道とは何か 小泉八雲のみた神の国、日本」(錦正社)。
ここから、牧野陽子さんの文を一部紹介することに。

小泉八雲の文を引用しております。

「『人工的な彩色は一切施されていない。
  檜の白木は、雨と陽にさらされ、自然の灰色になる。
  表面がどれだけ外気にさらされたかによって、
  樺(かば)の木の樹皮のような銀色から玄武岩の暗灰色
  にいたるまでの変化をみせる。そのような形と色だから、
  田舎にぽつんと孤立した社(やしろ)は、
  建具師の拵(こしら)えたものというより、
  風景の一部のように見える。岩や木と同じくらい
  自然と結びついた田舎の姿という感じがする。
  この国の古の神である大地神(おおつちのかみ)の顕示  
  として存在するにいたった何かであるように思えるのである。』」

こう引用したあとに、牧野さんが語ります。

「『彩色されない』白木も、その前段の建築様式の描写をみた後では、
技術がないために彩色されないわけではなく、
意図的に選び取られた技法なのだとわかります。

そして『雨』や『陽』にさらされた結果、
木々や岩と同じように景色のなかに溶け込んでいる。

その様はまるで大地の神の顕現のようだとハーンは言います。
長い年月にわたって建物の形の人為性がそぎおとされていき、
やがて神社そのものが自然と一体化したのだ、と。

 ・・・・・・・・・
先にみた、神社の参道にも共通する動きのパターンで、
いわばここにハーンの捉えた神道の要となる大切な考え方を
みてとることができるかもしれません。

そして、ハーンがここで『典型的な神社』としているのは、
『田舎にぽつんとある素朴な神社』です。
伊勢神宮でも出雲大社でもなく、
名所旧跡の立派で堂々たる建物でもない。
全国に無数にある片田舎の名もなき小さな森の御社こそ、
神道の本質を体現しているとハーンは考えました。」
  (p100~101)

はい。『先にみた、神社の参道・・』という箇所が、
ちょっと、気になりますよね。牧野さんのハーンからの
引用をさらにしてみます。

「『数ある日本独特の美しいものの中でも最も美しいのは、 
  参拝のための聖なる高い場所に近づいて行く道である。
  ・・・・・
  登りは、石畳の緩やかな坂道とともに始まる。
  両側には巨木が聳えている。
  一定の間隔をおいて石の魔物が道を守っている。
  ・・・・・
  どこまでも緑陰のなかを上っていく。・・・
  登りつめると、ついに灰色の鳥居の向こうに
  めざすものが現われる。
  小さな、中は空ろの白木造りの社、神道のお宮である。
  ・・・・・」(p94~95)


はい。このハーンの引用のあとに、
ここでも、牧野さんの説明がある。
ですけれども、私の引用はここまで。




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