河野裕子エッセイ・コレクション「桜花の記憶」(中央公論新社)。
その「あとがき」を河野裕子さんの長女・永田紅さんが書いておりました。
その「あとがき」のはじまりを引用。
「ものごころついたころから、
家族が食事をするテーブルが、母の仕事机でもあった。
十回以上ひっこしをしていろいろな家に住んだが、
食事はいつも、歌集や手紙の束や原稿用紙やゲラが
雑然と載っていて、鉛筆や消しゴムがころがっていた。
台所に一番近い席が母の場所で、
エプロンや割烹着をつけて煮炊きをしながら、
あるいは後片付けのすんだ深夜にものを書いているのが、
仕事をしている母の姿だった。
食事のときには、『机のうえ片付けて』と言われて、
コクヨの緑の原稿用紙や鉛筆削りを
テーブルの端のほうへ寄せて場所を作り、
消しゴムのかすをはらう。
アネモネやナデシコやエノコログサなど、
母はちょっとした庭の草花をコップに挿して
飾るのも好きだったから、
ごちゃごちゃとはしているけれど
食卓の上はいつも活気のある場所だった。」
うん。河野裕子さんの歌集はもっておりませんが、
この本は、買ってみました。
とりあえず、本文未読のままに、
あとがきを引用させてもらいました(笑)。
その「あとがき」を河野裕子さんの長女・永田紅さんが書いておりました。
その「あとがき」のはじまりを引用。
「ものごころついたころから、
家族が食事をするテーブルが、母の仕事机でもあった。
十回以上ひっこしをしていろいろな家に住んだが、
食事はいつも、歌集や手紙の束や原稿用紙やゲラが
雑然と載っていて、鉛筆や消しゴムがころがっていた。
台所に一番近い席が母の場所で、
エプロンや割烹着をつけて煮炊きをしながら、
あるいは後片付けのすんだ深夜にものを書いているのが、
仕事をしている母の姿だった。
食事のときには、『机のうえ片付けて』と言われて、
コクヨの緑の原稿用紙や鉛筆削りを
テーブルの端のほうへ寄せて場所を作り、
消しゴムのかすをはらう。
アネモネやナデシコやエノコログサなど、
母はちょっとした庭の草花をコップに挿して
飾るのも好きだったから、
ごちゃごちゃとはしているけれど
食卓の上はいつも活気のある場所だった。」
うん。河野裕子さんの歌集はもっておりませんが、
この本は、買ってみました。
とりあえず、本文未読のままに、
あとがきを引用させてもらいました(笑)。
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