和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

災間(災い災いの間)を生きている。

2022-01-20 | 地震
本棚から、中西進・磯田道史対談
「災害と生きる日本人」(潮新書・2019年)を取り出す。

中西進さんが語っておりました。
「私たちは『東日本大震災後』を生きているのではなく、
『災間』(災いと災いの間)を生きているのです。」(p14)

その前の対談のはじまりには、こうあります。

中西】 磯田さんはかつて茨城大学に勤めていらっしゃいましたが、
東日本大震災の翌2012年、浜松の静岡文化芸術大学に転勤しています。
勤め先を変えたのは、ひょっとして南海トラフ地震や東日本大震災と
関係していますか。

磯田】 東日本大震災が起きたあと、
『年をとってから防災に関する歴史の本を書いても、
 そのときは間に合わないのではないか』と、
はたと気づきました。

南海トラフが次に動いて巨大地震が起きたとき、
想定される死者数が一番多いとされるのが浜松です。
そこで家族揃って浜松に移住し、古文書を探して4年間、
現地を歩き回りました。(p12~13)


はい。このようにしてはじまる新書なのでした。
イケナイイケナイ。すっかり忘れておりました。
忘れても、すぐ手に取れるように身近な本棚へ。

ちなみに、磯田氏は
「4年間の浜松での学究生活を終え、
 僕は2016年に京都に引っ越してきました。」(p25)

ついでに、こんな箇所も引用しておきます。

磯田】 中西先生や私だけでなく、
日文研(国際日本文化研究センター)という梁山泊のような
場所で学問に打ちこむ研究者の生態は、一般にはなかなかうまく
理解されにくいかもしれません。

知的な営みは、遊びに似ています。
働きながら遊び、遊びながら働く。
こうして僕たち研究者は、
一冊の新しい本を紡ぎ上げるのです。(p136)

はい。引用はここまでにして、
何やら、地震と遊びとが切実に広がりをもって迫ってくる。
それだけでは、終わらせない対談の面白さを堪能できます。
検索すると、新しい本でも、古本でも買えるようです。
何よりも、たのしく分かりやすく読める対談新書です。


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2 コメント

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こんばんは(^^♪ (のり)
2022-01-20 17:50:15
磯田先生は4年間の浜松での学究生活の中で、南海トラフを想定しての防災の本を書き上げられたのでしょうか・・・
「それは、新書を読めば分かる」・・・などと意地悪は仰らないでください(^_-)
返信する
それは、新書。 (和田浦海岸)
2022-01-21 09:00:28
おはようございます。のりさん。

磯田道史に関するご質問
ありがとうございます。
え~と。ですね。
ネットで磯田さんの本検索を
するすぐにわかると思うのですが、
新書や文庫が中心になっております。
はい。かくいう私も本箱を見ますと、
磯田さんの箇所は新書と文庫と2冊の単行本。
ですから、『それは、新書を読めばわかる』
という鋭いご質問が、そのままに答えに
なっております。
え~と。ご質問の防災の本としては、
磯田道史著「天災から日本史を読みなおす」
(中公新書・2014年)があります。
もう、お持ちかもしれませんね。

さっそく、その新書を取り出してくると、
新聞の切り抜きを挟んでありました。
読売新聞(2015年6月30日)の『顔』欄に
この新書が日本エッセイスト・クラブ賞に
輝いたとあり、その紹介文に、こんな箇所が
ありました。

「東日本大震災をきっかけに生まれた一冊
でもある。家中の本棚から落ちた書物の中に、
母から紹介された津波の歴史の本を見つけた。

当時は茨城大准教授。将来やろうと
思っていた防災史の研究を
『今すぐしなければ』と思ったという。

災害の『現場』を求めて2012年、
過去600年間に3度の大津波に襲われた
浜松市へ移り住み、静岡文化芸術大の
准教授に。14年に教授となり、
受賞作を著した。・・・・」

うん。ちなみに、磯田道史氏は
読売新聞に月一回の連載をしていました。
まだ、その連載は続いているのじゃないかなあ。
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