和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

応仁の乱と京都。

2020-03-14 | 地域
ユーチューブで文化人放送局の
怒れるスリーメンを見ております。

そこに登場する高橋洋一氏は元官僚。
法律施行に対する目配りに、驚かされます。
法律の文章をパッとみては、急所をつかみだして
語ってゆかれる明晰な、その手際。

それはそうと、
以前に読んで、そのまま本棚にあった文庫が出てくる。
内藤湖南著「日本文化史研究」(上下。講談社学術文庫)。
その下巻に「応仁の乱について」がありました。
27頁ほどで、大正10年8月の講演です。

うん。私はそこだけを、あらためて読みました(笑)。
まずは、つとに有名な指摘から引用。

「大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、
古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ、
応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。
・・・応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた
歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで
日本の歴史は十分だと言っていいのであります。」(p64)


うん。この文庫を私は30年ほど前に読んだんだと思います。
すごいことが書いてあるらしい(笑)。パラパラ読みでも
そんな感じをうけました。今度あらためて読むと内容に分け入って
読むことができました。年はとるものです(笑)。

うん。ここでは、京都というフレーズが出てくる箇所のみ引用。

「とにかく応仁の乱というものは、日本の歴史にとってよほど
大切な時代であるということだけは間違いのないことであります。

しかもそれは単に京都におる人がもっとも関係があるというだけでなく、
すなわち京都の町を焼かれ、寺々神社を焼かれたというばかりでは
ありませぬ。それらはむしろ応仁の乱の関係としてはきわめて
小さな事件であります。応仁の乱の日本の歴史にもっとも大きな
関係のあることはもっとほかにあるのであります。」(p61)

読むのは楽しかったのですが、
要約するのは、あきらめました(笑)。そこで
「京都」と出てくる箇所をあと一つ引用。

「一体応仁の乱に
実際京都で戦争があったのはわずか三、四年であります。
十年間も続いた乱であると申しましても、京都に戦争のあったのは
三、四年間でありますが、その三、四年間ばかりの間に洛中洛外の
公卿門跡がことごとく焼き払われたのであります。
しかもそれがことごとく足軽の所行でありましたので、
そのことが『樵談治要(しょうだんちよう)』に出ているのであります。
そして敵の立て籠ったところは仕方がないにしても、
そうでもない所を打ち壊しまたは火を掛けて焼き払い、あるいは
財宝を掠め歩くということは偏に『ひる強盗』というべしといっております。」
(p67~68)

うん。こうして27ページの講演の中で応仁の乱が、
明晰に系統だてて光が差してゆくかのようでした。
私には消化できないので、要約はあきらめました。








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