和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「安岡章太郎」覚書。

2024-01-29 | 道しるべ
関東大震災は、大正12年9月1日。
安房郡でその記録「安房震災誌」が出来たのは大正15年3月。

読んでないのですが、安岡章太郎著「僕の昭和史1」は
こうはじまっておりました。

「僕の昭和史は、大正天皇崩御と御大葬の記憶からはじまる。
 天皇の崩御は大正15年12月25日、御大葬は翌昭和2年2月7日・・・」

今回古本で注文したのは
安岡章太郎対談集「対談・僕の昭和史」(講談社・1989年)。
カバーもきれいな単行本がとどきました。
この対談集の最後には、田村義也氏との対談がありました。
田村義也といえば、

「安岡さんの著書の大半が田村義也装丁である。・・・・
 『僕の昭和史』(全3巻)と『対談・僕の昭和史』の装丁・・・

 第一巻が『ゴールデンバット』、第二巻が『ピース』、
 第三巻が『セブンスター』、対談集が『光』であったが、
 タバコのデザインも時代によって少しずつ違っている・・・・

 田村さんの装丁も・・・精興社の活版印刷のよさも生きた、
 とても素晴らしい出来ばえであった。 」
( p230  鷲尾賢也著「新版編集とはどのような仕事なのか」 )

うん。『対談・僕の昭和史』が古本でも新刊並みの綺麗さで、
その素晴らしい出来ばえが味わえました。

それはそうと、田村義也・安岡章太郎の対談のなかに
興味深い箇所があったので、忘れないように引用しておきます。

安岡】 最近僕は、小説は文学の中心ではないように思いはじめている。
   これまでずっと小説が文学の中心だったわけだけど、一般に
   そういう考え方は変わってくるんじゃないかな。
   僕自身かなり変わってきていますけれど、
   伝記とか紀行とかいうものに対する関心が、ずっと大きくなりましたね。
   自分のことをいっていいかどうかわかりませんが、
   アメリカから帰ってきて書いたものの中では、やっぱり
  『志賀直哉私論』が大きいんですね。・・・・・・

田村】 あの本については、僕にも思い出があってね。
   岩波にいた頃のことなんだけど、小林勇さんがやってきて、
  『おれはきのう大変なことになった』と興奮していう。

   小林さんは、前の晩に、安岡さんが『文学界』に連載していた
   『志賀直哉私論』を読みだして大興奮したらしいんですね。
   たまたま一冊読みだしたら止められない。押し入れの中に
   積み重ねてあった雑誌のバックナンバーを探し出して必死に読んだ、
   そして、すごくおもしろかった、という・・・・

安岡】 僕は後でそれを聞いてうれしかったんだけど、とにかく
    あれは小林さんが70歳ぐらいのときですよ。
    その歳の人が文芸雑誌を引っくり返して読んでくれる
    というのはうれしかったね。
       ・・・・

安岡】 あのあと『流離譚』を書いたでしょう。
    あれは『志賀直哉私論』とほとんど同じ書き方です。
                       (p259~261)


話しは逸れるのですが、編集者・鷲尾賢也氏の文のなかに

「 調子にのると、安岡(章太郎)さんは おかしな格好になる。
  相撲の蹲踞(そんきょ)のように腰を浮かせて書くのである。
  そうなったらしめたもので脱稿も間近い。・・・」
  ( p229  鷲尾賢也著「新版編集とはどのような仕事なのか」 )

という箇所があって、気になっていたのですが、
どうしてそんか姿勢になるのかが、今頃になって判明しました。

世界文化社の一冊に、安岡章太郎著「忘れがたみ」があり、
私は読んでいないのですが、目次の次のページの写真。
それは、机に向かって執筆している写真なのですが、下に説明がある。

「昭和34年(1959年)頃の著者
 まだ脊椎(せきつい)カリエスが完治せず、坐っての執筆は無理だった。」

なあんだ。蹲踞の姿勢で執筆するのは、病気が原因だったのだ。



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