和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

染めた木綿の初袷(はつあわせ)。

2022-04-02 | 柳田国男を読む
柳田国男の『木綿以前の事』には、木綿以後の事を語るのに、
それ以前の事が、語られる必要がありました。

そういう語りのなかで、木綿の登場を語るのに、瀬戸物が出てきます。

「ただし日本では今一つ、同じ変化を助け促した
 瀬戸物というものの力があった。

 白木の碗(わん)はひずみゆがみ、使い初めた日から
 もう汚れていて、水ですすぐのも気安めに過ぎなかった。
  ・・・・・

 その中へ・・・白くして静かなる光ある物が入って来た。
 前には宗教の領分に属していた真実の円相を、
 茶碗というものによって朝夕手の裡(うち)に
 取って見ることができたのである。

 これが平民の文化に貢献せずして止む道理はない。
 昔の貴人公人が佩玉(はいぎょく)の音を楽しんだように、
 かちりと前歯に当る陶器の幽(かす)かな響には、
  鶴や若松を画いた美しい塗盃の歓びも、忘れしむるものがあった。

 それが貧しい煤けた家の奥までも、ほとんど何の代償もなしに、
 容易に配給せられる新たな幸福となったのも時勢であって、

 この点においては木綿のために麻布を見棄てたよりも、
 もっと無条件な利益を我々は得ている。

 しかもこれが何人(なんびと)の恩恵でもなかったがゆえに、
 我々はもうその嬉しさを記憶していない。」( p12 新編の9巻 )

はい。このあと柳田さんは薩摩芋を語ります。
うん。はじまりだけ。

「 木綿の威力の抵抗しがたかったことは、
  ある意味においては薩摩芋の恩沢とよく似ている。・・ 」(p13)


「新編 柳田国男集」第九巻(1979年・筑摩書房)で
 8ページの文です。この短文のはじまりは七部集から
 引用されているのですが、最初の引用は眩しすぎるので
 私は2番目の引用をとりあげてみます。

「  薄曇る日はどんみりと霜をれて   乙州
   鉢いひ習ふ声の出かぬる      珍碩
   そめてうき木綿袷のねずみ色    里東
    ・・・・

 この一聯(いちれん)の前の二句は、
 初心の新発意(しんぼち)が冬の日に町に出て托鉢をするのに、
 まだ馴れないので『はちはち』の声が思い切って出ない。
 何か仔細のありそうな、もとは良家の青年らしく、
 せっかく染めた木綿の初袷(はつあわせ)を、
 色もあろうに鼠色に染めたと、若い身空で仏門に入った
 あじきなさを歎じている・・・・           」(p9~10)

はい。最初の引用は、どのようなものだったのか?
うん。井上ひさしさんの言葉が思い浮かびます。

「柳田国男の遺産を受け継ぐ方法はただひとつしかない。
 彼の文章を読むことである。」
   ( p272・岩波文庫「不幸なる芸術・笑の本願」 )

はい。この遺産を受け継ぐ人のために、
最初の七部集の引用はとっておきます。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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おはようございます(^^♪ (のりピー)
2022-04-02 10:12:19
そんな大層な遺産を引き継ぐことなど思いもよらぬことですが、その眩しすぎる七部集の最初の部分を是非引用して頂けないでしょうか・・・🙇‍♂️
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ここまで。 (和田浦海岸)
2022-04-02 10:51:05
おはようございます。のりピーさん。
コメントありがとうございます。

映画を語るのに、つい結末を
喋ったりしてしまいがち。

短文を読みこんでからあとに、
文のはじまりの、重要性に気がつくので、
そこだけを引用してもがっかりするのが
目に見えるようです。だから、ここまで。

はい。のりピーさん。
お楽しみはこれからだ。
返信する

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