柳田国男の『木綿以前の事』には、木綿以後の事を語るのに、
それ以前の事が、語られる必要がありました。
そういう語りのなかで、木綿の登場を語るのに、瀬戸物が出てきます。
「ただし日本では今一つ、同じ変化を助け促した
瀬戸物というものの力があった。
白木の碗(わん)はひずみゆがみ、使い初めた日から
もう汚れていて、水ですすぐのも気安めに過ぎなかった。
・・・・・
その中へ・・・白くして静かなる光ある物が入って来た。
前には宗教の領分に属していた真実の円相を、
茶碗というものによって朝夕手の裡(うち)に
取って見ることができたのである。
これが平民の文化に貢献せずして止む道理はない。
昔の貴人公人が佩玉(はいぎょく)の音を楽しんだように、
かちりと前歯に当る陶器の幽(かす)かな響には、
鶴や若松を画いた美しい塗盃の歓びも、忘れしむるものがあった。
それが貧しい煤けた家の奥までも、ほとんど何の代償もなしに、
容易に配給せられる新たな幸福となったのも時勢であって、
この点においては木綿のために麻布を見棄てたよりも、
もっと無条件な利益を我々は得ている。
しかもこれが何人(なんびと)の恩恵でもなかったがゆえに、
我々はもうその嬉しさを記憶していない。」( p12 新編の9巻 )
はい。このあと柳田さんは薩摩芋を語ります。
うん。はじまりだけ。
「 木綿の威力の抵抗しがたかったことは、
ある意味においては薩摩芋の恩沢とよく似ている。・・ 」(p13)
「新編 柳田国男集」第九巻(1979年・筑摩書房)で
8ページの文です。この短文のはじまりは七部集から
引用されているのですが、最初の引用は眩しすぎるので
私は2番目の引用をとりあげてみます。
「 薄曇る日はどんみりと霜をれて 乙州
鉢いひ習ふ声の出かぬる 珍碩
そめてうき木綿袷のねずみ色 里東
・・・・
この一聯(いちれん)の前の二句は、
初心の新発意(しんぼち)が冬の日に町に出て托鉢をするのに、
まだ馴れないので『はちはち』の声が思い切って出ない。
何か仔細のありそうな、もとは良家の青年らしく、
せっかく染めた木綿の初袷(はつあわせ)を、
色もあろうに鼠色に染めたと、若い身空で仏門に入った
あじきなさを歎じている・・・・ 」(p9~10)
はい。最初の引用は、どのようなものだったのか?
うん。井上ひさしさんの言葉が思い浮かびます。
「柳田国男の遺産を受け継ぐ方法はただひとつしかない。
彼の文章を読むことである。」
( p272・岩波文庫「不幸なる芸術・笑の本願」 )
はい。この遺産を受け継ぐ人のために、
最初の七部集の引用はとっておきます。
コメントありがとうございます。
映画を語るのに、つい結末を
喋ったりしてしまいがち。
短文を読みこんでからあとに、
文のはじまりの、重要性に気がつくので、
そこだけを引用してもがっかりするのが
目に見えるようです。だから、ここまで。
はい。のりピーさん。
お楽しみはこれからだ。