和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

本を読む場所の変化。

2020-11-07 | 本棚並べ
大庭みな子著「雲を追い」(小学館・2001年)を
私は寝るまえに寝床で、何日か読んでおりました。
本文は、途中から「脳梗塞と脳出血で半身不随となり
病院で身動きできない状態」(p49)のなかで、
口述筆記をしたりしながら、一冊になったものでした。

恐縮なのですが、健康体の私でも、寝ながら読んでいると、
この1冊が、よく頭にはいってくるような気がしたのでした。
そこで、体勢と読書とへと話題が飛びます(笑)。

津野海太郎著「百歳までの読書術」(本の雑誌社・2015年)に
本を読む姿を書いている箇所がありました。

「60代までは硬軟を問わず、本はベッドや電車、もしくは
歩きながら路上で読むのがふつうだった。・・・
そちらの読み方のほうがふつうだったのだから、本はおおむね
自室で机にむかって読むという正しい読書習慣は、私の身には
ついていなかったことになる。
読む量でいえば、ベッド3割、電車2割、路上1・5割、
仕事場の机1割、その他(喫茶店や風呂やトイレなど)2・5割
といった感じだったろうか。
ところが退職してしばらくたつと、そんな私が、意外にも、
じぶんの部屋できちんと椅子に坐って本を読むようになっていた。
それまでの路上読書にかわって、私の生活に、いつのまにか、
卓上読書という新しい習慣が根づきはじめたのである。

私にとってこれがどれほど大きなできごとだったかは、
変化に気づいた日、びっくりして手帖に走り書きした
メモからもわかる。それによると、2009年10月9日、
前夜の台風のなごりで強い風が吹く、よく晴れた日の午前、
ちょっとした必要があって私は吉田健一のエッセイ集を読んだらしい。

  吉田健一の文が読めた
  ・・・・大変化だ。
  机で読んだせいか。

・・・なぜそれほどびっくりしたのだろう。
ことわるまでもない。それ以前の私には、
かれの文章がうまく読めなかったのだ。
いまでもよくおぼえている。・・・・」(p40~41)

うん。せっかく津野海太郎氏の本をひらいたので、
この箇所も引用しておきます。
それは朱熹(朱子)の聞き書き集『朱子語類』を
図書館で読んだ津野さんの感想でした。

「おおくの弟子たちのメモによって再現した
先生のおことばが245編―――。

読書も食欲にまかせて『雑多なものを、時節もわきまえず、
一気に食べれば、腹が突っ張って、どうしようもなくなる』とか、
『いまの人の読書は、まだそこまで読んでもいないのに、心は
すでに先に行っている(略)。気分がせかせかして、いつも
追い立てられているようだぞ』とか、
どのおしえも身につまされ、どことなくユーモラスで、
キビキビと気合がはいっている。
とうてい800年もまえのものとは思えないくらい。」
(p67)

うん。この本のなかで「目下の私の読書の場」を
書いてありました。

「机7割、ベッド1割、電車0・5割、路上ゼロ、
その他1・5割といったところ。・・・」(p46)

ちなみに、
津野海太郎(つの・かいたろう)氏は1938年福岡県生まれ。

コメント (4)
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