和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

それがどうしたというのだ。

2020-11-14 | 本棚並べ
渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)が
古本で400円。届いたのを見ると、新刊書店の文庫棚から
今とり出したようなきれいさ。カバーも帯もきれいでした。

カバーの折り返しには、著者の簡単な略歴。
1930年京都生まれとはじまっておりました。
この平凡社ライブラリーの最後には、
平川祐弘氏が4頁の解説を書いておりました。
その平川氏の文のはじめの方に

「著者は1930年生まれ、九州に住む在野の思想史家で、
本書も最初は1998年に福岡の当時は名書肆であった
葦書房から出版された。著者渡辺氏は学問世界の本道を
進んだ人ではないが、その歩き方には一歩一歩力がこもって、
どっしどっしという足音が読者の耳にも伝わるような大著である。」

この文庫には著者による
「平凡社ライブラリー版 あとがき」も6頁ほどありました。
すぐ寝てしまう寝床読書には、ちょうどよいページ数です(笑)。
このあとがきから、引用しておきます。

「・・・因縁はなつかしくもうとましい。
私は北京・大連という異国で育った人間である。
そういう私にとって、日本は桜咲く清らかな国であった。

大連にも桜は咲く。しかし桜より杏の方が多くて、その青みがかった
白い花は桜に先がけて開き、桜に似てはいるもののもっとはかなげで、
私の好みはこの方にあった。春の盛りにはライラックが咲き、
アカシアの花が匂う。夏はそれこそ群青というほかはない濃い青空。
秋が立つのは港から吹く風でわかった。冬はぶ厚い雪雲が垂れこめて、
世界は沈鬱なブラームスのように底光りする。中学の8級先輩の
清岡卓行さんだけでなく、大連は私にとっても故郷だった。

しかし、それはあくまで異郷であって因縁ではなかった。
私はやがて桜咲く『祖国』へ帰った。・・・・
私はずっと半ば異邦人としてこの国で過した気がする。
 ・・・・・・・・

私は湿っぽい自然がだめであった。
有名な神社仏閣を訪ねて、みんなが苔のみごとさに感心しているとき、
私はその苔の湿っぽさがいやなのだから話にならない。
渓谷を歩いていても・・・踏んでいる地面の落葉の積み重なった
湿っぽさがたまらない。野に霞がかかり谷に霧がわく、そんな
山水画ふうの幽邃(ゆうすい)さに深く惹きこまれることはあっても、
日本の山河はあまりにも寂しくて、こんなところで死んだらと
思うと背中が薄ら寒く感じられる。

だから私はこの本を書いたとき、この中で紹介した数々の
外国人に連れられて日本という異国を訪問したのかもしれない。
彼らから視られるというより、彼らの眼になって視る感覚に
支配されていたのだろうか。私はひとつの異文化としての
古き日本に、彼ら同様魅了されたのである。
その古き日本とは18世紀中葉に完成した江戸期の文明である。
  ・・・・・・・

渡辺が描き出すのびやかな江戸時代が一面にすぎず、
その反面に暗黒があったのは誰それの著書を見てもわかる
という批評を案の定見かけたけれど、それがどうしたというのだ。

ダークサイドのない社会などないとは、本書中でも強調したことだ。
いかなるダークサイドを抱えていようとも、江戸期文明ののびやかさ
は今日的な意味で刮目に値する。

問題はこういうしゃらくさい『批評』をせずにはおれぬ心理がどこから
生ずるかとうことで、それこそ日本知識人論の1テーマであるだろう。
   ・・・・・・・

少年の頃、私は江戸時代に生まれなくてよかったと本気で思っていた。
だが今では、江戸時代に生れて長唄の師匠の二階に転がりこんだり、
あるいは村里の寺子屋の先生をしたりして一生を過した方が、自分は
人間として今よりまともであれただろうと心底信じている。
・・・・・
       2005年7月    著者識      」

うん。この平凡社ライブラリー版あとがきの時は、
そうすると、渡辺京二氏は75歳くらいでしょうか。

コメント (2)
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