まずは、イソップ物語。
天草本「伊曾保物語」の「蝉と蟻」の紹介。
「或る冬の半(なかば)に蟻ども数多穴より五穀を出いて
日に曝し、風に吹かするを蝉が来てこれを貰うた。
蟻の言ふは、『御辺は過ぎた夏、秋は何事を営まれたぞ?』
蝉は言ふは、『夏と、秋の間には吟曲にとり紛れて、
少しも暇を得なんだによつて、何たる営みもせなんだ』と言ふ、
蟻『げにげにその分ぢや、夏秋歌ひ遊ばれた如く、
今も秘曲を尽されてよからうず』とて、
散々に嘲り少しの食を取らせて戻いた。」
以上は、平川祐弘著「東の橘西のオレンジ」(文藝春秋)から
孫引き(p320)しました。平川氏はここで、原本にない「食を取らせて」ということの変容について語られておりました。
さてっと、この箇所を思い出したのは、
上田篤著「縄文人に学ぶ」(新潮新書)を読んだからでした。
その上田篤氏の文より以下引用。
「それにしても、よく『縄文時代には戦争や殺人がなかった』といわれる。それは遺された縄文人の遺体に殺されたとみられる痕跡がほとんどないからだ。対照的に弥生時代になると、殺されたとみられる遺体が多数でてくる。なかには鋭利な石器や金属器が突き刺さった状態で発見されるものもある。
では、なぜ縄文時代に戦争や殺人がなかったのか?
それについては証明のしようがないが、
ただ先に紹介したアメリカ先住民の社会が一つのヒントを与えてくれるだろう。ルイス・モーガンはいう。
『イロクォイ諸部族のあいだでは、客がくればだれでも歓待する、ということが、大昔から変わることのない風習となっていた。どこのインディアンの村でも、村人であれ、部族民であれ、よそものであれ、だれかが家に入ってきたばあい、食べ物をさしだすのはその住まいの女性の役目であった。この役目を怠る、ということは、公然と侮辱したことに等しい』(「アメリカ先住民のすまい」)
・・・・・・・
『インディアンは、大いなる精霊が人類全体の幸せのために、地球とそこにあるすべてのものを創った、とかんがえている。・・・この基本原理を源として、歓待のしきたりは生まれる。・・・病人や貧しい者は、共同の貯えから助けてもらう権利がある。・・・』
・・・・つまり歓待するというのは大霊の恵みなのだ。大霊の恵みの前には人間はみな平等なのである。だから見ず知らずの人にも歓待をおこなう。・・・」(p189~191)
う~ん。このジグソ―パズルは、どこへあてはめればいいのか。
天草本「伊曾保物語」の「蝉と蟻」の紹介。
「或る冬の半(なかば)に蟻ども数多穴より五穀を出いて
日に曝し、風に吹かするを蝉が来てこれを貰うた。
蟻の言ふは、『御辺は過ぎた夏、秋は何事を営まれたぞ?』
蝉は言ふは、『夏と、秋の間には吟曲にとり紛れて、
少しも暇を得なんだによつて、何たる営みもせなんだ』と言ふ、
蟻『げにげにその分ぢや、夏秋歌ひ遊ばれた如く、
今も秘曲を尽されてよからうず』とて、
散々に嘲り少しの食を取らせて戻いた。」
以上は、平川祐弘著「東の橘西のオレンジ」(文藝春秋)から
孫引き(p320)しました。平川氏はここで、原本にない「食を取らせて」ということの変容について語られておりました。
さてっと、この箇所を思い出したのは、
上田篤著「縄文人に学ぶ」(新潮新書)を読んだからでした。
その上田篤氏の文より以下引用。
「それにしても、よく『縄文時代には戦争や殺人がなかった』といわれる。それは遺された縄文人の遺体に殺されたとみられる痕跡がほとんどないからだ。対照的に弥生時代になると、殺されたとみられる遺体が多数でてくる。なかには鋭利な石器や金属器が突き刺さった状態で発見されるものもある。
では、なぜ縄文時代に戦争や殺人がなかったのか?
それについては証明のしようがないが、
ただ先に紹介したアメリカ先住民の社会が一つのヒントを与えてくれるだろう。ルイス・モーガンはいう。
『イロクォイ諸部族のあいだでは、客がくればだれでも歓待する、ということが、大昔から変わることのない風習となっていた。どこのインディアンの村でも、村人であれ、部族民であれ、よそものであれ、だれかが家に入ってきたばあい、食べ物をさしだすのはその住まいの女性の役目であった。この役目を怠る、ということは、公然と侮辱したことに等しい』(「アメリカ先住民のすまい」)
・・・・・・・
『インディアンは、大いなる精霊が人類全体の幸せのために、地球とそこにあるすべてのものを創った、とかんがえている。・・・この基本原理を源として、歓待のしきたりは生まれる。・・・病人や貧しい者は、共同の貯えから助けてもらう権利がある。・・・』
・・・・つまり歓待するというのは大霊の恵みなのだ。大霊の恵みの前には人間はみな平等なのである。だから見ず知らずの人にも歓待をおこなう。・・・」(p189~191)
う~ん。このジグソ―パズルは、どこへあてはめればいいのか。