和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

不器用の悲しさ。

2010-06-14 | 短文紹介
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)と
清水幾太郎著「日本語の技術 ――私の文章作法―― 」(ゴマブックス)とは
多少違いがあるようです。
そこで、その違う箇所をすこし引用してみたいと思うわけです。
中公文庫の方に第十三話設計図という箇所があります。
その文の終わりに「他人の心を盗む」という1ページほどの文があるのですが、
その設計図と「他人の心を盗む」との間に、ゴマブックスでは、さらに
加筆された箇所があります。そこを引用。
「私の流儀で申しますと、文章を書くのは建築物を作ることなのです」として語ったあとに、加筆部分がありました。

「私が不器用な人間だという点もあるに違いありません。確かに不器用なのです。四百字詰原稿用紙で僅か三枚という程度の短い文章を書く場合でも、私は必ず丹念に設計図を作ります。長い間、文章を書いて暮して来たのですから、多少のコツを心得ている筈なのでしょうに、そこが不器用の悲しさ、設計図が出来上らないと、書き始めることが出来ないのです。その上、設計図も、一度で出来るというわけには参りません。二度、三度と設計図を作り直すことが稀ではありません。
設計図という言葉が気に入らない方は、それを『デッサン』と言い換えて下さっても結構です。内外の偉い画家の仕事ぶりを拝見いたしますと、百号というような大きな油絵を描く前に、実に夥しいデッサンを試みています。あの方々も、やはり、不器用なのかも知れない。そう思って、私は少し安心するのです。」(ゴマブックス・p78~79)

うん。たしかに中公文庫のは旧著「私の文章作法」(潮出版社・昭和46年)の本文をそのままに、文庫化しているようなのですが、
ゴマブックスでは「これを機会に、新しく数章を書き加え、また、全面的に改訂を施した 昭和51年12月」とある通り、二冊を比べて読みこめば、書き直しの箇所を捜せて、私などは、それなりに勉強になりそうであります。
コメント
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