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何がむずかしいといって、自分を殺すことほどむずかしいことは
ありません。あんまりやると禁欲主義になっちゃって、これをしては
いけない、あれをしてはいけないとおもうだけで病気になっちゃう。
私が説いておりますのは、自分を殺すということではなく、自分を
ありのままに認め、愛するということなのです。
今迄の宗教者は、とかく禁止することで、心の向上を目ざした人が
多いのですが(いわゆる聖賢たちは禁止を一切しておりません)、それ
では、生命がしなびてしまいます。しなびたいのちからは、何も
いいものは出て参りません。
自分が活きなければ、人を活かすことも出来ないのです。放任では
ないんですよ。
放任ではなくて、ありのままの色々な自分の姿がでてきた時に、
それをとらえ、パッと光にむかってそれを放す、世界平和の祈りの
なかで、神様に全部返してしまって、あたらしい衣を着る、あたらしい
いのちをいただくということなのです。
考えようによっては、いたずらな禁止よりも、私の方が、もっと
厳しいともいえるのですが、しかし、神様の愛というものは、さまざまな
人間の心をろ過して、その奥の神体、光体としての人間のいのちを抱いて
下さっているのであります。今、この肉体身のままで、人間の本体を
抱いて下さっているのです。
特別な修行をしなくても、みんなこのままで霊人になってゆく。
今は、その本心がひらかれてゆく、まさにその時なのであります。
ありません。あんまりやると禁欲主義になっちゃって、これをしては
いけない、あれをしてはいけないとおもうだけで病気になっちゃう。
私が説いておりますのは、自分を殺すということではなく、自分を
ありのままに認め、愛するということなのです。
今迄の宗教者は、とかく禁止することで、心の向上を目ざした人が
多いのですが(いわゆる聖賢たちは禁止を一切しておりません)、それ
では、生命がしなびてしまいます。しなびたいのちからは、何も
いいものは出て参りません。
自分が活きなければ、人を活かすことも出来ないのです。放任では
ないんですよ。
放任ではなくて、ありのままの色々な自分の姿がでてきた時に、
それをとらえ、パッと光にむかってそれを放す、世界平和の祈りの
なかで、神様に全部返してしまって、あたらしい衣を着る、あたらしい
いのちをいただくということなのです。
考えようによっては、いたずらな禁止よりも、私の方が、もっと
厳しいともいえるのですが、しかし、神様の愛というものは、さまざまな
人間の心をろ過して、その奥の神体、光体としての人間のいのちを抱いて
下さっているのであります。今、この肉体身のままで、人間の本体を
抱いて下さっているのです。
特別な修行をしなくても、みんなこのままで霊人になってゆく。
今は、その本心がひらかれてゆく、まさにその時なのであります。