僕のありえない日々

受け入れがたい日常について

古い友人

2010年10月02日 | おぼえたこと
中学時代の同級生と久しぶりに再会し、ゆっくり食事に行った。
個性が強く、喋りだしたらとまらない性格だったが、面倒見がよくマメなところもある子供だったことを覚えている。
再会までには20年近く経過していたが、外見はほとんど変わっておらず、一目見てすぐにわかった。
逆に同じ年であるにもかかわらずかなり若く見えた。

あの頃と変わらず喋る量は多かったが、喋りっぱなしではなくキャッチボールを意識しているのがよくわかった。人の良さ、性格の良さはそのままに、アクの強さが抜けてとても喋りやすい雰囲気に変わっていた。
社会に出るということは、人を成長させるものなのだと改めて感じた。また「よくここまで変わったものだ」と感心してしまい妙な気分になった。
一方で、自分はどう変わったのだろうかと考える。
20数年前に比べて、活動的で社交的になったとは思う。しかし、他人の気持ちを読まなかったり、意固地になる部分は変わっていないかもしれない。

またもう一度会う約束をして別れた。
古い友人と久しぶりに再会し、楽しい時間になることはとても気分がいいことだった。


今年度に入ってすぐ、ある友人が亡くなっていたことを知った。
自ら命を絶ったらしい。
学生時代は仲がよく卒業後も一緒に飲んだり、結婚式には招待したほどの仲だった。
連絡が途絶えて数年がたち、間接的な友人を通して亡くなっていたことを知った。
彼が何を悩み、何に思いつめていたのか。悲しいことに、それを知る人は誰もいなかった。
学生時代の彼の姿からは想像できず、その訃報を知り自分もひどく落ち込んだ時期があった。

時間とともに人は変わっていく。
いい方向にも。悪い方向にも。
もしかしたら二度と会えないのかもしれない。そんなきっかけを作ったのは自分かもしれない。逆に自分が何かの支えになれるかもしれない。
そんなことを考えると、普段連絡していない友人に連絡してみようと携帯電話を見てしまう。

自意識が過剰な部分も、もしかしたら20年前から変わっていないかもしれない。