四国の空と海へ

1997.5/3から 四国八十八ヶ所霊場 を巡拝させて頂いた事が
第二の人生のスタ-トに成った。

高野山から・・・・・>家に帰りたい・・・・・>帰宅。

2006-07-03 14:22:25 | 宗教
二人で、納経所で満願の記帳を済ませた・・・思わず笑顔で挨拶・・・。
感無量で、あった。

黒谷さんは、島根県の宿泊施設で一泊されるそうだ。
私も県の施設でと、一瞬思ったが・・・家に帰る事にした。

黒谷さんとは、奥ノ院のバス停で、お別れをした。
お互いに、お礼を言い合い・・・お元気で~~さようなら~。

 * 考えても居なかった、良い思い出を、ありがとう御座いました。
   この出会いも、本当に「仏縁」としか、言い様が無い・・・合掌。

納経帳の第一頁は、大師のお姿があり・・二頁は、無地。
三頁~四頁には

納経とは巡拝者の献経所願に対して本尊慈仏が願意を哀愍受ましませる事を
表する為に與えらる々本尊の心印であります。
依って古来巡拝者が之を得るには、必ず先ず御本尊の御前に書写の経巻を
納めて礼拝読経し、燃る後この御宝印を拝受するもので、従って、これを
「お納経」と申すのであります。
この故に巡拝者は必ずこのお納経を受けることを忘れてはなりません。

この様に大慈大悲の御本尊の御心印の据わった、お納経ですので、各々霊場
御本尊薩たー(た・・打っても出ない)の御本躰と同一のものであると信じて
大切にして下さい。
昔よりこのお納経を頭に頂くことに依ってさえ諸病平癒災難消除の利益があり、
又自から巡拝して之を受持するものは必ず本尊の御加護に依り所願成就を得、
「現世は更なり、未来に於いても必ず楽土に到ることを得らるべし」との
深い、信仰があります。
巡拝の方々のお納経を末永く護持されん事を・・・

五頁に、記帳をして頂いた。

 御詠歌
 ありがたや高野の山の岩かげに
    大師はいまだおわしますなる

 平成九年六月二十一日

疲れて居たし、高野山で一泊した方が良い事は分かって居たが・・・
家に帰りたかった・・そして、ゆっくりと休みたい~の、気持ちが強かった。

バス~ケーブル~電車・・・難波の駅まで・・・長く・永く感じた。
駅を出て、人込みの流れの中に入る・・・現世に戻って来た。

歩いている若い女性に、新大阪へ行くにはと尋ねると、女性・・ビックリして
一瞬身を引く仕草をした!!!そして、教えてくれた。
私の顔・腕が、余りにも黒いのでビックリしたんだ~!!!。

現役時代に、良く出張で来た新大阪駅に着いた。
ひかりに乗車して、駅弁・缶ビール(500ML)一缶を、美味しく頂く。

心地良い揺れで、眠れるかと思うが・・・色んな事が、頭の中を駆け巡り
眠る事が出来なかった。

東京駅・・・>上野駅・・・>桶川市・・・>自分の家・・・。

遅い時間であったが、家内が出迎えてくれた。
お帰りなさい・・・。
ただいま~ どうもありがとう。

この後、積もる話を・・・どうしたか、記録に無い。
積もり積もった疲れのために、唯・・・眠りたかった。

 * 歩いた距離 アルファホテル・・・>高野山の参拝 10KM
   累計 1.265KM

 * 写真は高野山大門

 * 後一回で、投稿が終了します。