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長谷観音堂へ 撮影禁止
弁天窟へ ひんやりとした空気
以外の大きさと石仏にビックリ・・・大変な遺跡だ。
高さの低い所も在り、前かがみの状態・・・岩にぶつからない様気を付けた・・・小林さん
弁天窟出口
二番目の「光則寺」へ 山野草と茶花などが多い・・・鎌倉有数の花の寺
見た事も無い紫陽花
紫陽花の花だけで約二百種・・・見た事も無い山野草の花が多く、気がつけば写真を撮って居なかった。
七百年以上も前の、牢内を想像した。
今回の会には、ボランティのガイドさんが同行して、ポイントの場所で説明をしてくれた。 成る程・・・成る程だったが、その後に、私はこう考えますの話があった・・・同行の小林さん共々、チョット余分な話しだね・・・だった。
宮沢賢治さんの、詩碑は撮影出来なかった・・・木の枝に覆われていた。
次は、高徳院の大仏さんへ・・・何十年振りだろうか? 六十一年振りに見た!!!!!・・・・・ 頭の中に生き続けた大仏さんが在った・・・国宝だ~~~。 直感 優しい~~~。
中学三年の「修学旅行」は、鎌倉・江の島だった。
台座を含めた総高は、13.35メートル 重量 121トン 高座 11.312M 顔の長さ 2.35M 目の長さ 1M 眉の長さ 1.24M 耳の長さ 1.9M 口に幅 82CM
仏殿の礎石 此処で昼食をさせて頂いた・・・缶ビール350ML 一缶。
大仏さんの背中の窓は、初めて見た・・・鋳造の時に使用した、粘土を出すために造った。
源頼朝の侍女・稲多野局が思い立ち、浄光という僧が資金を集めて造ったと伝えられている。 暦仁元年(1.238)に着工し、六年後に完成 当初は木造であった・・・その後大風で倒壊した・・・1.252年に青銅像が鋳造されて、大仏殿に安置された・・・その後、二度の大風で大仏殿は倒れた。 その都度復興されたものの、1.498年地震の津波に流されて、露坐の大仏となった。 大正十二年(1.923)の関東大震災には倒れる事も無く現在に至っている。
大仏さんは、受難の時代が続いたが・・・でも、この慈悲深い顔立ち・・・合掌。