水俣病は,高度成長の過程で生じた公害である。1956年の公式発見から48年という長い長い年月を経て,この水俣病に関して行政にも責任があることが確定した。昨日は,ダイエーと高度成長について書いたが,水俣病という高度成長の過程で日本人が背負った「業」の中でも最も深い部類に属するものが,このような形で一つの区切りを迎えたことには,喜びを感じる。
1970年代に私は小学生だった。そのころは既に,四大公害(水俣病,イタイイタイ病,四日市ぜんそく,新潟水俣病)の惨禍は明らかになっており,いかに患者を救済するか,いかに公害の発生を防止するかに焦点が絞られつつあった。そして,学校でも,例えば,小学校の社会科の授業で,これら公害の問題点と将来的な課題等について,子供ながらに研究したりしたものだ。当時は,テレビ,メディア等でも頻繁に取り上げられ,京葉地域の六価クロムの問題等とあわせて,現在進行形の課題として,多くの国民が認識していたように思う。が,その後,歳月は流れ,徐々に風化しつつあった。
水俣病が,現在も進行中の大問題であるとの思いを深めたのは,恥ずかしながら,先週,NHKの人間ドキュメント「いのちの舞~石牟礼道子のメッセージ」を見てからである。石牟礼氏は,水俣病の苦しみと人間の「業」を描いた不朽の名作「苦海浄土―わが水俣病」の作者である。同氏は,現在,パーキンソン病を病んでいるが,その最後の仕事として,新作能「不知火」を創ることを決意した。その「不知火」の上演場所は,水銀廃棄物の詰まった2,000本のドラム缶の埋まった埋立地の上で行う。そして,「加害者」でもある「チッソ」の社員にも上演への参加を呼びかける。その姿を負ったドキュメンタリーであった。老齢化の進む患者の姿,患者一人ひとりが抱える思い,そして病を抱えながら事業を進める石牟礼氏の情熱には,心が大きく揺るがされた。
そこへ,今日の最高裁の判決。認容された金額は多額ではないものの,おそらく患者の方々にとっては,行政の責任が認められたこと自体が,とても大きな意義を持つのだと思う。一方,世界に眼を向ければ,未だ大小の公害は発生しており,その被害に苦しむ人々もいる。産業や技術の発展に伴い,人間に有毒な物質が排出されることは避けられないとは思うが,何とか,人類全体が持続的に発展できるように模索しなければ,と久々に思った。さて,何から始めるか,それが問題である。
関西水俣病訴訟、国と県の責任認定…最高裁 (読売新聞) - goo ニュース
1970年代に私は小学生だった。そのころは既に,四大公害(水俣病,イタイイタイ病,四日市ぜんそく,新潟水俣病)の惨禍は明らかになっており,いかに患者を救済するか,いかに公害の発生を防止するかに焦点が絞られつつあった。そして,学校でも,例えば,小学校の社会科の授業で,これら公害の問題点と将来的な課題等について,子供ながらに研究したりしたものだ。当時は,テレビ,メディア等でも頻繁に取り上げられ,京葉地域の六価クロムの問題等とあわせて,現在進行形の課題として,多くの国民が認識していたように思う。が,その後,歳月は流れ,徐々に風化しつつあった。
水俣病が,現在も進行中の大問題であるとの思いを深めたのは,恥ずかしながら,先週,NHKの人間ドキュメント「いのちの舞~石牟礼道子のメッセージ」を見てからである。石牟礼氏は,水俣病の苦しみと人間の「業」を描いた不朽の名作「苦海浄土―わが水俣病」の作者である。同氏は,現在,パーキンソン病を病んでいるが,その最後の仕事として,新作能「不知火」を創ることを決意した。その「不知火」の上演場所は,水銀廃棄物の詰まった2,000本のドラム缶の埋まった埋立地の上で行う。そして,「加害者」でもある「チッソ」の社員にも上演への参加を呼びかける。その姿を負ったドキュメンタリーであった。老齢化の進む患者の姿,患者一人ひとりが抱える思い,そして病を抱えながら事業を進める石牟礼氏の情熱には,心が大きく揺るがされた。
そこへ,今日の最高裁の判決。認容された金額は多額ではないものの,おそらく患者の方々にとっては,行政の責任が認められたこと自体が,とても大きな意義を持つのだと思う。一方,世界に眼を向ければ,未だ大小の公害は発生しており,その被害に苦しむ人々もいる。産業や技術の発展に伴い,人間に有毒な物質が排出されることは避けられないとは思うが,何とか,人類全体が持続的に発展できるように模索しなければ,と久々に思った。さて,何から始めるか,それが問題である。
関西水俣病訴訟、国と県の責任認定…最高裁 (読売新聞) - goo ニュース
あおもりさんのブログからやって参りました。
1970年代私も小学生でした。
青森に住む私には、公害はテレビの中だけのことでしたが、公害に苦しむ同年代の小学生を見ては暗い気持ちになったものです。
やはり、公害は私の中でも風化しています。
私の住むすぐ近くに核燃サイクル工場が出来つつあるのですが、盛んに反対運動もしましたが、どうしても止められませんでした。
私のブログにコメントありがとうございます。
1970年代には私は生まれてもいなく、水俣病を始めとした4大公害は歴史の中の一部として学びました。
風化していくのは止められないのかもしれませんが、決して忘れてはいけない事実ですよね。
水俣病は実際の健康被害だけでなく、患者への差別や、責任を求める訴訟での戦いの日々といった間接的な苦しみが多く存在していて、そういった様々な苦しみと長い間戦い続けた方々にとっては、非常に大きなものなんだと思います。
水俣病を単なる悲劇として終わらせるのではなく、そこから何かを学び取れるのかということを考えていかなければいけませんね。
ここのところつくづく考えるのは,世の中のsustainable development(持続的な発展)はどのようにすれば達成できるのかということです。
ともすると,人間は,目の前の欲望を満足させるために,乱暴運転をしがちじゃないかと思います。一人ひとりの人間が,10年,100年先を見越して,どうすれば人類全体が発展できるのかを考えれば,少しはましな未来になるのではないかと思うのですが,なかなか難しいことなのでしょうね。
それぞれが,すこ~しだけ,自分の欲望を抑えれば,そして,他人のことを思いやれば,世の中もっと上手く行くんでしょうけどね。
ま,焦っても仕方ないので,一日一日をそういった思いを忘れずに過ごしたいものです。
差別や誹謗中傷と戦いながら,訴訟を最後まで貫いた皆さんには敬意を表したいと思います。