興福寺 国宝館に行く 2024年4月末
興福寺の国宝館はこれまでにも何度かは行ったことがあるが、中でも八部衆を遠目に眺めるのが好きだ。
八部衆にライトが当てられ、壁に映る彼等のシルエットと仏像たちを見ていると、美しいなと感じる。
あっちに行ったりこっちに来たり、また立ち止まったり。
八部衆に限らず仏像は、立ってみたり、ローアングルで眺めたりと楽しむ。
そうすることによって、仏像は、いろいろな表情を投げかけてくれる。
一時間と少々で見終えてしまったが、もう少しゆっくり見て回ればよかったと感じる。
興福寺によれば、日本の17%の仏像が、興福寺に集まっているという。
また、興福寺の半分くらいの仏像(国宝)が、この国宝館に集まっているというが、あまり知らない。
国宝館を出て数日前にも訪れた中金堂にお参りする。
その後、いつもとは違う興福寺の周りを散歩する。
わんこと歩く散歩もよいが、一人の時間を過ごすのも、また良しとほくそえむ。
前回書いたように、携帯電話の写真の送信が不可能になってしまった。
なので、数日前にお参りした北円堂と中金堂の写真を載せた。
以下は、興福寺公式HPよりお借りしました。
↓
- 木造千手観音菩薩立像(せんじゅかんのんぼさつりゅうぞう)
- 乾漆八部衆立像(はちぶしゅうりゅうぞう)
- 阿修羅像【八部衆】(あしゅらぞう)
- 迦楼羅像【八部衆】(かるらぞう)
- 緊那羅像【八部衆】(きんならぞう)
- 鳩槃荼像【八部衆】(くばんだぞう)
- 乾闥婆像【八部衆】(けんだつばぞう)
- 五部浄像【八部衆】(ごぶじょうぞう)
- 沙羯羅像【八部衆】(さからぞう)
- 畢婆迦羅像【八部衆】(ひばからぞう)
- 乾漆十大弟子立像(じゅうだいでしりゅうぞう)
- 迦旃延像【十大弟子】(かせんえんぞう)
- 舎利弗像【十大弟子】(しゃりほつぞう)
- 須菩提像【十大弟子】(すぼだいぞう)
- 富楼那像【十大弟子】(ふるなぞう)
- 目犍連像【十大弟子】(もくけんれんぞう)
- 羅睺羅像【十大弟子】(らごらぞう)
- 木造金剛力士立像(こんごうりきしりゅうぞう)
- 木造天燈鬼・龍燈鬼立像(てんとうき・りゅうとうきりゅうぞう)
- 木造仏頭(釈迦如来像頭部)(ぶっとう)
- 木造化仏・木造飛天(けぶつ・ひてん)
- 木造梵天・帝釈天立像(ぼんてん・たいしゃくてんりゅうぞう)
- 木造弥勒菩薩半跏像(厨子入り)(みろくぼさつはんかぞう)
- 木造釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)
- 銅造仏頭(旧東金堂本尊)(ぶっとう)
- 板彫十二神将立像(いたぼりじゅうにしんしょうりゅうぞう)
- 色紙薬師経【薬師如来坐像納入品】(しきしやくしきょう)
- 薬師経【薬師如来坐像納入品】(やくしきょう)
- 銀造仏手(ぎんぞうぶつしゅ)
- 絹本著色慈恩大師像(じおんだいしぞう)
- 絹本著色淄州大師像(ししゅうだいしぞう)
- 絹本著色二天王像(にてんのうぞう)
- 絹本著色春日社寺曼荼羅図(かすがしゃじまんだらず)
- 絹本著色法相曼荼羅図(ほっそうまんだらず)
- 護法善神扉絵(ごほうぜんしんとびらえ)
- 延暦寺智行高僧伝(えんりゃくじちぎょうこうそうでん)
- 経典釈文断簡(けいてんしゃくもんだんかん)
- 講周易疏論家義記断簡(こうしゅうえきそろんけぎきだんかん)
- 紙本墨書興福寺別当次第(こうふくじべっとうしだい)
- 紺紙金字金剛般若波羅蜜経(こんごうはんにゃはらみつきょう)
- 細字法華経(さいじほけきょう)
- 紙本墨書左府抄(さふしょう)
- 篳篥譜(ひちりきふ)
- 聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく)
- 紺紙金字成唯識論(じょうゆいしきろん)
- 成唯識論(巻第十)(じょうゆいしきろん)
- 造興福寺記(ぞうこうふくじき)
- 紙本墨書僧綱補任(そうごうぶにん)
- 宋版一切経(そうはんいっさいきょう)
- 紙本墨書大慈恩寺三蔵法師伝(だいじおんじさんぞうほうしでん)
- 日本霊異記(上巻)(にほんりょういき)
- 明本抄(みょうほんしょう)
- 興福寺大和国雑役免坪付帳(こうふくじやまとのくにぞうえきめんつぼつけちょう)
- 大般若経(だいはんにゃきょう)
- 華原磬(かげんけい)
- 春日版板木(かすがばんはんぎ)
- 中金堂鎮壇具(ちゅうこんどうちんだんぐ)
- 銀製鍍金唐草文脚杯(残欠)【中金堂鎮壇具】(ぎんせいときんからくさもんきゃくはい)
- 銀製鍍金唐花文鋺【中金堂鎮壇具】(ぎんせいときんからはなもんわん)
- 銀鋺【中金堂鎮壇具】(ぎんわん)
- 水晶念珠玉【中金堂鎮壇具】(すいしょうねんじゅだま)
- 水晶玉【中金堂鎮壇具】(すいしょうだま)
- 金銅燈籠(とうろう)
- 燈籠火袋羽目(とうろうひぶくろはめ)
- 黒漆舎利厨子(しゃりずし)
- 鰐口(わにぐち)
- 絹本著色濮陽大師像(ぼくようだいしぞう)
奈良時代創建当初の食堂の外観を復元
僧侶が集団で食事をする食堂(じきどう)が建てられていた場所に、昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造りの耐火式宝物収蔵庫として建てられました。規模は正面35.3m(桁行9間)・側面31.8m(梁行8間)で、本瓦葺の建物です。地下には、旧食堂の奈良時代以降の遺構がそのままの形で保存されています。国宝館は食堂と細殿(ほそどの)を連結して内部を一堂とした建物で、興福寺の歴史を伝える仏像彫刻や絵画、工芸品、典籍・古文書、歴史資料・考古遺物などが収蔵しています。これらを一般公開するために利便性を考慮して設計された建物です。
館内には旧食堂の本尊千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)立像を中心に、奈良時代の阿修羅(あしゅら)像などの乾漆八部衆(はちぶしゅう)像や乾漆十大弟子(じゅうだいでし)像、華原馨(かげんけい)、平安時代の燈籠(とうろう)や板彫十二神将(いたぼりじゅうにしんしょう)像、鎌倉時代の木造金剛力士(こんごうりきし)像、木造天燈鬼(てんとうき)・龍燈鬼(りゅうとうき)像、さらに飛鳥の山田寺から運ばれた7世紀の銅造仏頭(ぶっとう)などの国宝や、重要文化財の梵天(ぼんてん)像・帝釈天(たいしゃくてん)像や厨子入り弥勒菩薩半跏像(みろくぼさつはんかぞう)なども安置します。なかでも阿修羅像は天平彫刻の傑作として、人びとから熱い視線が注がれています。
昭和34年(1959年)原設計
建築史家・大岡實
平成29年(2017年)耐震改修設計
建築家・棟尾聡
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