乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

興福寺 国宝館に行く  2024年4月末

2024-04-30 | 美術・文様・展示物

 興福寺 国宝館に行く  2024年4月末

 

 興福寺の国宝館はこれまでにも何度かは行ったことがあるが、中でも八部衆を遠目に眺めるのが好きだ。

 八部衆にライトが当てられ、壁に映る彼等のシルエットと仏像たちを見ていると、美しいなと感じる。

 あっちに行ったりこっちに来たり、また立ち止まったり。

 八部衆に限らず仏像は、立ってみたり、ローアングルで眺めたりと楽しむ。

 そうすることによって、仏像は、いろいろな表情を投げかけてくれる。

 

 一時間と少々で見終えてしまったが、もう少しゆっくり見て回ればよかったと感じる。

 興福寺によれば、日本の17%の仏像が、興福寺に集まっているという。 

 また、興福寺の半分くらいの仏像(国宝)が、この国宝館に集まっているというが、あまり知らない。 

 

 国宝館を出て数日前にも訪れた中金堂にお参りする。

 その後、いつもとは違う興福寺の周りを散歩する。

 わんこと歩く散歩もよいが、一人の時間を過ごすのも、また良しとほくそえむ。

 

 

 

 

 

 前回書いたように、携帯電話の写真の送信が不可能になってしまった。

 なので、数日前にお参りした北円堂と中金堂の写真を載せた。

 

 

 

 以下は、興福寺公式HPよりお借りしました。

      ↓

 

 

 奈良時代創建当初の食堂の外観を復元

 

 僧侶が集団で食事をする食堂(じきどう)が建てられていた場所に、昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造りの耐火式宝物収蔵庫として建てられました。規模は正面35.3m(桁行9間)・側面31.8m(梁行8間)で、本瓦葺の建物です。地下には、旧食堂の奈良時代以降の遺構がそのままの形で保存されています。国宝館は食堂と細殿(ほそどの)を連結して内部を一堂とした建物で、興福寺の歴史を伝える仏像彫刻や絵画、工芸品、典籍・古文書、歴史資料・考古遺物などが収蔵しています。これらを一般公開するために利便性を考慮して設計された建物です。

 館内には旧食堂の本尊千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)立像を中心に、奈良時代の阿修羅(あしゅら)像などの乾漆八部衆(はちぶしゅう)像や乾漆十大弟子(じゅうだいでし)像、華原馨(かげんけい)、平安時代の燈籠(とうろう)や板彫十二神将(いたぼりじゅうにしんしょう)像、鎌倉時代の木造金剛力士(こんごうりきし)像、木造天燈鬼(てんとうき)・龍燈鬼(りゅうとうき)像、さらに飛鳥の山田寺から運ばれた7世紀の銅造仏頭(ぶっとう)などの国宝や、重要文化財の梵天(ぼんてん)像・帝釈天(たいしゃくてん)像や厨子入り弥勒菩薩半跏像(みろくぼさつはんかぞう)なども安置します。なかでも阿修羅像は天平彫刻の傑作として、人びとから熱い視線が注がれています。

昭和34年(1959年)原設計

建築史家・大岡實

平成29年(2017年)耐震改修設計

建築家・棟尾聡

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 機械もオンチ、機会は居直り... | トップ | 映画『ウェディング・ハイ』3... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

美術・文様・展示物」カテゴリの最新記事