『ソクラテスの弁明 クリトン』13 倫理学、道徳哲学
倫理学(りんりがく、希: Ηθική、羅: ethica、英: ethics、仏: éthique )
道徳哲学(どうとくてつがく、英: moral philosophy)
一般に行動の規範となる物事の道徳的な評価を理解しようとする哲学の研究領域の一つである。
法哲学・政治哲学も規範や価値をその研究の対象として持つ。
こちらは国家的な行為についての規範(法や正義)を論ずることとなる。
ただし、これら二つの学問分野が全く違う分野として扱われるようになったのは比較的最近である。
倫理学
倫理学の研究対象とは道徳の概念によって見定めることができる。
この道徳の定義の問題に対して異なる見解が示されている。
一般的に道徳とは社会において人々が依拠するべき規範を確認するものである。
しかし、道徳とは理性によりもたらされるものであるのか、感情によってもたらされるものであるかについては議論が分かれている。
デイヴィッド・ヒュームの見解によれば、事実についての「である」という言明から規範についての「であるべき」という言明を結論付けることは論理的にできない。
これはヒュームの法則とも呼ばれる主張であり、したがって理性によって道徳的な判断を導くことは不可能であると考える。
ヒュームは道徳的な判断が感情に起因するものであるという立場にあり、より厳密には自身の利益から道徳性が発生したとも論じている。
一方でイマヌエル・カントは理性から道徳法則を導き出している。
カントは道徳性を自由選択と関連づけて理解しており、人間は自分自身の理性に従う時にだけ自由になることができると考える。
そして理性によって人格として行為するための道徳的な規範の実在が主張される。
このような道徳性の根源についての研究はメタ倫理学(Meta-ethics)の研究として包括することができる。
また道徳性の具体的な内容については規範倫理学(Normative ethics)という研究領域で扱われている。
この領域で古典的アプローチの一つに徳倫理学がある。
プラトンやアリストテレスの研究はその中でも最も古い研究であり、彼の分析は人間に固有の特徴に基づいた美徳を中心に展開している。
例えば危機に際して蛮勇でも臆病でもなく、その中庸の勇敢さを発揮する人間の特性を指して美徳と呼ぶ。
このような研究に対して義務論の学説は道徳規則に基づいている。
カントは人間の道徳法則としてどのような場合においても無条件に行為を規定する定言命法という原理を提唱した。
この立場において人間は実在する道徳規則に対して従う義務を負うことが主張される。
また義務論と反対の立場に置くことができる立場として結果論の立場がある。
この立場に立った功利主義の理論がジェレミー・ベンサムによって提示されている。
ベンサムによれば、行為を正当化する時の判断の基準点とは行為によってもたらされる結果であり、具体的には効用によって計算される。
ベンサムは行為がもたらす快楽の程度を最大化するように行為する最大多数の最大幸福の原理を提唱した。
ギリシア・ローマ
ソクラテス以前、古代ギリシアの伝統・神話に囚われない哲学的営
*アナトリア半島(小アジア半島)西海岸のイオニア学派に始まる「自然哲学」
*イタリア半島南部(マグナ・グラエキア)のイタリア学派(ピタゴラス学派・エレア派)に始まる「数理哲学・論理哲学」
という2つの潮流が主導する形で始まった。
その中には、
ピタゴラス学派(ピタゴラス教団)のように宗教教団的色彩を帯びたり、
ヘラクレイトスのようにその世界観と共に倫理を説く者もいた。
後世で大きな潮流を成すには至らなかった。
(とはいえ、これらが後述するプラトンの思想形成に一定の影響を与えた事実は見逃せない。)
ソクラテス・プラトン
第3の哲学として「倫理哲学」(倫理学)を確立・大成するに至った。
アテナイを拠点としたソクラテス
彼を題材として多くの著作を残したプラトン
(紀元後3世紀に『ギリシア哲学者列伝』を書いたディオゲネス・ラエルティオスも、その著書の中で、ソクラテスを「倫理学」の祖と明記している)
ソクラテスは、問答法(弁証法・ディアレクティケー)を駆使しながら、「徳」の執拗な探求とその実践、そしてアテナイ人をはじめとする民衆への普及に生涯を費やした。
彼自身は著書を残さなかったが、彼の弟子の1人であるプラトンが、(アテナイの民衆に刑死に追い込まれたその悲劇的な死も含め)その生涯を題材に数多くの著作(対話篇)を残し、彼の学園アカデメイアを中心に普及させたことで、その学派アカデメイア派の隆盛とともに、後世に大きな潮流を形成するに至った。
プラトンは、40歳頃にイタリア半島南部(マグナ・グラエキア)に旅行し、当地のピタゴラス学派・エレア派と交流を持ったことで、独自の思想を形成するに至り、「イデア論」を背景として「善のイデア」を探求していく倫理学思想を確立した。
この倫理学は、個人で完結するものではなく、哲人王や夜の会議を通じて、現実の政治・法治・国家運営へと適用・活用されることが要請される。
また、ソクラテスには、プラトンの他に数多くの弟子・友人がおり、その中からはメガラのエウクレイデスに始まるメガラ学派、アリスティッポスに始まるキュレネ派、アンティステネスに始まるキュニコス派といった学派や、多くの著作を残したクセノポン等を輩出し、後世に影響を与えた。
アリストテレス以降
プラトンのアカデメイアで学んだアリストテレスは、アレクサンドロス大王の家庭教師を経つつ、50歳ごろにアテナイ郊外に自身の学園リュケイオンを設立。
倫理学を含む総合的な学究に務めた。
彼の学派ペリパトス派(逍遥学派)は、プラトンのアカデメイア派と並ぶ一大潮流となり、後世に大きな影響を与えた。
アリストテレスの倫理学は、(論理学・形而上学と共に)ソクラテス・プラトンのそれを更に精緻化したものであり、「最高善」を究極目的とした目的論的・幸福主義的な倫理学としてまとめられた。
また、ソクラテス・プラトンの場合と同じく、倫理学が政治学の基礎となっており、現実の政治・国制へと適用・活用することが要請される。
アリストテレスの倫理学的著作は、ペリパトス派(逍遥学派)の後輩たちに継承され、『ニコマコス倫理学』等として編纂された。
他の倫理学的学派としては、アカデメイアやリュケイオンで学んだエピクロスに始まるエピクロス派や、キュニコス派・アカデメイア派の影響を受けたゼノンに始まるストア派などがある。
古代ローマへは、キケロ等の著作を通じて、アリストテレスやストア派の思想が紹介・伝播され、ローマ帝国末期にキリスト教が席巻するまで、大きな影響力を誇った。
(アリストテレスの著作・思想は、後に中東・イスラーム圏経由で、中世の欧州に再輸入され、スコラ学の形成に大きな影響を与えた。)
また、プラトンの思想は、ネオプラトニズムを経由しつつ、キリスト教神学・キリスト教哲学へと吸収され、その骨子の一部となった。
参考
『ソクラテスの弁明 クリトン』
プラトン 著
久保 勉 翻訳
岩波文庫 青601-1
ウィキペディア
15 乱鳥の哲学とは (初心者のはじめの一歩を踏み出す前に) (1〜15)
『ソクラテスの弁明 クリトン』16 イオニア学派(厳密にはミレトス学派)とイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)
『ソクラテスの弁明 クリトン』17 (詩人:その席に居合わせたところの人が全て、それからの作品について、作者その人以上の説明を与え得た)
『ソクラテスの弁明 クリトン』18 (メレトスくん。どういう積りで君はそんなことを主張するのか。日輪も月輪も神であることを、他の人々のように信じないというのか。)
『ソクラテスの弁明 クリトン』19 ソクラテス(いきと力が続く限り、知恵を愛求したり、諸君に忠告したり、諸君の中のいかなる人に逢っても指摘しつつ話すことをやめないであろう。)
『ソクラテスの弁明 クリトン』20 ソクラテス(今彼がしていること、すなわち正義に対して人に死刑を処せんと企むことである。)
『ソクラテスの弁明 クリトン』21 ソクラテス(死を逃れるために正義に反して譲歩するような者では決してない・・・・・・・・。)
『ソクラテスの弁明 クリトン』22 ソクラテス、クリトン、リュサニヤス、アンティポン、ニコストラトス、パラリオス、アデイマントス、アイアントドロス
『ソクラテスの弁明 クリトン』23 ソクラテス(三十票の投票が違えば、私は無罪放免になるところだったのである。)
『ソクラテスの弁明 クリトン』24 ソクラテス(もし私が、正しきに従って私が当然受くべきものを提議すべきであるならば、私はこれを定義する、すなわち、プリュタネイオンにおける食事を。)
『ソクラテスの弁明 クリトン』25 ソクラテス(プラトンやクリトンやクリトブロスやアポロドロスは、罰金三十ムナを提議せよと私に勧告する。彼らはその保証人に立とうという。)
『ソクラテスの弁明 クリトン』26 ソクラテス(長くもない歳月の間の辛抱が足らぬために、諸君は賢人ソクラテスを死刑に処したという汚名と罪科とを負わされるに至るであろう。)
『ソクラテスの弁明 クリトン』27 ソクラテス(かくて今、私は諸君から死罪を宣告されて、しかし彼らは真理から賎劣と不正との罪を宣告されて、ここを退場する。)
『ソクラテスの弁明 クリトン』28 ソクラテス(私は敢えて諸君に言う、私の死後直ちに、諸君が課したる死刑よりも、ゼウスにかけて、さらに遙かに重奇抜が、諸君の上に来るであろう)
『ソクラテスの弁明 クリトン』29 ソクラテス(不正の裁判によって殺された昔の人に逢えるなら、自分の運命と比較してみることは私にとって、決して少々の愉快ではないだろうと思うからである。)