乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『ソクラテスの弁明 クリトン』17  (詩人:その席に居合わせたところの人が全て、それからの作品について、作者その人以上の説明を与え得た)

2021-04-27 | 哲学

ルクソール(エジプト)にて

船の守り神か………。或いは、イスラム教のブルーのハンドか………。

 

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』17 (詩人:その席に居合わせたところの人が全て、それからの作品について、作者その人以上の説明を与え得た)

 

 

(『ソクラテスの弁明』P.22 抜萃)

 

 結局ただ神託の覆すべかざることを明らかにしたに過ぎなかった。

 すなわち政治家の次には私は詩人を、悲劇詩人や酒神頌歌詩人(ディテラポス)やその他の詩人を訪問した。

 今度こそは私が彼らよりも愚昧であることの証拠を、現場において指摘し得るだろうと思いながら。

 そこで私は、彼らの作品中最も苦心したと思われるところを取り上げて、それが何を意味するのかをきき質した。

 これには一つには、同時に彼らから何かを学びたいと思ったからである。

 さて、諸君、私は諸君に真実を告げることを恥じる。

 しかも私は、告げなければならない。

 すなわち、その席に居合わせたところの人が全て、それからの作品について、作者その人以上の説明を与え得たからである。

 

 神託、そして詩人の次には、手工者の話へと移る。

 

 

 さて、諸君、私は諸君に真実を告げることを恥じる。

 しかも私は、告げなければならない。

 すなわち、その席に居合わせたところの人が全て、それからの作品について、作者その人以上の説明を与え得たからである

 都市伝説のように伝えられているが、大学入試のこと。

 或る作家が自分の小説を問う入試問題を見て、

「こんな風にも、受け取れるんだ。そこまで考えていなかった。」

と呟いたというが、真相は知らない。

『ソクラテスの弁明』ではすでに同様の言葉が発せられてたのだと感心した。

 

 

神託とは

 神託(しんたく、英語: Oracle)

 神の意を伺う事。

 また、その時伝えられた言葉。

 道具により神の意を推し測る占いに近いものと、トランス状態になったシャーマンの口から伝えられるものとに分けられるが、何かを媒介にする点では同じである。

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

 

 

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』16  イオニア学派(厳密にはミレトス学派)とイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)

2021-04-27 | 哲学

春日大社にて

 

 

 

 『ソクラテスの弁明 クリトン』16  イオニア学派(厳密にはミレトス学派)とイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)

 

 

ギリシア哲学の起源

 イオニア学派(厳密にはミレトス学派)

 イタリア学派(ピタゴラス教団のこと)

 

 

イオニア学派とは

 イオニア学派(イオニアがくは、英: Ionian School)

 紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけて、イオニア地方を中心に活動したギリシア哲学における自然哲学者たちの総称である。

 イタリア半島で活動したイタリア学派と対置される。

 

 イオニア学派は、知覚的な情報を元に、自然・万物の根源である「アルケー」を様々に考察した自然哲学の嚆矢として知られる。

 ミレトス学派に括られる初期の自然哲学者である

     タレス

     アナクシマンドロス

     アナクシメネスの3人に加え、

     ヘラクレイトス、

     アナクサゴラス、

     アポロニアのディオゲネス、

     アルケラオス、

     ヒッポンなど

イオニア学派に含まれる。

 

 アリストテレスは彼らのことをピュシオロゴイ(physiologoi, 「自然について語る者」という意味)と呼んだ。

 

 イオニア学派という言葉の使用は、2世紀の哲学史家アレクサンドリアのソーティオーンまで遡ることができる。

 彼らが時々「宇宙論者」とも呼ばれる。

 ほとんどの宇宙論者は、物質はあるものからあるものに変わることはできるが、万物に共通の不変な何かを持っていると考えた。

 しかし、彼らは実験で見付けるのではなく、宗教や神話というよりはむしろ抽象的な推理を使って説明した。

 

 アリストテレスは『形而上学』の第一巻(Α巻)で彼らを最初の哲学者として紹介しており、西洋伝統の最初の哲学者たちとなったわけである。

 

 後の哲学者たちは思索の他の領域も含めるため、研究の幅を広げた。たとえばエレア派は、認識論、または、人間はいかにしてものが存在するのを知りうるのかを研究した。

 とはいえ、イオニア学派は我々が知っている最初の哲学者たちであり、歴史的にも依然重要なままである。 

 

 

イタリア学派とは

 イタリア学派(いたりあがくは)とは、 イタリア学派 (ギリシア哲学) - 古代ギリシア哲学においてピタゴラス学派やエレア派などイタリア半島南部(マグナ・グラエキア)を拠点とした学派の総称

 

     イタリア学派 (数学) - イタリアの代数幾何学の学派。

     イタリア学派 (音楽) - イタリアの音楽の学派・流派。

     ヴェネツィア楽派 ローマ楽派 ナポリ楽派 新イタリア楽派

 

 

 

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

 

 

 

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舞台『てにあまる』 2021年1⽉5⽇ 東京芸術劇場   脚本:松井周 演出:柄本明  藤原⻯也、⾼杉真宙、佐久間由⾐、柄本明

2021-04-27 | TVで舞台

 

 

舞台『てにあまる』

 

 

 舞台『てにあまる』をみた。

 舞台としての面白さはあったが、最後の終わり方は少し重厚感が足りない。

 途中で不協和音が取り入れられていて、舞台効果はあったものの、起用されている昭和風の歌謡曲(?)風の数々のメロディーや歌詞には違和感があり、また好みのジャンルの曲ではなかったので、辛かった。

 役者たちが各々、やりづらそうな感じで歯車が調和せず、また、れれ自体を狙ったという節もあって、演目の題さえまさしく、『てにあまる』であったことは、舞台として成功と言わざるを得ない。

 

 今回も簡単な、みたという記録のみにて失礼いたします。

 

 

 

 

 

 

 収録⽇:2021年1⽉5⽇

収録場所:東京 東京芸術劇場 プレイハウス

1時間半

 

 脚本:松井周

演出:柄本明

出演:藤原⻯也、⾼杉真宙、佐久間由⾐、柄本明

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15 乱鳥の哲学とは (初心者のはじめの一歩を踏み出す前に)  (1〜15)

2021-04-27 | 哲学
写真は、イランにて
 
 
 
15 乱鳥の哲学とは (初心者のはじめの一歩を踏み出す前に)  (1〜15)
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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『ソクラテスの弁明 クリトン』14  そもそも、哲学とは

2021-04-27 | 哲学

『ソクラテスの弁明 クリトン』14  そもそも、哲学とは

 

哲学

 哲学(てつがく、フィロソフィー 英: philosophy)

哲学

 原義的には

     「愛知」を意味する学問分野、

      活動

 現代英語のフィロソフィー(philosophy)の意味

     「哲学」

     「哲学専攻コース」

     「哲学説」

     「人生[世界]観」

     「達観」

     「あきらめ」

などを意味し、「愛知」などの意味は無い。

 

「愛知としての哲学」は知識欲に根ざす根源的活動の一つ。

 19世紀以降は自然科学が急発展して哲学から独立。

 

 哲学は主に

     美学

     倫理学

     認識論

という三つで形作られるようになった。

 

 

哲学者による哲学の定義

イマヌエル・カント

 近現代哲学において代表的な哲学者の言説を以下に記述する。

 啓蒙思想時代の哲学者であり、またドイツ観念論哲学の祖でもあり、そして近現代哲学に大きな影響力を持ち続けている哲学者、イマヌエル・カントは、哲学について次のように説明している。

 古代ギリシャの哲学は、三通りの学に分かれていた。

 すなわち

     物理学

     倫理学

     論理学

である。

 この区分は、哲学というものの本性にかんがみてしごく適切であり、これに区分の原理を付け加えさえすれば、格別訂正すべき点はないと言ってよい。

 ( イマヌエル・カント、『道徳形而上学原論』、篠田英雄訳、岩波文庫、1976年、5頁、「序言」より)

 

 哲学に従事する人物は哲学者(フィロソファー英: philosopher)と呼ばれる。

 

 

哲学の対象・主題

 紀元前の古代ギリシアから現代に至るまでの西洋の哲学を眺めてみるだけでも、そこには一定の対象というものは存在しない(他の地域・時代の哲学まで眺めるとなおさらである)。

 

 西洋の哲学を眺めるだけでも、それぞれの時代の哲学は、それぞれ異なった対象を選択し、研究。

 

 ソクラテス以前の初期ギリシア哲学では、対象は(現在の意味とは異なっている自然ではあるが)「自然」であった。

 

 紀元前5世紀頃のソクラテス< 不知の知 > の自覚を強調した。

 その弟子のプラトンや孫弟子のアリストテレスになると、人間的な事象と自然を対象とし、壮大な体系を樹立した。

 

 ヘレニズム・ローマ時代の哲学では、ストア派やエピクロス学派など、「自己の安心立命を求める方法」という身近で実践的な問題が中心となった(ヘレニズム哲学は哲学の範囲を倫理学に限定しようとしたとしばしば誤解されるが、ストア派やエピクロス派でも自然学や論理学、認識論といった様々な分野が研究された。

 

 ヨーロッパ中世では、哲学の対象は自然でも人間でもなく「神」であったと謂われることが多い。

 しかし、カッシオドルスのように専ら医学・自然学を哲学とみなした例もある。

 

 ヒッポのアウグスティヌスからオッカムのウィリアムに至る中世哲学者の多くは言語を対象とした哲学的考察に熱心に取り組んだ。

 

 また、中世の中頃以降は大学のカリキュラムとの関係で「哲学」が自由七科を指す言葉となり、神学はこの意味での「哲学」を基盤として学ばれるものであった。

 

 さらに時代が下り近代になると、人間が中心的になり、自己に自信を持った時代であったので、「人間による認識」(人間は何をどの範囲において認識できるのか)ということの探求が最重要視された。

「人間は理性的認識により真理を把握しうる」とする合理論者と、「人間は経験を超えた事柄については認識できない」とする経験論者が対立した。

 

 カントはこれら合理論と経験論を総合統一しようとした。

 

 19世紀、20世紀ごろのニーチェ、ベルクソン、ディルタイらは、いわゆる「生の哲学」を探求し、「非合理な生」を哲学の対象とした。

 

 キルケゴール、ヤスパース、ハイデッガー、サルトルらの実存主義は、「人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか」ということを中心的課題に据えた。

 

 このように哲学には決して一定の対象というものは存在しなく、対象によって規定できる学問ではなく、冒頭で述べたように、ただ「philosophy」「愛知の学」とでも呼ぶしかないとされている。

 

 学問としての哲学で扱われる主題には、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為、経験、世界、空間、時間、歴史、現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性、世界の起源のような根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩などがある。一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多い。

 これらの主題について論じられる事柄としては、定義、性質、複数の立場・見解の間の整理などがある。

 これをひとくくりに「存在論」とよぶことがある。地球や人間、物質などが「ある」ということについて考える分野である。

 また、「高貴な生き方とは存在するのか、また、あるとしたらそれはどのようなものなのか」「善とは永遠と関連があるものなのか」といった問いの答えを模索する営みとして、旧来の神学や科学的な知識・実験では論理的な解答を得られない問題を扱うものであるとも言える。

 

 またこのようなテーマは法哲学の現場に即しておらず、真偽が検証不可能であり、実証主義の観点からナンセンスな問いであると考える立場もある(例えば論理実証主義)。

 こちらは、ひとくくりに「価値論」とよぶことがある。

 よい」ということはどういうことなのか、何がよりよいのかを考える分野である。

 

 

『ソクラテスの弁明 クリトン』13  倫理学、道徳哲学

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』13  倫理学、道徳哲学

2021-04-27 | 哲学

 『ソクラテスの弁明 クリトン』13  倫理学、道徳哲学

 

倫理学(りんりがく、希: Ηθική、羅: ethica、英: ethics、仏: éthique )

道徳哲学(どうとくてつがく、英: moral philosophy)

 一般に行動の規範となる物事の道徳的な評価を理解しようとする哲学の研究領域の一つである。

 

 法哲学・政治哲学も規範や価値をその研究の対象として持つ。

 こちらは国家的な行為についての規範(法や正義)を論ずることとなる。

 

 ただし、これら二つの学問分野が全く違う分野として扱われるようになったのは比較的最近である。

 

倫理学

 

 倫理学の研究対象とは道徳の概念によって見定めることができる。

 この道徳の定義の問題に対して異なる見解が示されている。

 一般的に道徳とは社会において人々が依拠するべき規範を確認するものである。

 しかし、道徳とは理性によりもたらされるものであるのか、感情によってもたらされるものであるかについては議論が分かれている。

 

 デイヴィッド・ヒュームの見解によれば、事実についての「である」という言明から規範についての「であるべき」という言明を結論付けることは論理的にできない。

 これはヒュームの法則とも呼ばれる主張であり、したがって理性によって道徳的な判断を導くことは不可能であると考える。

 ヒュームは道徳的な判断が感情に起因するものであるという立場にあり、より厳密には自身の利益から道徳性が発生したとも論じている。

 

 一方でイマヌエル・カントは理性から道徳法則を導き出している。

 カントは道徳性を自由選択と関連づけて理解しており、人間は自分自身の理性に従う時にだけ自由になることができると考える。

 そして理性によって人格として行為するための道徳的な規範の実在が主張される。

 このような道徳性の根源についての研究はメタ倫理学(Meta-ethics)の研究として包括することができる。

 また道徳性の具体的な内容については規範倫理学(Normative ethics)という研究領域で扱われている。

 この領域で古典的アプローチの一つに徳倫理学がある。

 

 プラトンやアリストテレスの研究はその中でも最も古い研究であり、彼の分析は人間に固有の特徴に基づいた美徳を中心に展開している。

 例えば危機に際して蛮勇でも臆病でもなく、その中庸の勇敢さを発揮する人間の特性を指して美徳と呼ぶ。

 このような研究に対して義務論の学説は道徳規則に基づいている。

 

 カントは人間の道徳法則としてどのような場合においても無条件に行為を規定する定言命法という原理を提唱した。

 この立場において人間は実在する道徳規則に対して従う義務を負うことが主張される。

 また義務論と反対の立場に置くことができる立場として結果論の立場がある。

 この立場に立った功利主義の理論がジェレミー・ベンサムによって提示されている。

 

 ベンサムによれば、行為を正当化する時の判断の基準点とは行為によってもたらされる結果であり、具体的には効用によって計算される。

 ベンサムは行為がもたらす快楽の程度を最大化するように行為する最大多数の最大幸福の原理を提唱した。

 

 

ギリシア・ローマ

 ソクラテス以前、古代ギリシアの伝統・神話に囚われない哲学的営

    *アナトリア半島(小アジア半島)西海岸のイオニア学派に始まる「自然哲学」

    *イタリア半島南部(マグナ・グラエキア)のイタリア学派(ピタゴラス学派・エレア派)に始まる「数理哲学・論理哲学」

という2つの潮流が主導する形で始まった。

 その中には、

    ピタゴラス学派(ピタゴラス教団)のように宗教教団的色彩を帯びたり、

    ヘラクレイトスのようにその世界観と共に倫理を説く者もいた。

 後世で大きな潮流を成すには至らなかった。

(とはいえ、これらが後述するプラトンの思想形成に一定の影響を与えた事実は見逃せない。)

 

ソクラテス・プラトン

 第3の哲学として「倫理哲学」(倫理学)を確立・大成するに至った。

     アテナイを拠点としたソクラテス

     彼を題材として多くの著作を残したプラトン

(紀元後3世紀に『ギリシア哲学者列伝』を書いたディオゲネス・ラエルティオスも、その著書の中で、ソクラテスを「倫理学」の祖と明記している)

 

 ソクラテスは、問答法(弁証法・ディアレクティケー)を駆使しながら、「徳」の執拗な探求とその実践、そしてアテナイ人をはじめとする民衆への普及に生涯を費やした。

 彼自身は著書を残さなかったが、彼の弟子の1人であるプラトンが、(アテナイの民衆に刑死に追い込まれたその悲劇的な死も含め)その生涯を題材に数多くの著作(対話篇)を残し、彼の学園アカデメイアを中心に普及させたことで、その学派アカデメイア派の隆盛とともに、後世に大きな潮流を形成するに至った。

 プラトンは、40歳頃にイタリア半島南部(マグナ・グラエキア)に旅行し、当地のピタゴラス学派・エレア派と交流を持ったことで、独自の思想を形成するに至り、「イデア論」を背景として「善のイデア」を探求していく倫理学思想を確立した。

 この倫理学は、個人で完結するものではなく、哲人王や夜の会議を通じて、現実の政治・法治・国家運営へと適用・活用されることが要請される。

 また、ソクラテスには、プラトンの他に数多くの弟子・友人がおり、その中からはメガラのエウクレイデスに始まるメガラ学派、アリスティッポスに始まるキュレネ派、アンティステネスに始まるキュニコス派といった学派や、多くの著作を残したクセノポン等を輩出し、後世に影響を与えた。

 

アリストテレス以降

 プラトンのアカデメイアで学んだアリストテレスは、アレクサンドロス大王の家庭教師を経つつ、50歳ごろにアテナイ郊外に自身の学園リュケイオンを設立。

 倫理学を含む総合的な学究に務めた

 彼の学派ペリパトス派(逍遥学派)は、プラトンのアカデメイア派と並ぶ一大潮流となり、後世に大きな影響を与えた。

 アリストテレスの倫理学は、(論理学・形而上学と共に)ソクラテス・プラトンのそれを更に精緻化したものであり、「最高善」を究極目的とした目的論的・幸福主義的な倫理学としてまとめられた。

 また、ソクラテス・プラトンの場合と同じく、倫理学が政治学の基礎となっており、現実の政治・国制へと適用・活用することが要請される。

 

 アリストテレスの倫理学的著作は、ペリパトス派(逍遥学派)の後輩たちに継承され、『ニコマコス倫理学』等として編纂された。

 

 他の倫理学的学派としては、アカデメイアやリュケイオンで学んだエピクロスに始まるエピクロス派や、キュニコス派・アカデメイア派の影響を受けたゼノンに始まるストア派などがある。

 

 古代ローマへは、キケロ等の著作を通じて、アリストテレスやストア派の思想が紹介・伝播され、ローマ帝国末期にキリスト教が席巻するまで、大きな影響力を誇った。

(アリストテレスの著作・思想は、後に中東・イスラーム圏経由で、中世の欧州に再輸入され、スコラ学の形成に大きな影響を与えた。)

 また、プラトンの思想は、ネオプラトニズムを経由しつつ、キリスト教神学・キリスト教哲学へと吸収され、その骨子の一部となった。

 

 

   

『ソクラテスの弁明 クリトン』14  そもそも、哲学とは

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』12  エピクロス(死によって人間は感覚を失うのだから、恐怖を感じることすらなくなるのであり、それゆえ恐れる必要はないといった主張)

2021-04-27 | 哲学

 『ソクラテスの弁明 クリトン』12  エピクロス(死によって人間は感覚を失うのだから、恐怖を感じることすらなくなるのであり、それゆえ恐れる必要はないといった主張)

 

 ギリシア哲学の起源

  アナクシマンドロスから始まるイオニア学派(厳密にはミレトス学派)

     ソクラテス(ソクラテス学派)

     プラトン(古アカデメイア学派)

  ピタゴラスから始まるイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)

     パルメニデス(エレア派

     ゼノン(エレア派)

     エピクロス(エピクロス学派)

 

エピクロス

 エピクロス(Επίκουρος、Epikouros、紀元前341年 – 紀元前270年)

 快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。

 エピクロス派の始祖である。

 現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主張した。

 後世、エピキュリアン=快楽主義者という意味に転化してしまう。

 エピクロス自身は肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、肉体的快楽をむしろ「苦」と考えた。

 

自然思想と認識論 エピクロス

 エピクロスの自然思想は、原子論者であったデモクリトスに負っている。

 つまりそれ以上分割できない粒子である原子と空虚から、世界が成り立つとする。

 そうした存在を把握する際に用いられるのが感覚であり、エピクロスはこれは信頼できるものだとみなし、認識に誤りが生じるのはこの感覚経験を評価する際に行われる思考過程によるものだとした。

 こうした彼の認識論は、後述する彼の倫理学説の理論的基盤となっている。

 

 たとえば彼は「死について恐れる必要はない」と述べている。

 その理由として、死によって人間は感覚を失うのだから、恐怖を感じることすらなくなるのであり、それゆえ恐れる必要はないといった主張を行っている。

 このように「平静な心(ataraxiaアタラクシア)」を追求することを是とした彼の倫理学説の淵源は、彼の自然思想にあると言える。

 

エピクロスの倫理学

 エピクロスは、幸福を人生の目的とした。

 これは人生の目的を徳として、幸福はその結果に過ぎないとしたストア派の反対である。

 倫理に関してエピクロスは

「快楽こそが善であり人生の目的だ」

という考えを中心に置いた主張を行っており、彼の立場は一般的に快楽主義という名前で呼ばれている。

 ここで注意すべきは、彼の快楽主義は帰結主義的なそれであって、快楽のみを追い求めることが無条件に是とされるものではない点が重要である。

 すなわち、ある行為によって生じる快楽に比して、その後に生じる不快が大きくなる場合には、その行為は選択すべきでない、と彼は主張したのである。

 より詳しく彼の主張を追うと、彼は欲求を、自然で必要な欲求(たとえば友情、健康、食事、衣服、住居を求める欲求)、自然だが不必要な欲求(たとえば大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活)、自然でもなく必要でもない欲求(たとえば名声、権力)、の三つに分類し、このうち自然で必要な欲求だけを追求し、苦痛や恐怖から自由な生活を送ることが良いと主張し、こうして生じる「平静な心(アタラクシア)」を追求することが善だと規定した。

 こうした理想を実現しようとして開いたのが「庭園」とよばれる共同生活の場を兼ねた学園であったが、そこでの自足的生活は一般社会との関わりを忌避することによって成立していたため、その自己充足的、閉鎖的な特性についてストア派から激しく批判されることになった。

 このようにエピクロスによる快楽主義は、自然で必要な欲望のみが満たされる生活を是とする思想であったが、しばしば欲望充足のみを追求するような放埒な生活を肯定する思想だと誤解されるようになった。

 しかしこうした生活については、エピクロス自身によって「メノイケウス宛の手紙」の中で、放埒あるいは性的放縦な享楽的生活では快がもたらされないとして否定的な評価が与えられている。

 

エピクロスの語録

*「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」

*「われにパンと水さえあれば、神と幸福を競うことができる」

*「われわれが快楽を必要とするのは、ほかでもない、現に快楽がないために苦痛を感じている場合なのであって、苦痛がない時には、我々はもう快楽を必要としない」

 

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

 ウィキペディア

 

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『ソクラテスの弁明 クリトン』11  ゼノン(アリストテレスによれば質疑応答により知識を探求する方法(弁証法)は、ゼノンにより発見)

2021-04-27 | 哲学

 『ソクラテスの弁明 クリトン』11  ゼノン(アリストテレスによれば質疑応答により知識を探求する方法(弁証法)は、ゼノンにより発見)

 

 ギリシア哲学の起源

  アナクシマンドロスから始まるイオニア学派(厳密にはミレトス学派)

     ソクラテス(ソクラテス学派)

     プラトン(古アカデメイア学派)

  ピタゴラスから始まるイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)

     パルメニデス(エレア派

     ゼノン(エレア派)

     エピクロス(エピクロス学派)

 

ゼノン

 ギリシア語: Ζήνων [zdɛ̌ː.nɔːn]、英語: Zeno [ˈziːnoʊ]、ドイツ語: Zenon, Zeno [ˈtseːnɔn, ˈtseːno]。

 ゼウスに由来する。

   ギリシア語では長母音を考慮すると「ゼーノーン」

   英語では「ジーノウ」、ドイツ語では「ツェーノン」

と発音する。

 

   ゼノン (エレア派) - エレア派の哲学者。パルメニデスの弟子。

   他に

   ゼノン (ストア派) - ストア派の創始者。

   ゼノン (エピクロス派) - 後期エピクロス派の哲学者。シドンのゼノンとも呼ぶ。

 

エレア派のゼノン

 エレアのゼノン(希: Ζήνων Έλεάτης、羅: Zeno Eleates、英: Zeno of Elea、仏: Zénon d'Élée、独: Zenon von Elea、 紀元前490年頃 - 紀元前430年頃)

 古代ギリシアの自然哲学者

 南イタリアの小都市エレアの人。

 ゼノンのパラドックスを唱えたことで有名。

 

エレア派のゼノンの学説

 アリストテレスによれば、質疑応答により知識を探求する方法(弁証法)は、このゼノンによって初めて発見(発明)された。

 彼の論法は、もし存在が多であるならば、それは有限であると共に無限であるというような矛盾した結論を、相手方の主張を前提とすることから導き出して、これを反駁するところに特色がある。

 これらの論証は、パルメニデスの唯一不動の存在の考えを弁護する立場からなされている。

 この一と多の関係についての議論のなかから、有名なゼノンのパラドックスが提示された。

 運動不可能を論じた〈アキレウスと亀〉〈飛ぶ矢は動かず〉等の論証は有名。

 特に前者はパルメニデスのものであるとも言われる。

 

「実在するものが世界のすべてであり、変化も運動も存在しない」。

 これこそゼノンがパルメニデスから継承した命題。

 レウキッポスに影響を与えた。

 

 ゼノンの世界観とは、以下のとおりであったという。

 いくつかの世界が存在しており、空虚(虚空間)は存在しない。

 万物の本質は温・冷・乾・湿の諸要素からできており、そしてこれらは相互に変化するものである。

 人間は大地から生まれたものであり、魂は先ほどの4つの要素が混合したものである。

 その際、それらの要素のどれ一つも優位を占めない状態にある。

   

 

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

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『ソクラテスの弁明 クリトン』10  パルメニデス「死すべき人の子らにお前がそれらの知識で劣ることがないように」

2021-04-27 | 哲学

 『ソクラテスの弁明 クリトン』10  パルメニデス「死すべき人の子らにお前がそれらの知識で劣ることがないように」 

 

 ギリシア哲学の起源

  アナクシマンドロスから始まるイオニア学派(厳密にはミレトス学派)

     ソクラテス(ソクラテス学派)

     プラトン(古アカデメイア学派)

  ピタゴラスから始まるイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)

     パルメニデス(エレア派)

     ゼノン(エレア派)

     エピクロス(エピクロス学派)

 

パルメニデス

 パルメニデス(古希: Παρμενίδης, Parmenidēs, パルメニデース、紀元前520年頃-紀元前450年頃)

 古代ギリシアの哲学者。

 南イタリアの都市エレア出身で、論理哲学的・超越思想的な学派であるエレア派の始祖

 アナクサゴラスの弟子クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。

 名門の家柄。

 祖国エレアのために法律を制定したともいわれる。

 クセノパネス等にならって、詩の形で哲学を説いている。

 その中でも教訓詩『自然について』(希: Περὶ Φύσεως, ペリ・ピュセオース)が断片として現存する。

 

パルメニデス

 知覚可能な物理現象を抽象化した「アルケー」や「幾何学的対象」を考察してきたそれまでの哲学者たちとは異なる。

  「ある(有/在)」という概念を、 「あるもの(有/在、ト・エオン)はあり、あらぬもの(非有/不在、ト・メー・エオン)はあらぬ」

  「あるもの(有/在、ト・エオン)は、唯一・不動・不変であり、理性による「真理の道」でのみ認識・探究可能」

  「あらぬもの(非有/不在、ト・メー・エオン)は、認識され得ず、探究不可能」

  「多様と変化を許容する、あり(有/在)かつあらぬ(非有/不在)もの(すなわち物理現象)は、感覚による「臆見の道」で認識される誤謬」

といった排中律的な原則・前提と、二元論的な世界観に基づいて、理性的・論理的に規定。

 知覚可能で変動的な「物理現象」とは区別・隔絶された、超越的な(唯一にして不動不変の)「本質存在」を提唱した最初期の哲学者として知られる。

(もちろん唯一不動不変の「本質存在」のみを真の存在として認めるという立場を強調するならば、一元論と表現することもできる。)

 

 彼を祖とするエレア派の存在論は、このように感覚よりも理性(ロゴス)を優先するという意味において理性主義。

 その主張は「運動や変化の否定」など、著しく経験・直感に反する内容を持つ。

 

「アキレスと亀」で知られるパラドクスは、運動が存在しない(仮象・幻覚である)ことを示すためにパルメニデスの弟子であるゼノンによって提起されたものである。

 

 パルメニデスが主張する超越的な「本質存在」としての「在るもの」(ト・エオン, τὸ ἐόν, to eon)は、下述するパルメニデス自身の著書『自然について』においては、一種の「球体」として、素朴な形で構想・表現されている。

 

 彼の思想に影響を受けたプラトンの対話篇『パルメニデス』や『ティマイオス』(のデミウルゴス)を通じて、その「本質存在」思想がより抽象化・神秘化、あるいは体系化・神話化された形で喧伝されたことで、エレア派の枠を超えて、アリストテレスの「不動の動者」や、新プラトン主義であるプロティノス等の「一者」(ト・ヘン, τὸ ἕν, to hen)、グノーシス主義、キリスト教の神学(否定神学を含む)など広範囲に影響を与えたため、パルメニデスはそうした西洋の超越思想・神秘思想の系譜の元祖に位置付けることができる

(ちなみに、世界を「変化・生成消滅する物理現象」と「超越的で永遠不変な存在」に分ける二元論や、その超越的存在を「球体(としての神)」として表現する発想は、パルメニデスより前に、彼の師とされるクセノパネスによって、既に提示されていたことが知られている。)

 

『自然について』

 パルメニデス自身の思想は、直接的には断片として残る教訓詩『自然について』から推測するしかない。

 

『自然について』

『自然について』の導入部に続いて「ある」と「あらぬ」についての言及がある。

「「ある」そして「あらぬことは不可能」という道」を真理の道と位置づけ、以降、「ある」や「あらぬ」についての議論が続く。 その中で「あらぬ」は規定すらもできぬものとして否定され、「ある」は不生不滅で時間的にも不変であるとされ以上の「信頼できる言説」の後、Fr.VIII 50 から「死すべき人の子らのまことの証なき思惑(ドクサ)」

として、「火」と「土」の二元素論による自然現象の説明を展開している。これを述べた意図は、「死すべき人の子らにお前がそれらの知識で劣ることがないように」とされる。

 

 

 

 

参考

『ソクラテスの弁明 クリトン』

  プラトン  著

  久保 勉  翻訳

  岩波文庫 青601-1

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