写真は奈良公園
某理由で米についてここしばらく本を読んだり調べていたが、如何にもこうにも思い通りの資料が見当たらない。
仕方がないので今日はネットサーフィンで米について調べていると、中村直三という名を再三見かけた。
私の調べたい内容ではなかったのだが、中村直三という名前は覚えておいて良いだろうと思い、記録することにした。
中村 直三(なかむら なおぞう、文政2年3月8日(1819年4月2日) - 明治15年(1882年)8月13日)
奈良県出身の老農(篤農家)・農業指導者。
群馬県の船津伝次平、香川県の奈良専二と並び、「明治の三老農」の一人として明治農法の確立に努めた。
また、従来の農書とは別に、角力番付、一枚刷り、小冊子など、農民にわかりやすい形式を活用して、自らの農法を積極的に広めた。
略歴
1819年、大和国山辺郡永原村(現天理市)の貧農の家に生まれた彼は、幕末各地で起きた農民一揆を機に、米の増収こそ問題解決の根本であると考え、1863年以後イネの比較試作による品種改良を終生の仕事とした。
その成果は着々と実り、1868年、永原村など11ヶ村の耕地実測や農事改良、稲種選抜などの功績で大和各藩から表彰された。
のち1872年に『地蔵早稲』を、1877年には76種の優良稲種を明治政府勧業祭(現農林水産省)へ提出、秋田・宮城・石川・大分各県の稲作指導にもあたった。
さらに1881年、第二回内国勧業博覧会には実に740種の稲種を出品、全国の代表的稲種品種改良家と仰がれたが、翌1882年8月13日に病死した。
著書
『勧農微志』
『伊勢錦』
『筆松といふ者の米作りの話』
『畑稲』
『ちわら早稲』
『稲種選択法』
『稲田収量実験表』など
中村直三農功之碑 - 奈良市・奈良公園内
(Wikipedia)
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