真っ赤だった彼岸花も盛りを過ぎて、ちょっとぼんやりしてきましたね。
半田のごんの里でも、きっとたくさんの彼岸花が咲いたことでしょう。 新美南吉記念館
「ごんぎつね」を読んだのは、、小学3年生のとき。小学館「小学3年生」の中でした。
お話を読んで泣いたのは、これが生まれてはじめてでした。
ごんがかわいそうで、かわいそうでなりませんでした。
お話の村にいけるなら、「栗とかまつたけを持ってきてるのはごんなんだよ」と兵十に教えてあげたのに、私が優しい、かわいそうなごんを守ってあげたのに。
このお話はちょうど今頃。彼岸花が咲いて、栗の実が落ち、まつたけが出てくるこの時期のお話です。
兵十が母のために採ったうなぎをごんが逃がしてしまったのは、悪いいたずらだったけど、
自分がしたことの意味が、相手にとってどんなものであるのかわからない時っていうのは、毎日の中でもたくさんあります。
相手にとって重大な意味があることに気づかずに、何も考えず傷つけているということもあります。
暮らしていくってことは、それだけで、手探りな、恐ろしいものなのかもしれません。
そんな恐ろしさに気づかず、「平気の平左」で暮らしているのかもしれません。
それに気づいた時、相手に痛手を与えてしまったとわかってしまった時
それを背負って、泣きながら、お詫びをしようとできるだろうか。
傷つけた当の相手から、そうやってそっとお詫びをされた時、素直に受け入れることができるだろうか。
優しい きくさん のことばの中に、 「まるで、涙がいっぱいたまった目で、世界を見ているみたい」という部分があり、数日、この言葉がリフレインしています。
手探りな、この場所で、涙をいっぱいためた目で。ごんと同じように、真っ赤な彼岸花を見ながら。
「ごんぎつね」は、上記新見南吉記念館のHPにて読むことができます。ぜひこの季節にご再読ください。
半田のごんの里でも、きっとたくさんの彼岸花が咲いたことでしょう。 新美南吉記念館
「ごんぎつね」を読んだのは、、小学3年生のとき。小学館「小学3年生」の中でした。
お話を読んで泣いたのは、これが生まれてはじめてでした。
ごんがかわいそうで、かわいそうでなりませんでした。
お話の村にいけるなら、「栗とかまつたけを持ってきてるのはごんなんだよ」と兵十に教えてあげたのに、私が優しい、かわいそうなごんを守ってあげたのに。
このお話はちょうど今頃。彼岸花が咲いて、栗の実が落ち、まつたけが出てくるこの時期のお話です。
兵十が母のために採ったうなぎをごんが逃がしてしまったのは、悪いいたずらだったけど、
自分がしたことの意味が、相手にとってどんなものであるのかわからない時っていうのは、毎日の中でもたくさんあります。
相手にとって重大な意味があることに気づかずに、何も考えず傷つけているということもあります。
暮らしていくってことは、それだけで、手探りな、恐ろしいものなのかもしれません。
そんな恐ろしさに気づかず、「平気の平左」で暮らしているのかもしれません。
それに気づいた時、相手に痛手を与えてしまったとわかってしまった時
それを背負って、泣きながら、お詫びをしようとできるだろうか。
傷つけた当の相手から、そうやってそっとお詫びをされた時、素直に受け入れることができるだろうか。
優しい きくさん のことばの中に、 「まるで、涙がいっぱいたまった目で、世界を見ているみたい」という部分があり、数日、この言葉がリフレインしています。
手探りな、この場所で、涙をいっぱいためた目で。ごんと同じように、真っ赤な彼岸花を見ながら。
「ごんぎつね」は、上記新見南吉記念館のHPにて読むことができます。ぜひこの季節にご再読ください。
相手に痛手を与えてしまったとわかってしまった時、それを背負って、泣きながら、お詫びをしようとできるだろうか。
傷つけた当の相手から、そうやってそっとお詫びをされた時、素直に受け入れることができるだろうか。
胸を打たれました。運命を受け入れる覚悟が出来ているか。自問自答しています。
うさとンちに栗とか松茸とか持ってきた時は、
鉄砲で撃たずに、
ちゃーんと、けんぎつねからだって、気がつくからね(わびる理由がなくっても、持ってきてくれて構わんゾ)
大事なのは、自問自答する気持ちさ。
こんばんは、うさとさん。
私は、まったくの屁理屈をこねては相手を傷つけてばかり。後から自分のあやまちに気づいても修復できずに、その人とはそのまま疎遠になっていきます。「気づく」ってのもある一瞬だけのようで、同じことを繰り返していた時期がありました。そうして周りには人がいなくなりました。当たり前ですね。
自分でもわかりませんが、とても攻撃的だったのです。そう、手探りで恐ろしいものなのに、ね。今になってやっとそう思います。
「ごんぎつね」懐かしいです。私は小学校4年生の時に国語の授業で出会いました。6章目を暗記して、皆で朗読発表をした記憶があります。ですので、悲しい余韻が残るラストシーンと、おおまかな物語の流れは覚えていましたが、細かな描写はすっかり忘れていました。当時の村の様子がわかっておもしろい。おはぐろ、葬列、かみしも、いわし売り、かまど、土間。
半田にある南吉の生家を訪ねたことがあります。ちっちゃくて、入った瞬間胸がぎゅうぅぅってなりました。近くのお寺さんや田んぼのあぜ道とかぶらぶらして、長閑で気持ちのいいところでした。(7年前)
自分としては、ジョークだったのにもかかわらず相手には通じませんし、少し大人の考えもなかった自分も愚かだったのは言うまでもありませんでした。
それ以来なんの音沙汰もありません。
反省していますが、なかなか離れているこのお宅にいけずに今まで来ています。
許すと許されるという範囲は、その人々によって器がそれぞれのような気がします。
育ってきた環境や条件が何十年もかかってそれぞれ養われてきて、違った人生や考え方をもった人々がおんなじ気持ち思いになるのには、そうとうな時間がかかる気がします。
長良川河口堰の問題もそうです。
魚道研究科の人々の意見と魚組合の人々との話し合いの平行線、その川で暮らす人々と生活している人々。
片方では自然の環境やサツキマスなどの生物とのかかわりなど、考えることは沢山あります。
でも反対に河口堰が出来たことによって、多くの人々が安心して暮らす地域もあるのです。
知多半島の人々は、そうとうな断水や水不足で悩み苦悩してきていた、人口も半端な数の人々でないはずです。
その知多半島の生活水を河口堰が出来たことで解消されているってことを知っている方は数、少ないと思います。
魚や自然の仕組みを壊してまでも治水と生活水のために私たち人間がいろんなしがらみの中でおこなわれています。
考えすぎかもしれませんが、いろんなこと考えすぎて頭がこんがらがっているバルタンがここにいます。
いろんなことがありすぎて、なかなかコメントできずにご無沙汰していました。
また、遊びにきます。
半田は、私も行きました。南吉記念館は、一度行ってほしいとこです。南吉の生涯に、涙こぼれました
河口堰の問題も「すりあわせ」が難しい問題ですね。
一刀両断、ってわけにも行かないもんね。わかりあうための言葉が、いつしか、言葉の戦いになってしまっているようだし。私もこんがらがっていますね。一つ一つ、解いていかないといけないんだと思います。
うん、また、遊びに来てくださいね。
これできるようになりたい。
己の間違いを認めた瞬間、ガラガラと崩れていくんではなかろうかと恐れている自分がいます。
何が崩れるの?
わからない。けど怖い。
>わかりあうための言葉が、いつしか、言葉の戦いに
対話するとき、「伝える」ことを大切にして言葉を選ぶけれども、その言葉に託された思いの全部(とか真実)までは(十分に)届かない。もどかしきこと。そしてまた、折り合いをつけることの難しさよ。
自分自身の中でも、言葉を使って「思考」するから使いこなせる言葉が足りないとこんがらがったままそこで打ち止め~。そっか。ひとつんつ解いていく作業か。
私は「パーマン」世代なんですが、うさっさんはご存知ですか、コピー人形。鼻にあるボタンをぽちっと押すと、人形が、押した本人(ミツオ)のコピーになるというもの。顔形すべて。「パーマン(間の抜けたヒーロー)」に変身して任務を遂行している間、本来の生活をコピーに代行してもらうのです。時にそのコピーとミツオがケンカするんですよねぇ。コピーなのにかよ?!と当時思ってましたけど、ひとりの人間の中にだっていくつかの人格(というか多面性)があるわけで、普通に葛藤してるし。
話がずれましたけど、相手との折り合い、自分との折り合い、どっちも難しいな。
塾ではこらえてたけど家で再読してほろり。
脱サラしてジャム屋をはじめた男の人のところに鹿の娘があらわれて、レッテルに美しい絵を描いてくれて、ジャム屋が繁盛して…。って話です。
短篇だしそのころはネットしてなかったからずーっとずーっと全部読みたい!って思ってて、でも見つからなくて。最近でた傑作選のなかの一冊「恋人たちの冒険」に入っていて、全部読んで、やっぱり泣きました。
なんか話が大幅にずれてしまいました。ごめんなさい。
でも、うさとさんの文章であのときの気持ちを思い出して、つい。
パーマンについて。パーマンをピーマンにして替え歌つくって歌ってました。僕の名前はピーマンさ、てな具合に。コピー人形は不思議だったよね。コピー人形がやってくれた宿題はちゃんと覚えてられるのかとか、真剣に考えてましたよ。ほしい!!とも思ってました。でも、コピーにやってもらったとわかったらかっこ悪いんで、その分予習したら、やっぱ、自分がやるのと同じ手間がかかってしまうとか、考えれば考えるほどわかんなくなったり。
携帯からありがとう。
「あるジャム屋の話」是非、読んでみますね。
初めて泣いたお話を思い出すと、夕暮れに一人帰り損ねたような気分になります。私も、久しぶりにごんぎつねを読んでみましたが、やっぱり、もう、お話のはじめのうちから泣けてしまいました。
あとは、どんなのがすき?