うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

おとぎ話の原っぱで

2005年08月10日 | ことばを巡る色色
今日はひとつ悲しいことがありました。やっと友達になれそうだった人と会えなくなるということです。
ブログは、まったく見ず知らずの人とのお付き合いで、思いやりも、黒い思いも増幅していくものなのかもしれません。
現実の社会の中だったら、どこかで歯止めをかけているところがころりころりと坂を下っていくように、遠くまで行ってしまうものかもしれません。
人は誰も心の中に黒い塊を持っている。それは否定できないことだと私は思います。その塊をきれいさっぱり消してしまおうと努力する人やら、そんなもの持ってないわと否定する人や、だからどうなのさと突っ張る人やら、さまざまだと思いますが、私は、その塊を持ったことをわかった上で、どう生きるかが大切だと思います。否定したって、開き直ったって、たいしたことができそうにない私だからです。あるものは認めてしまって、その上でどうやっていこうかと考える方が、私にはぴったりきます。
だから、私が一番怖いのは、「自分が自分に絶望する」ということです。自分を嫌いになるということです。黒い塊を持っていたって、それに向かっていこうとする私は嫌いではありません。でも、それを他人にぶつけようと自分がしたら、そんな自分の醜い横顔を想像したら、とても自分であることに耐えられません。だから、自分を嫌いにならないように心に問いかけます。私は今、どんな顔で世の中を見ているんだろうって。このバーチャルな世界の中で、名無しで黒い思いを打ち込んでいる人たちは、どんな横顔の自分を、自分の中に描いているんでしょう。他人を攻撃すれば、自分が他人を羨んでる気持ちを露呈するばかりなのに。自分は負けてて、だからこうやって攻撃してるんですよって、言ってるみたいなのに。
このバーチャルな世界の話に戻りましょう。ここでは、書かれていることが全てです。うそを書いても、大げさを書いても、JAROが裁きに来てくれるわけではありません。逆に言えば、なりたい自分を装うこともできます。疑い出せば、一言一句信じられるものはありません。大金持ちの振りでも、天才の振りでも、この波の世界で本当ならば、信じて疑わないことしかできないのでしょう。でも、書かれたものが全てだから、書かれたものを信じていけばいいと思います。ここは、おとぎ話の世界ですから、この中で正しければ、何を疑うことがあるんでしょうか。このおとぎ話の中の友達にどんな真実を求める必要があるでしょうか。私が、うさととして書いたことに、心を込めて返事を下さる、それ以上の何が必要なんでしょうか。それだけで、十分です。もちろん、その人はうそを書いたわけではないと思います。しかし、悪意はやってきた。おとぎ話の友達だけど、その友達が遠くに行ってしまったことを、リアルな私が悲しく思っています。
コメント (18)
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