うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

新しい国の人々雑感

2005年08月14日 | ことばを巡る色色
皆様、暑いお盆休み(今は夏期休暇という会社が増えたとか、ドウトカ)いかがお過ごしでしょうか。
私も、ビッグな5日間休暇2日目でございます(その中でやらなきゃならない本業、内職仕事を積み残してはいるんですが)
知人の中には、世の夏期休暇に先駆け、ドバイ(ドバイ!!ですよ)に行ってきた人やら、ひるがのの別荘の人やら、万博やら、帰省の人やらですが、私はかわいらしくおうちで「プルートウ」2巻読んだりして、お休みを満喫です。
家人の知人は今、ビッグサイトに行っています。
何でも、このイベントはすごい集客力で、携帯の基地局がやってきたり、それでもあまりの情報量で携帯かけにくかったり、幕張からビッグサイトにイベント会場が変わるときは幕張関係から、県に陳情書が出たりと、大変なものだということです。
この夏休み大オタク祭り。家人との間で、オタとはなんぞ、って話題が飛び交っています。
オタクは双葉より芳し
これが私の持論です。オタクな方はもう、10歳を過ぎるとわかる。
立ち姿、物言い、身のこなし、全てがローティーンのころにオタク的に形成されている。得意が通用するコミュニティでは雄弁、それ以外では慇懃丁寧。時間当たりの発語数が、1.5倍程度あるのでわかりやい。また、コミケの近くを通りかかったりすると、大抵は1㎞位先からわかる。複数集まると強烈なオタクビームを放ってくるからかもしれない。
その後、オタク的オタクになるか、別の分野のオタクになるかという進路の別はあるんだけど、オタク的ローティーンでない子がオタクになることはない。
オタク的人種が日本に生まれたのは、大阪万博以降のことだと思う。それ以前の生まれで、始祖オタク系統は、たいてい、線路で写真撮ってるか、赤い表紙の戦闘機本読んでるか、小屋で演劇論ぶってるか、空の飛行機エンジン音聞いてるか、野原で捕虫網振ってるかだったように思う。たまに、オールドノリタケ集めてたりするかもしれない(ちなみに私は小屋で演劇論ぶってた昔もあった)
平和日本の象徴であるかもしれないし、この人種の文化への浸透力は、目立たぬところでジワジワ来ているだけに底力がある。
比較的優しくって物腰も柔らかいが怒らせると怖いし、他人への物腰とは真逆に自虐的な人が多いので、見ていてイタイこともしばしば。また、自虐が自己愛ゆえのものであるのでわかりやすい。過剰に刺激せぬことが肝心なとこだ。
ナドナド、オタクを語り始めると時間がたつのも忘れるほど、会話が弾む。
こうやって「見ただけでわかる」ということはもはや、新しい国の人たちだということなのだろう。違う国の人と対するには、その国の言葉、文化、風土を知った上で交流することが大切だ。そうでないと国際紛争が勃発してしまう。旧世代(トウキョーオリンピック、万博以前の20世紀少年)は比較的そのことがわかっていそうだが、前世代の人たち(戦前戦中団塊)はちょっと、軋轢があるのかもしれない。やはりそれは、新しい国の人とわかるかどうかにかかっているのだろう。違う国の人と認識した上、その国の作法でお付き合いすることが、正しい外交だ。
コメント (11)
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