うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

消したい記憶

2005年08月05日 | ことばを巡る色色
世の中の人は、人生経験のために何でも見ましょうとか言う。
そんなのは、大うそだ。
世の中、見なくていいもの、見てはいけないものはある。
それを見てしまったがために、目の奥でそれを飼い続けなければいけなくなる。
あんましひどい奴のときは、
心の中のストッパーが、奥の奥の部屋に閉じ込めて思い出させなくしてくれるけど、
心の中にそいつが住んでいることには変わりはない。
何か、本当に何でもないことがきっかけでそいつはむっくり起き上がる。
こすってもこすっても消せない。
泣いても泣いても、それを記憶してしまったことは、元に戻らない。
それが、人間を成長させてくれるよ、なんて言葉を、誰が言うんだろう。

人は、「ソンゲン」を持って生きていっていい。
美しいものを見て生きていけばいい。
それを踏みにじり、記憶に醜い風景を残していくものはすべて、
憎むべきものだ。

でも、
だから、
私の中に記された記憶は、消せない。
浅い眠りの中でうなされる。
だから、
私は、そいつと向かい合い、目をそらさずに見る。まなじりを上げて。

守りたい。
誰かが、知らない人が、戦いの中の国の人が、物に溢れた国の人が、どこかの子どもが、
そんな記憶を持たなくてすむように。
だれでも、みんな、自分で決めた道をまっすぐに歩いていい。
何にも邪魔されず、何にも蹂躙されず、何の記憶にも囚われず。

自分の中の消したい記憶を思うとき、戦いの中の人を思う。
1年のうちの、8月の初めくらいは、
この国で戦いがあったことを、考えようと思う。
忘れてしまわないために、
私は、その頃いなかったけれど、
                     ノース2号に捧ぐ
コメント (7)
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