うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

中村遊郭ノチ舟越桂

2006年10月22日 | お出かけ
今回のお出かけ、まずは過日に下見をした、中村遊郭の跡。JR名古屋駅太閤通り側、ビックカメラをまっすぐ西に行くと、中村日赤ちょっと手前に、スーパー・ユニーがあり、住宅と商店とソープランドが混在し、その北奥は遊郭跡だ。もうもう朽ちかけてしまった格子、いくつか落ちてしまったタイル張りの壁。美人のガラス絵。歩いてみた。「大門」というアーチをくぐって。その昔遊郭の入り口は「大門-おおもん」と呼ばれた。そしてこのあたりは大門商店街という。記憶を消そうとしているのか懐に抱こうとしているのか。不思議だ。これほどおもしろい建物に溢れているのに、街は、普通の日曜日の少しだけ退屈なぼんやりとした顔をしている。日本中の公園や古い町並みに観光客は溢れているのに、この街を見に来る人はいない。たとえいても、それを隠して通りすがりのように歩かねばならない気に、この街はさせる。名残の建物はデイハウスや民家になっていて、こんなにも建物は往時のままであるのに、ね。ただ一つ料亭として使われている「稲本」さんで昼食をとった。中華趣味の紅殻の塀の中に入ると手すりのついた2階の窓の歪んだガラス、静かな中庭。「稲本」さんは中村遊郭の中でも大門から最も遠い位置にある。中村遊郭の中でも、特に格式の高い場所だったのだろう。通されたところは新しく改築してあり、月替わりの昼膳を頂いた。季節柄、土瓶蒸しも付いて2310円(消費税って半端で、値段にも風情がないですね)。ここでいただいているという気持ちを考えると決してお高くはないお昼でしたよ。
ここはほんの何十年か前は、なまなま、な場所だった。空気はじとりと甘く、発酵して、もしくは饐えて、重く漂っていたことだろう。なのに、今はこんなにもすべてが、乾いている。甘く饐えていて沈んでいた物も、時の流れの中で乾き、さらさらと、かすかな風にも宙を舞う。
生きているということは、なまなまなことだ。触るとべたりと指に纏わりつき、鼻の奥についた匂いはなかなか溶けない。湿った蛋白質は大気に充満し、むぎゅむぎゅと押し寄せてくる。しかし、時を経たものはみんな乾いて、そっとそこに所在無げに佇み、かわいらしい。色恋とか人情とか羨望とか嫉妬とか売名とかのすべての湿った欲望をなくして立っている。こう思う私は、本当は、もう、もう、そういうものが厭になってしまっているのかもしれない。恋も名前も意地も人生も、もうもう、いらないと思ってしまっている。乾いた風の中でさらさらになった物を見ていたいんだ。
ばばあのようでジジイのようでコラーゲンなんてゼロで、そういうのがいいよって、ね。だから、建物を見に行く。美術館に行く。ずっと物を集めることに夢中になった。しかし、集めたものは、「私の物」と名づけられたところから、なまなまな物になってしまう。「欲しい」と思った気持ちが物にべたりと張り付いてしまうからね。
建物は手に入らないところがいい。自分のものにならない物。それは清潔で美しい。私の欲望をはねつける物だから美しい。物を手に入れ、それを片付け、満足していることにも飽きちゃたんかもしれないけれど。

中村遊郭を後にし、小牧のメナード美術館へと行く。
メナードは今、名作展をやっている。ミレーを主題にしたゴッホ。桃色の頬の松園。そうして舟越。
舟越桂はここ何年来の好きな彫刻家だ。メナードを見に行くことには決めていたが、メナードのHPで、舟越の木彫を持っていて今回公開されていることを知り、少しわくわくしていた。舟越桂の木彫は名古屋市美術館、愛知県美術館にもあり、過去にそちらで見たことはある。ここの舟越は、バイオリンを弾いている。そのまま止まっている。音は凍っている。
木彫は木を念入りに乾かし作られる乾いた美である。油絵がぬめぬめしているのとは反対にね。乾いた楠、大理石の瞳。
ふと、ここは美の棺なのだと思った。そこに眠っている。「誰のもの」という柵を解かれ静かに横たわっている美よ。私は手を合わせ、あなたに帰依するためにやってきたのだ。「南無」と唱えるためにまた出かけていくのだ。

※近江2日目はまた機会があれば書きたいと思っております。画像は私の持ち物である舟越の版画「読み終わらない本」
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近江にいく-MIHO MUSEUM

2006年10月20日 | お出かけ
守山の佐川美術館を出て向かったのは、信楽のMIHO MUSEUM。「青山二郎の眼」展を見に行くためだ。途中、栗東の道の駅でサービスランチをいただき、付いてきたお豆腐がとてもおいしいので、2丁買い求めた。「まるっぽ豆腐」というそうな。
道の駅の元気なおばちゃんに教えられたとおりの道を行くと、とにかく山の中。「山道だけれど、車はすれ違えるから大丈夫」とおばちゃんは言ってたけれど、前からはとにかくどんどんどんどん観光バスがやってくる。こんな山中の美術館になにゆえ大量の観光バス?ひょうっとして、私はいけない日を選んできてしまったのか?この美術館はとある宗教法人の持ち物。あらかじめ見ておいた美術館のサイトに宗教色はまったくないけれど、自然食品を推奨していてレストランでも饗せられているらしい。とにかく、山の中なのだ。どれだけ行っても人家がない。信号もない。人口密度ゼロ地帯。と、開けたところに出ると、はるか丘の先にお社のような現代建築と鐘楼のようなモニュメント。そうして何台も停車中の観光バス。しかし、美術館はまだまだ先のようだ。やっとのことで辿り着いてみても、駐車場には観光バス。やはり、「いけない日」だったようだ。駐車係のおにいさんは丁寧に美術館への道を教えてくれる。昨今には珍しく、心のこもったご案内振り。「随分混んでいますね。今日は何かの日ですか?」「はい、友の会の方々の団体さんがいらっしゃる日なんですよ」・・・「友の会」なんですね・・・
美術館のエントランスと思っていったところは、実は入り口にあるレストランでしかなく、そこから電気自動車に乗り込んで美術館本館へと行く。
・・・橋だ・・・トンネルだ・・・これ、美術館のためだけの橋で,トンネルで、だよね。いったいいくらかけて作ったのだろう、この、山の中の橋あり、トンネルありの美術館。大体、これだけの土地を持っていれば、わざわざ橋架けたり、トンネル掘ったりしなくても建物は建つはず。とにかく?なところ。
数分の乗車の後についた美術館は社寺をかたどった巨大なガラス張りの建物。エントランスを入り、中階段を上ると、山々が見渡せる大きな窓に出る。そうしてさっき見た、お社と鐘楼のモニュメントが山の中にマチュピチュのように浮かんでいる。この景色を作るための橋であり,トンネルであったのだろう・・・とにかく言葉を失った。
「青山二郎の眼」 白洲や小林秀雄と茶碗を集めた天才遊び人。ただ「美」を見ることだけをした彼。
そうして、常設展。世界のあらゆる古代文明の逸品が並べられている。完品ですごい物ばかりなので、かえって「ニセモノ?」と思えてしまう不思議。美術館の中は「友の会」の人々で溢れ、関西言葉の和装のご婦人や、スーツの「ですたい」と語る人や、若くして杖をついた何人もの足のご不自由な方が観覧をされており、なんだか「見に来てしまって申し訳ありません」という気になる
どうやら、この美術館、建物500億、蒐集品500億であるらしい。
えっと、10,000,000,000えん、なのだ。 

とにかくすたこらさっと山を降り(いやぁ、美術館としてはステキでしたよ、はい、ホントに)宿泊先八日市へ。今回はビジネスホテルに泊まったのだけれど、内職を前日までに片付けられず、ホテルでビジネスする羽目になってしまったけど。

佐川は企業的美術館、MIHO MUSEUMは宗教的美術館。作った者の思惑はどうであろうと,そこに収まっているものたちは、そこを安住の地とし、ニュートラルに美しい。「物」は、それ自体でその「物」であるのだ。美術館に置かれた、屹立するもの。持ち主の名は書かれておらず、自らの美しさのみで、それは立っている。私は、それを見に行く。
ということで、次回は、近江2日目のお話。
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近江にいく-佐川美術館

2006年10月18日 | お出かけ
日曜は、近江方面にお出かけでした。早朝に岐阜を出、まず向かったのは守山市にある佐川美術館。佐川急便さんが作った現代建築も美しい美術館です。2棟からなる美術館は水の中に浮かび、水面に反射した陽の光が、ゆらゆらと軒に映っている。水の向こうの木立では、はらはらと黄色い葉が音もなく落ちている。
恐るべし!佐川急便!最近のお大尽は、個人ではなく企業になってしまったために、「数寄」に巨額を投じるということはなくなってしまった。こちらの美術館も、きっと経営とか税金とか社会貢献とか企業的ないろいろの事情があって建設されたのだろう。常設を見る限り、経営者が蒐集家というわけではなく、まず美術館建設の計画があり、コレクションをしたという感じ。しかし、こういうお金のかけ方をしていただけるのは大賛成だ。佐川さん、どんどんお仕事をして、沢山荷物を運んで、美術館充実させてくださいね。
ここは常設として、平山郁夫の絵、佐藤忠良の彫刻を持っているのだけれど、今回のお目当ては、有元利夫展です。有元は本当に買いたいと思った初めての画家。30代の若さで逝去してしまったけれど、その静かな世界は絵の中に止まったまま存在している。久しぶりだね、有元。確か7.8年前に回顧展があり、岡崎に見に行ったっけ。そのときほどの数はなかったけれど、その時にあまり好きでなかった作品も、今回見てみるとやはり、とてもいい。彼の作品は時間の流れが浄化であることを語る。私は彼のリトグラフを2枚、ポスターを1枚持っているのだけれど、さすがに、本画には手が出ない。欲しいなあ、有元。

佐川美術館をお昼下がりに後にした。まだまだ、近江の旅は続くよ。
さて、次はどこでしょう?
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Re: 秋歌

2006年10月08日 | お出かけ
>枯れた葉を くるりくるり うらおもて どちらかこたえよ ほんとうのうそ

うらになり おもてになりて 散るひと葉 信じてみたまえ きみはきみなり
 
>枯れるとは 死の意とフランスの 辞書は言い 死を踏み歩く 木枯らしの道
       
 われをよび われを束ねる 手のありて 引かれるもよし 引かれぬもまたよし

>死にいくと 死に後れると ねえ君よ どっちが怖い? どっちを選ぶ?

 楼閣の 高き櫓に われ一人 こころえて見よ 強かぜ吹くとも 

昼間に沢山眠ってしまったので、いつになっても眠くならない。だから私は「検索」を繰り返し、真夜中に福澤桃介と川上貞奴と福澤房子とをぐるぐると巡り、中電と大同と慶応と川上絹布と名鉄ととをぐるぐる廻り、と森村市右衛門の森村組のノリタケの大倉がヒットして。ただ、私は最近公開された川上別荘を見たいなって思っていただけなのに。新聞を取りに外に出ると、仲秋の名月はとっくに消えて、ひんがしはみかん色の朝焼け、西は夜中の星。きらめく星。また昼がやってきて、私はぼんやりとした頭を振りながら、友と貞照寺にいった。今、川上貞奴の別荘は結婚式場になっている。その横にあるという「晩松園」は木立に隠れて見えない。まだ日本のほとんどが世界の形を知らない時に西洋に出かけていった燦然たる彼女さえ、私財を投じても祈りたいことがあるんだね。対岸から見る川上別荘。新しい塗料に埋もれている。いつか私をその中に招き入れてください。ここは大正から「日本ライン」と名づけられている。彼女の別荘はローレライのそのあたり。
犬山城はその川下にある。天守閣から北を望むと、河風がぴゅーんと体を揺らす。
思いを込めて建てた人も、其の柱を建てた手も、今はこの世にない。その「家」を愛した人も、持てる技の全てを傾けた人も今はいない。残っているのはただ、「もの」だけなのだなあ。何かに執着するということはなんだろうと思う。それは執着していることに執着することなのかもしれない。ルーブル展のヴィーナスを見たときに思ったことだ。作家も、注文手もモデルも、戦場でそれを奪取して手柄を立てた兵士も、寝所に異国の像を飾り己の栄華に酔った英雄も、誰も誰も今はいない。残っているのは像だけだ。像だけが心を伝える。作家の、注文手の、兵士の、英雄の。執着するということは執着した心を物に託すということなのかもしれない。そういう形でしか私たちは残れないのかもしれない。
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遠足せんとて生まれけり

2006年10月06日 | お出かけ
なんだか心の中で嵐が吹き荒れている。毎週毎週、日曜の心は「遠足」なのだ。
今年度は仕事で脳内が充満しているような状態が夏の終わりまで続いた。反動のように、私は思った。「やってられん。絶対温泉に行ってやる」・・・「行ってやる」といっても、止める人も裾に取りすがる人も私にはないんだけれど、そんな決意を持って私は晩夏の休暇を迎えた。そう、内職の締め切りは日曜だった。金曜までは本職がぴっちり詰まっていた。意識も朦朧となりながら内職を終え、近所のセブンイレブンの宅配締切時間が夕方だったのに感謝して、土曜の昼に長かった夏の最後の仕事を宅配に託したのだ。そうして、日曜は、せせらぎ街道沿いのある古民家をモダンに移築した別荘でくつろがせていただき、翌日は「直前予約」とやらで下呂に宿を取り、久しぶりの温泉へと出かけた。日本でも一番多いといわれる岐阜の「道の駅」の全てに立ち寄り、下呂一だといわれる源泉と、提携館のお湯に入っては出、移動しては入りし、帰りは、後円融天皇勅願の禅昌寺で雪舟のだるま絵を見、寺の甍近くに輝く菊の御紋を見、その奥の金森宗和の庭には蜻蛉、本堂の横には樹齢千何百年という大木。平日のお寺は拝観者も疎らで、わずかに納めた拝観料では申し訳ないような良いお寺だった。帰路では国道に車を止めて、(あんなに観光案内に載ってるのに、降り口がわからないってどういうこと)と思いながらも、道なき崖を下って「中山七里」を見たり、またまた道の駅によって、名産の手作りハムの串カツ定食(これはお奨め、間違ってもエビフライ定食とかは頼まないで、これをオーダーしましょう)をいただいたり、もう夏も終わりなのに、「そうめん瓜」を見つけて買って帰ったり。そうそう、そうめん瓜をご存知か?薄黄色の瓜とも南瓜ともつかぬ形のものなのだけれど、輪切りにしてうでる(この場合、やはり 茹でるではなく’うでる’)と、瓜の繊維がそうめんのようにほろほろとほぐれ、それを付け汁にていただく。私は、葱生姜ポン酢が好み。
そんな夏の終わりの遠足をしてからというもの、私のスイッチはかちゃりと入ってしまったんだよ。

9月に入って
古川美術館-鑑賞の楽しみ (名古屋 池下) 
古川為三郎美術館-Glass Art 展 (同上)
中村遊郭跡-日本料理 稲本 など (名古屋 中村区日吉町)
京都市美術館-ルーブル展 (京都 岡崎公園)
細見美術館-江戸琳派展 (京都 最勝寺町)
角屋・揚屋・嶋原大門 (京都 嶋原)
徳川美術館-殿様の写真 (名古屋 徳川町)  もうもう、遠足三昧なのである。

この秋の予定に入れているのは、近江と美濃。4つの美術館のチケットは入手済みだ。もちろん、ご紹介いただいた今月半ばからの西諸戸邸公開も、六華苑(桑名)も行ってみよう。

今、熱烈に見たいのは、旧朝香宮邸である東京都庭園美術館 のアール・デコ・ジュエリー-宝飾デザインの鬼才シャルル・ジャコーと 輝ける時代展。庭園美術館はかねてから惹かれていたところであり、そこでアールデコ、気が遠くなりそうだ。ああ、東京は遠い。募る思いに正気を失い、夜行バスに乗ってしまいそうだ。
そうして、私邸であるので見るのは難しかろうと思われる赤坂(大垣)の矢橋邸。色とりどりの大理石とステンドグラスの美しい洋館であるそうだ。簡単には見られないだけに、熱は高まる。

どうも、私は近代建築の壷を満たそうとしているようなのだ。そうして建物についてのお話はまたいずれ。
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名古屋あるき

2006年09月18日 | お出かけ
随分とご無沙汰をしてしまった。確かに夏はとても忙しくて、ゆっくりものを考える時間もなかったのだけれど、こうやってかけないでいるのは、別に理由があるようだ。それはなにか。きっと、どこかで書くことが怖くなってしまっただろう。わたしの住んでいる場所は、イノセントなところである。わたしはこの田舎で温かく育まれてきたのだろう。わたしはいくつもの「検索」を繰り返し、この国の中にわたしの知らなかった過去や場所や人々やがあることを知り、自分の無知とこの地の無垢なることを知った。そんなわたしが何かを考え語ることに意味があるのか、私にどれだけのことが書けるのかと思ってしまったというのも、ちょっとした本心ではある。たくさんの裏や表の情報の中で、ね。

そんな私の最近は、こっそりネットオークションなんかをして、美術館のチケットを落札している。
日曜の昨日は、名古屋池下の「古川美術館」に出かけた。日本ヘラルドを作り上げた古川為三郎翁の住まいと茶室に、翁が蒐集した松園やらが飾ってある。現代作家のガラス展も開かれていた。地下鉄池下駅からほんの数分のところにある「静か」
すぐ隣には、最近テレビでよく見る吉川社長のよし川ビレッジがある。
住宅街の、奥の、高台へと登る木々の中の、103の天寿を全うした翁の静かなすまい。

実は、ここを訪ねる前、以前から気になっていた中村大門界隈を通ってみた。ここは中村遊郭のあった場所である。2階に手すりのある窓を持ついくつかの楼。ガラスの美人画を掲げる家もある。しかし疎らに残る楼は皆、日曜の昼の中にとろとろ眠っているようだった。とうの昔に置き去られ、少しずつ崩れ落ちながら眠っている。デイサービスの施設となったものもある。紅殻の壁を持つ「稲本」は料亭となり、門の奥の深い庭の前で、中年のご婦人が昼の食事の算段をしていた。

時の流れの中で、暗い物は白く明るい物に、湿ったものはハラハラと乾いた物に姿を変えることもあるのだ。また、清潔な白い物が薄汚れたものに、ぱりぱりと乾いた物がぬるぬると湿気ってしまうこともある。
今回は車でまわっただけだったけれど、近いうちに車を止め、歩いてみようか。

来週は京都。勢いで落札してしまったルーブル美術館展を見に行く。せっかくなので、少し歩いて「細見美術館」にいってみようかとも思う。
なんて思って「検索」していたら、五条歌舞練場なんてのがヒットしちゃった。
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夏椿

2006年06月26日 | お出かけ
この日曜に出かけたのは、「三法荘」。沙羅双樹(夏椿)の美術館です。ここは織物会社オーナーの収集した絵画骨董が展示されており、大座敷からは沙羅双樹の咲く庭と岐阜城が一望できます。数年前に来たときは、絵画が所狭しと並べられていて、おなかいっぱいだったんですが、今回の展示は、品よくルノワール、コロー、香月泰男などが並べられていました。入場料1200円を支払うと、珈琲・お抹茶などを館内でいただくことが出来ます。
昔のお大尽は、絵を買い、茶碗を買い、家を買う、庭を造る。それゆえ家業を傾かせたりすることもあるが、絵と茶碗は残り、庭木は育ち、後世の人の目を楽しませる。
今のお大尽は何を残すんだろう。高い場所に住み、株を買い、会社を買い。現代のお大尽にとっての放蕩が、民に益するものでないのは、残念なことだ。いい物を買い、年に数度それを一般公開すれば、どんなにかステキだろうね。

私はお大尽ではないけれど(今年目標の一億円ははるか遠いし)ほんのちょっとだけ、絵や茶碗を買っている。今お気に入りの絵師は天明屋尚
数年前に知り、7枚組みのサイン入りの版画を廉価で買った。絵師本人から丁寧なメールをいただき恐縮した。彼が、2006FIFAの公式ポスターの書き手十数人のひとりとなり、サイン入りポスターも高価になってしまった。うれしいような、寂しいような気分である。
夏休みになる前に、天明屋も出品している「ガンダム展」を見に、高浜にでも行ってみるかな。
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探検協会

2006年05月04日 | お出かけ
世の中のゴールデンウィークの皆様、いかがお過ごしでしょうか。私は今日も仕事です。が、まわりが連休に浮かれて、仕事になりません。こんなことなら、万障繰り合わせてお休みしたほうがましだったかと思いながら、そうも出来ず、でございます。
世間並みの連休を過ごせぬ私は、昨夜、つれづれに新聞を読んでいて、「鍾乳洞」についての記事を見つけました。
鍾乳洞といえば、一昔前までは、メジャーな観光地でしたよね。砕石会社のしゃちょーさんが作ったようなお土産屋と、怪しげな秘法館を併設している鍾乳洞が、高度経済期の日本人のレジャーだったんですよね。しかし、今じゃ、「さあ、ゴールデンウィークだ、鍾乳洞に行こう!」「やったぁ、パパ、ありがとう!」なんて家庭は、あるはずもなく、冷静に考えてみると、「鍾乳洞」を見に行くというレジャーってどうしてだったんだろうと言う疑問がわいてしまいます。うちの祖父は旅行好きで、私も小さい頃はいくつかの鍾乳洞に連れて行かれました。洞穴のところどころに「~観音」とか、「~タワー」とか名づけれらた場所があったりするんだけれど、そのひんやりとしてぬるぬるした感じは、小学生の女の子にとって「楽しい観光」とは言いがたいものでありました。むしろ、修行のようでもありました。何であの頃の日本人は、うれしそうに鍾乳洞に行ったんでしょう。そうそう、祖父には水族館やら、大温室やらにもつれてってもらいました。その頃の水族館のような施設は、たいがいが薄暗くって、細長いにゅるにゅるした魚をじっと見ていて、気づくと、周りに誰もいなくて、壁の高いところに飾られた海亀の剥製がこっちを見ていて、というような思い出があります。また、温室も、熱帯の植物が背よりも高く生えていて、じめじめと蒸し暑い中で、真っ赤な花を見ていて気づくと、やっぱり一人で残されていて、壁に掛けられた巨大羊歯のようなものの陰から何かが出てきそうで、今も私は水族館や温室が少し苦手です。
ちょっと横道にそれてしまいましたが「鍾乳洞」はこんな記事でした。
(国内最長の鍾乳洞、岩手の安家洞はこれまで知られていた長さの2倍24キロあった。)

…私は、安家洞はもちろん岩手も行ったことはないのですが、この記事には妙にそそられてしまいました。なぜって、調査したのがNPO法人「日本洞穴探検協会」 かけた労力は、494日延べ8451人。
こういうNPO法人があったなんて・・・しかも、延べ8000有余人により、綱を張りながら鍾乳洞を進んで行ったなんて・・・  楽しそうだ・・・
こういうNPO法人というのもあるんですね。作ってみたくなっちゃいませんか、探検協会。
野生林探検協会、一本桜探検協会とか、裏道探検協会、富士樹海探検協会(こわすぎるぅ)
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4のつく日

2006年04月24日 | お出かけ
ただいま。 さっき帰ってきました。京都から。
日曜は、京都市内に入ってから、急に思い立ち、アサヒビール大山崎山荘美術館にいきました。 大山崎の町営駐車場に止め、すごい坂を登り、お大尽が蘭の繁殖三昧のために建てた山荘へ。山荘は、アサヒビールが10年前に美術館にしたものです(それまで、私はその美術館がサントリーのものだと誤解していました。「山崎」というウィスキーがサントリーにあるように、近くにサントリーの蒸留所があります。ここでは、ウィスキーのテイスティングができるようです。サントリーは大阪府三島郡山崎。アサヒビールの山荘美術館は京都府乙訓郡大山崎町です。2つの距離はそう離れていないので、間違えてしまったんですね。)
大山崎の山荘美術館は、モネや、民芸運動の河合寛次郎、バーナード・リーチの陶器などが、 チューダー様式の山荘と、安藤忠雄設計の地下展覧室に 飾ってあり、枝垂れ桜などの花が咲き乱れ、野鳥が鳴き、新緑の眺望は世俗とは遠いものでした。まったく、昔のお大尽はなさることが違う。三島の「春の雪」の主人公たちが、追っ手を逃れて道行きしていきそうな別荘でした。
また、紅葉のときにも、睡蓮の頃にも、桜の頃にも行きたい。遠くのお山を見ながらバルコニーで飲むお茶は、コーヒーでなく、「珈琲」でございました。
市内のホテルで一泊し、今日はいつもの豆腐を買い、信三郎帆布に行ってみました。 午前11時というのに、お店に残っていたのは、24000円のショルダー一個。
9時開店なのに・・・
さすが、です。
帆布のついたバンフレットもらって帰ってきました。

自分で言うのも、アレですが、今日は誕生日です。世の中には、「大きく」なって誕生日なんてさ、って言う人もいますが、私は、いくつになっても誕生日がうれしいです。4月24日という数字も好きです。巷では、「4のつく日は冬ソナの日」らしいですが、きっぱりとした、この424の数字の並びは、わたしっぽいかなって思っています。お誕生日を覚えてくれていた、MBちゃん、YS君、ギビちゃん、富士通さん、mixiさん、ありがとう。
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その 望月の頃

2006年03月23日 | お出かけ
古に西行という人がいた。卑しからぬ家に生まれ、北面の武士、家督を継ぐものとしてその将来を嘱望されていた。言い伝えでは、裾に取りすがる家人を足蹴にして出家したとされている。出自も肩書きも経済も家族も捨てて、放浪ともいえる日々を選んだわけである。その点では仏陀の人生をたどっているとも言えよう。今の世でいえば、上場会社のオーナー一族の長男に生まれ、広大な土地と株の相続権を持ち、東大を出てキャリア官僚になり、女優と結婚し、やんごとなき人々とも交流のある人が、出奔してしまったというあたりであろう。
彼が追ったものは、仏陀だったかもしれないし、和歌だったかもしれないし、桜だったかもしれないが、そのどれが彼の心眼に映っていたのかを知るすべはない。

寺社の桜、公園の桜、堤の桜、名木の桜。名を持つ桜。その枝下に人は集い、ざわめきながらつかの間の春の夢のような桜をめでる。

しかし、桜見るなら、山桜。
一人あてもなく分け入って、歩いて、歩いて、登り、一息ついて切り株に腰を下ろし、また登り、湧き水を飲み、じんわりとにじんだ胸元の汗をぬぐい、登る理由も忘れ、ここがどこか、われが誰か、なにを生業としてきたか、どこから来たか、どのようなほめ言葉を得たか、どのような罵倒を受けたか、すべてすべて忘れ去ったその先の、山の奥の林の奥の、深い木立を抜けたところで、誰に知られるでもなく、語られるでもなく咲いている爛漫の桜。うつけのように見上げ、そうして跪いて、贖罪を乞う。

願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ

吉野に行きたい。吉野に行きたい。ただ一人、その千本を越え、あの千本を越え、また千本を越え。
それは恋にも巡礼にも似ているなあ。
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京都ご報告

2005年12月12日 | お出かけ
今回の京都は、土曜の9時近くに出て、栗東まで一般道を走り、栗東ー京都南と高速を走り、今回の課題(なぜかプレゼンを聞くことと、丸太町の小さな菩提寺にて墓参り)を済ませ、三条大橋たもとの旅館に夜8時に着く。ちょっと三条から四条を歩く。やっと「国家の品格」を見つけ購入。かの「六曜社」地下にてコーヒーを飲む。久しぶりに、懐かしくおいしいコーヒーだった。定番のシンプルなノリタケだった。日曜は、また三条へ。「寛永堂」の「丹波大納言」を購入。きんつばである。そうして、錦へ。いつものように、「冨美家」のうどんすきとカレーうどん、豆乳ドーナツ、山椒ちりめんをかう。和泉式部、一遍上人、世阿弥ゆかりの誓願寺を拝し、先斗町を抜け、四条大橋をわたり、三条に戻り、車を出して、中立売の「とようけや」へ。胡麻豆腐、紫蘇豆腐、柚子豆腐、豆乳、引き上げ湯葉、油揚げ×3。西本願寺の前を通り、「東福寺」へ。門内の駐車場に車を止めて、拝観する。紅葉の盛りは過ぎていたけれど、一面に少し赤茶けた紅葉葉が敷き詰められており、静かな秋の終わりだった。そうして、伏見の月桂冠近くで、とり飯をいただいた。たべるものばかりですね。
すべてをわすれました。よろしうございました。

女人の「往生」を考える旅となりました。
何度も行ったはずの新京極で、和泉式部の墓所をはじめて拝観いたしました。
謡曲「誓願寺」の舞台となったところです。
その昔、女人は「往生」(極楽往生のあれです)できぬ「性」とされていたそうです。
女人は、「業」が深いと思われていたゆえでしょう。

ふと、与謝野晶子の「やわはだのあつきちしおにふれもみで」の歌を思い出しました。殿御は、「やわはだ」には触れたがるが、柔肌の下にある、女人の「熱き血潮」には、なかなか触れようとせぬものかもしれぬ、などなどと考えました。

やわはだのあつきちしおにふれもみで
かなしきか
さびしきか
むなしきか
みちたるや
みち(理)をとくや
きみよ
われと ともに はしりて かたりて
わが あつきちしおに
ふれてみよ

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ダルクに会いに

2005年11月06日 | お出かけ
遠い希望、遠いご褒美を考えながら生きることはしんどい。つらい。手っ取り早く、強くなりたい。手っ取り早く、傷つけられない自分になりたい。手っ取り早く、一目置かれる自分になりたい。楽になりたい。世の中には薬物をはじめとする多くの誘惑が満ちている。「手っ取り早い」誘惑。でも、その連鎖は断ち切らなくてはならない。

岐阜ダルク(ダルクは薬物依存症回復のための団体です)が開いた薬物乱用防止シンポジウムで、水谷修氏「夜回り先生」の講演会を市民会館で聞いてきました。
水谷氏は多くのメディアで紹介されており、多くの方がご存知だと思いますが、その実践主義と、ちょっと芝居がかったところは、「どうしても実際に話が聞きたい」と思わせるものがあります。だから、同じように芝居がかったところのある私は、この人を確かめに行ってきました。
彼は、夜回りをするというところで世に知られていますが、今回のお話を聞いて、薬物中毒防止への思いを強く持ち、活動をされているということがよくわかりました。確かに、うますぎるお話には、ちょっと芝居がかったところもありなのですが、そうやって伝えられていくもの、そうやって伝えられなければならないものが確かにあり、正直をいうと、一時間半あまりの講演の間、私はずっと泣き続けていました。
子どもにとって、生まれ出てきたこの世は、不公平なものです。親として、育む環境として機能しないところに生まれ出る子も多いのです。だからといって、その親をのみ責めるのは正しくありません。その親もまた、救われなければならない場合が多いからです。そのような子に降りかかった不条理、誰かを責めることだけでは何一つ変わっていかない不幸。
不幸の連鎖は、くるくると回っていくけれど、その連鎖は、正しい連鎖へと戻されなければならないし、それは絶対にできるもののはずだと、私は思います。できると思いたいのかもしれないけれど、そう思わないところは果てしなく不毛が続くばかりだと思います。
ネグレクトな親に育てられた子も、やくざの親の子も、何かの依存症をもった親の子も、いじめられた子も、みんなみんな、幸せになっていい。そうして、ネグレクトだった大人も、やくざだった大人も、依存症を持っていた大人も、みんな、幸せになっていい。「まっとう」に生きる権利を持っているはずです。

生きている中で、人は何ができるんだろう。幸福なことに、幸福な環境に生まれた人は、どうぞ、何も考えず、その環境に生きてくださればいい。しかし、不幸な環境に生まれざるを得なかった人は、何のために辛いこの世に送られてきたのか。
それは、その不幸の連鎖を、自分で断ち切り、正しい連鎖に戻していくということではないかと私は思っている。それだけのために人生が終わっても、いい、じゃん。
「夜回り先生」は、そこいら中で、それをしようとしている人かもしれない。
この講演会では、岐阜ダルク代表の遠山さんのお話も聞いた。立派な話だった。連鎖を断ち切ろうとしている、潔い心のお話だった。
ダルクの活動は、薬物依存は自己責任でしょ、という点から募金が集まりにくいということだった。今回は、けんちゃんちに駐車させていただいたので、駐車料分を募金させていただいた。けんちゃん、どうもありがとう。      岐阜ダルク
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文化の日うさと版

2005年11月05日 | お出かけ
織部賞授賞式に行ってきました。
織部賞は、岐阜県が出しているもので、2年おきで今回で5回目。古田織部のアヴァンギャルドな創作に匹敵する人たちが授賞されます。
この賞は、岐阜というハニワに歌われてしまいそうな(ちょっと古いか)田舎都市にしては、目覚しいものです。
とにかく、選考委員がすごい。今回で言えば、
選考委員長 磯崎新 選考委員 石井幹子 坂根巌夫 熊倉功夫 内田繁 アンドレア・ブランヅィ 日比野克彦 松岡正剛
もう、これを聞いただけで、この賞のあり方がわかるってものです。
当然受賞者も、一筋縄ではいかない人ばかり。すごい人たちが選ぶ人はすごい!のです。
大賞は、 エットレ・ソットサス 中川幸夫 大野一雄 鈴木清順 今回の水木しげる
織部賞は、押井守 ガリアーノ スウォッチ 野村万之丞 アラーキー カッシーナ 矢野顕子 井上ひさし 森村泰昌 無印良品 杉浦康平 山下洋輔 深澤直人 などなど
ほら、凄すぎ!! でしょ。

とにかくこの賞は、文化をお腹いっぱいにさせてくれ、かつ快い満腹感があります。
大名でもこうは行くまいという、贅沢な授賞式です。
私は、2.4.5回を見に行きました。どの会もたっぷり4時間以上の授賞式があり、その中に、受賞者の創作紹介があります。演奏や、ビデオやお話や。今回は山下洋輔氏の「ラプソディーインブルー」「ラベルのボレロ」もきかせてくれました。過去に見た森村泰昌氏の「名画ビデオ」もそれは贅沢だったし、もちろん、鈴木清順氏の「映画グラフィティ」も一本の映画のようだったし、中川幸夫氏の書は美しく強かった。アラーキーは優しいおじさんだったし、清順氏のお祝いには、宍戸錠、原田芳雄、山口小夜子(!)氏もやってきた。(大野一雄氏のときも行きたかったんですが、高山ゆえ断念しました。返す返すも残念です。)パンフレットもそれは贅沢で美しく、運がよければ、受賞者とお話したり、サインをもらったりできる。

本当は、弱小、産廃問題抱え、地場産業先行き不安、デパート撤退、の岐阜県はこんな文化的なことをしてる場合じゃないのかもしれないのかもしれないんだけど、この賞は、この授賞式はずっと続けてほしい。
2年後も、行きたい。どうしても、行きたい。    岐阜ウェブオリベ
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京都・白黒

2005年10月25日 | お出かけ
京都に行ってきました。新しいところを開拓するぞーっと思い、いろんな方に教えていただきました。ありがとうございました。
それで、京都でどうだったかというと、やっぱり、いつものうどん(冨美家)を買い、いつもの豆腐(とようけや)を買いました。ただ、二条若狭屋さんの栗のお菓子は買ってきましたよ。それから、御所の参観もしましたよ。御所はネットで参観予約ができます。身元をちゃんと書かなきゃいけないし、同伴者の氏名とかもちゃんと明かさなきゃいけないので、御所の参観に嘘偽りはききませんよ(でも、いけない関係だからと言って、とがめられるわけではないので安心してくださいね。)御所以外で行ったところは、二条城。このお城を見て、当時の京都の人たちがどう思ったか、想像するのはちょっと楽しかったです。でっかいお城は、ひょっとして、徳川家の威信を示すためだったのかなっとか、でも京都の人たちは、こんな大きいだけの田舎くさいもの作ってなんて思ったりしてとか思ったのかなっとかね。それから、十条のジャスコ(!?)錦には行かなかったので、ここで冨美家をかいましたよ。

十条はパッチギのロケをした場所。京都は、 千年都市であり、マイノリティを多く抱く町です。その意味は何でしょう。永遠とも思える未来に向かって苔むしていく町。そうして、訪問者には見えないところで、士でも農でも工でも商でもない民を抱えた町。その意味はなんだろう。
御所は、今まで見た建物の中でもっとも「清らか」な場所だった。真っ白な空間に向かって果てしなく開いた清らかさ。考えうる最高の「封じ」と「寿ぎ」をして作られた町のその中心の中心。何物にも邪魔されない、万物に向かって「開いた」場所。千年にわたって清められ続けた場所。そうして真っ白な強い光が放たれ続けている場所だった。私たち大和人の累類は何を求め、何を目指してここをその中心としたのか。歴史の中で揺すぶられ続けているはずなのに、このイノセントな「清らかさ」は、何なのだろう。答えの端っこにも触れぬまま、帰って来ました。
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そうだ、京都、行こう

2005年10月14日 | お出かけ
秋は京都。

我が家は京都へのお出かけが多い。日帰りもあれば、お泊りもあるのだが、車で出かけることが多く、ここ数年は数ヶ月に一度は行っている。京都といえば寺社巡りということになるのだろうけど、うちは京都通いの「通」なのでちょっと違っている。まず一つ二つ、お寺などに行き、三条・錦辺りに行き、豆腐を買って帰るのだ。
去年の春行ったのは、京都の町から少し離れた伏見。黄桜などの酒蔵がある街だ。新撰組で有名な池田屋もある。川沿いには酒蔵と柳があり、船に乗ることもできる。酒蔵で、買い物をしたり、食事をしたりすることもできる。駅前の商店街は、おみやげ屋と、日常の商店が混在していて、とても歩きやすい。町にはお茶屋さんがいっぱいあり、おいしい宇治茶が比較的安価で売っている。
今年の春は、京都国立博物館に行った。ここは無料駐車場があり、ゆっくりと観覧できる。明治時代にできた建物は、それを見るだけでも、楽しい。近代博物館の向かいは頭痛持ちの後白河院が作った三十三間堂。ここも駐車場に無料でとめられる。仏像一つ一つを見るだけで、1時間くらいはすぐに過ぎてしまう。
文化的なものの後は、当然、おいしいものとお買い物。四条辺りに車を止め、三条、錦市場に行く。京都は学生の町なので、古着屋さん、雑貨屋さんも多い。そこらを見て回ったら、いつもの手拭いやさんへ。私はここのデザインがとても好きだ。復刻柄なのだが、舞妓さんがスキーをしていたり、骸骨だったり、とてもポップで、楽しい。
錦では、豆腐ドーナツを買い、富美家にいく。鍋焼きうどんがおいしいんだけど、力餅の入った富美家うどんもいいし、カレーうどんもいいし、懐かしい感じのの中華そばもいい。とにかく迷う。食べ終わったら、お持ち帰りの鍋焼き、カレーうどんを買う。ちょっと甘めのだしだけど、安くておいしい。さすが京都の名水じこみ。たまにお漬物を買ったりするけど、「通」になった最近はあまり買わない。だし巻き卵や、じゃこ山椒を買ったりする。京の台所なので、生花も売っている。いつだかは、シャクヤクを胸いっぱい抱えて帰った。
もう帰らなきゃという頃には、車を出して、北野天満宮近くに、お豆腐を買いに行く。京豆腐といえば嵯峨釈迦堂清涼寺の「森嘉」(ここに行くなら、飛竜頭と、納豆を買ってみてください。さすがのお味です。京都で納豆は意外だけど、大粒で、本当にふっくらしていてしっかりしています)が有名だけど、うちはもっぱら北野のとようけや。とようけやは、北野天満宮の向かいに、軽食の食べられる茶屋があり、そこで、お豆腐も買えるのだが、品数は多くないし、売り切れも多いので、ちょっと入った北野下の森商店街にあるお店で買う。京都に行く目的の半分くらいはここの豆腐を仕入れる(そう、仕入れといいたくなるような量を買ってしまうのです)ため。青豆、紫蘇、ゴマ、、どれも納得のいく豆の味。当然湯葉も買うし、引き上げ湯葉、そうして、たっぷり厚い、油揚げ、豆乳。地元の人たちもひっきりなしに買いに来ている。普通のペースで、3000円くらいは買ってしまう。しかし、町の豆腐屋の値段なので、たっくさん買える。ずっしりと重い袋を乗せて岐路につき、帰ったら、夜食は豆腐尽くしと富美家うどん。油揚げは軽くあぶり、しょうゆをかける。湯葉に豆腐も盛り付けて、醤油でいただく。富美家のうどんは、具とだし汁がパックになっているので、お鍋で温めるだけだ。だし巻きを切り、漬物を買った日はそれを添えれば、十分贅沢な、お土産夕餉である。
他には、お茶の一保堂もやはりおいしく、缶がかわいい。
一澤帆布店にも行きたい。
東寺や北野天満宮の骨董市にも行きたい。

やっぱり行きたいぞ、京都。
やっぱり行こう、京都。

どこぞ、お勧めの京都があればお教えいただけるとうれしいです。
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