うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

怖い辻

2008年06月28日 | お出かけ
今日のように重い雨が降る土曜に、京都を歩いた。前々から、南座の裏に建仁寺があり、表通りのにぎやかさとは別世界のようだと聞いていたので、出かけてみることとした。観光客で溢れる祇園花見小路を通っていく。臨済宗建仁寺派の本山であるこの寺は、真っ白な障子を開け放し、雨にぬれた緑と白の対比がとても美しく、清清しい。人で溢れた京都の繁華街がすぐそこに在るとは思えぬ、きっぱりとしたところだ。建仁寺を裏手に抜けると六波羅蜜寺があるはずだ。六波羅蜜寺には経文を吐く、空也像がある。期待以上に清らかな建仁寺と、空也像、素晴らしいラインナップではないか。
六波羅蜜寺へは、緩い高低差がある道で、古い町家が、半分崩れかけた煉瓦塀やら土塀やらに埋まっている。猪の狛犬(狛亥?)のある摩利士尊天を祀るかわいらしいお堂もある。
と、ここまでは「表」の世界であったのだなあ。
六波羅蜜寺に曲がる辻にあったのは、幽霊子育て飴 飴自体は素朴な甘露飴のような琥珀色のものだが、その伝来は、幽霊の母が夜毎子に飴をくれにやってきたという話からきているようだ。
そうだ、六波羅だ。ちょっとそんな気持ちはしていたのだけれど、ここは六波羅、つまり、六原であるのだ。
六波羅蜜寺で空也様のお姿を拝見するのだが、私が思っていた以上に、ドスの利いた前のめりの立ち姿であった。
もう、子育て飴のあたりで十分ぞくぞくしていたのだけれど、周りをくるりと歩いて三条方面に戻ろうとしたのだけれど、普通の町のスーパーなどがあるところを通るのだけれど、なんだか、異界チックである。私の鬼太郎アンテナはバリ3です。そうそう、ここらあたりは、鳥辺野への入り口である。なんて考えながら歩いていたら、「六道の辻」の石碑、そうして、六道珍皇寺のまん前に行き当たってしまった。そおっと覗くと、祀られているお方は弘法さまのみでなく、小野篁さんと閻魔さん。例の井戸もあるらしい。私は国文学科だったので、小野篁さんのお噂はかねがね聞いている。夕暮れにもなってきたし、雨もやまぬし、ここは失礼しようと次の辻を曲がってみると、崇徳院さまのお名前まで。最強やん。
日が暮れる前に賑やかしい所に行こうと早足で歩いた先に金毘羅さんの鳥居。金毘羅さんといえば商いの神、と胸をなでおろしてくぐったら、参道の横にはハートの窓枠を持つお旅館があり、社務所の前では明るい色に髪を染めたお嬢さんたちが強烈なオーラを発しながらなにやら書いている。その横には夥しいお札が張られたカマクラ様のもの。人一人がやっと通り抜けることができるようになっているのだけれど、お札で白い房犬みたいになっている。こ、こ、これは。見たことがあるぞ、えっと、そうだ。田口ランディの「縁切り神社」の表紙の写真のとこだ。お札やら、その先にかけてある絵馬には、「AとBがわかれ、CとDがわかれ、AとDの縁を結んでください」とか、「Eが嫁のFと縁を切り、新しいいい嫁が来ます様に」とかが、個人情報保護法なんて全くかんけーなし、で書かれており、ストーカー除け なんてストラップまで売っている。そう言えば、さっきのお嬢さん達もそれぞれ個別できているような雰囲気だった。祇園あたりの旅館に泊まり、一緒に京都観光に来た友達には、「ちょっとおみやげ買い忘れたから」とかいって抜け出してきたんだろうか、なんて妄想も沸く。うーん、うーんと考えたけれど、私にはあいにく縁を切りたいような憎い相手もいなかったので、非常に漠然としたお願い事をしてよしとした。
図らずも「裏」を一巡り歩いたので、肩のあたりに力が入って筋肉痛になってしまった。しかし、そこは京都、すぐに華やかな祇園へと戻っていく。うなじの垢抜けた着物のお姐さんが歩いている。怖いとこやし、京都。「表」の分だけ「裏」を持っていなさる。

なんだか昨日から妙に東電OLが気になって仕方がない。堕落論として語られていたりするようだけれど、彼女はやっぱり、病いだったと思う。でも、人ってどうしてそういう風に病んでしまうんだろう。秋葉原事件の母の挫折も気になる。あ、彼女も東電OLと同世代だ。彼女、彼たちはどうして病的な行動に出るほど、傷ついてしまっているんだろう。これから、本屋に行って、「グロテスク」を探してこようと思う。
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めぐる

2008年06月05日 | お出かけ
どうも、パタパタとしているうちに5月が終わっちゃった。
この一ヶ月を、何も書かずにおくのも寂しいので、行ったところをあげとこっと。
雨宮処凛さんの講演会は5/3 その後の今日までのお出かけは
上賀茂神社
名古屋城 桜の美展
徳川美術館 江戸桃山の絵画展 2回目
一宮博物館 丸井金猊展
一宮 妙興寺
岐阜市歴史博物館 江戸・明治の華展
三重県立博物館 金毘羅宮書院の美展
川上貞奴別荘 萬松園
詩仙堂
三条 彦左衛門
建仁寺
六波羅蜜寺(空也上人様!)
六道の辻(歩いていたら行き着いてしまった)
六道珍皇寺(怖くては入れませんでした)
安井金比羅宮(怖い辻を抜けたよぉと歩いていたら鳥居をくぐってしまいました)
四条 東華菜館
法隆寺(百済観音様)
中宮寺 (菩薩半跏像様)
法起寺
興福寺(阿修羅像様!山田寺仏頭様)
奈良hotel 喫茶室

ちょっと悲しいこと。
今月エクストレイルを手放します。次車はCVTのコンパクトカー。
とうとう私も大人な選択でござる。やっぱり赤を選んでしまったけど。

 
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殿様の牡丹と屏風がおいでと言う

2008年05月02日 | お出かけ
世の中はゴールデンウィーク。仕事柄、中途半端な休みしか取れないのだけれど、晩春とも、初夏とも思えるご陽気はお出かけを促す。日曜は、仕事がらみで名古屋に行かねばならず、どうせなら何かを見てきましょうと、徳川美術館に行くこととした。徳川美術館、たいていの場合ハズレはないし、牡丹の季節だし。開催中の企画展は、江戸絵画だし、焼け残った旧本館のエントランスは蒔絵調で近代建築っぽいし。そんな軽い気持ちで行った「桃山・江戸絵画の美」展。
初めて入った徳川園は、ちょいと整備されすぎている感はあるけれど、広大なすがすがしいお庭で、牡丹の咲き乱れる。
          

さて、「桃山・江戸絵画の美」
とにかく、疲れた。目やら脳やらの奥に濃密に質の高い絵画が積み重なって行き、いっぺんに見るにはもったいないほどだ。
切手になった「本多平八郎姿絵屏風」を初めとして、「相応寺屏風」「豊国祭礼図屏風」などなど、しかも、すべてとてもよく保存されている。
屏風の中では、恋文を渡したり、祭の列に踊り遊んだり、市で物色をしたり、笑ったり、囁いたり、怒鳴ったり。みんな色とりどりの、手の込んだ柄の衣装をつけ、さんざめく。
徳川美術館の特別展というと、初音の調度の時期と源氏物語絵巻の時期以外は、刀やら茶道具やらのような、いわゆる茶色な物が多かったように思う。隠し持っていらしたわけではなかろうが、絵の特別展は少なかった。それ故に、さして期待もせず、ふらりと立ち寄った中での見るしあわせは金粉を浴びるような気持ちだ。これだけの優品が、惜しげもなくたっぷりと展示されている。大きく宣伝されることもなく。本多平八郎のゆったりとした立ち姿のように、最高の御洒落。
ここで見た絵はどれもどれも、楽しかった。屏風の中のどの人も楽しくて、屏風を書く人も楽しく、楽しく書いていたのだろうと思える。
           

美のための美は、五月蝿い。自らの美を追い求める気持ちが重ったらしい。己の美への利己心が見え隠れしてしまう。どうだどうだ という気持ちが透けて見える。自分の美に平伏させようという心が、どうしてもそこに出てきてしまう。美はひれ伏すものだ。美のために作られたわけではないものに、美がある。

ゴールデンウィークのお出かけ、徳川美術館特別展「桃山・江戸絵画の美」、必見です。渾身のおすすめです。
わたし?も一回、尾張の殿様のもとへ参りますぞ。
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さあ、美術館へ

2008年04月25日 | お出かけ
この時期になると、「そろそろ展覧会の時間ですよ」と思えてくる。毎年、4月後半からは美術館・博物館は興味深い企画展が目白押しになるのだ。それにひきかえ、冬場はなぜか「出かけよう!」と思えるものがほとんどない。そのせいで、展覧会の告知サイトなども除いたりしないので、冬篭りということになってしまう。私も美術館も、冬の反動か、この時期に企画展が集中してくるので、私はネットを検索したり、チケットの入手方法を考えたり、わくわくの大忙しなのだ。
今、見に行ってやるぞ、遠いけど、と思っているのは、京都国立博物館の「暁斎」
京都国際博物館の企画展はいつもたいそう面白い。もちろん、京都という土地柄もあるだろうし、収蔵品も桁違いに質・量ともに豪勢なのだが、企画力もやはり素晴らしい。美しいと思うことや知るということは、破壊と融合からやってくる。自分の中にあらかじめ形作られている、美の枠・知の枠に、新しき要素をばら撒き、破壊し、融合していくこと、心の枠の破戒のようなものが、人にとっては必要だと思うのだけれど、京都博物館の企画はそれを与えてくれる。といっても、どうも最近、西洋美術が脂っこくって匂っちゃうと思っているからなのかもしれないし、幾分喰わずに敬遠していた日本ものを見る刺激によるものかもしれないのだけれど、見慣れたはずの日本の美術というのが、新しいもの として迫ってくる。
近くの名古屋では、モジリアニとかモネとかの企画展があるんだけれど、そそられない。河鍋暁斎 うーん、そうきたかという企画のもっていきようだ。
京都国立に比べるのは気の毒と言えば、「たしかに」なのだが、去年の岐阜県美術館開館25周年記念大ナポレオン展は、本当に本当に、しばらく腹立ちが収まらないほどのひどい展覧会だった。「開館25周年記念」と冠するのであるから、きっとそれなりの思いを持って企画もしくは巡回要請されたのであろうと私は思った。なんせ、県民の税金で運営されている美術館の記念企画展なんだしね、って思った。しかし、あんなひどい展覧会を見せられたのは公立の美術館では初めてかもしれない。税金を返してください!と叫びたい気持ちであった。まず、展示物の出自がはっきりしていない。簡易レプリカなのか、当時の量産品なのかもわからない。ただ、ただ、ナポレオンと名のつくものは手当たり次第並べましたよ、ってものだった。蒐集者の品の無さというのは、こうやって品物に反映するのだ、と学習してしまった。物を集めるときは気をつけよ、ってえ勉強にはなった。しかし、これを記念事業として開催した岐阜県美術館、学芸員は恥ずかしくないのだろうか、と思った。おお失礼、書いているうちに思わず当時の怒りがふつふつと再現してしまいました。美術館にはやはり、人々に美を伝えるという使命を厳しく正しく誇り高く持ってもらいたい。岐阜県民として本当に恥ずかしかった。
後日、怒りの余りに「大ナポレオン展 ひどい」ネット検索をしてしまったのだけれ、企画している美術館は、政党も持ってる大手宗教関連のものだった。ということは蒐集したのはあの学会長なんだなあ。確かに私設美術館で見せられるのなら、致し方ないとは思うけれど、何でそういうものが、県立美術館の開館記念の企画展となったかはわからないけれど、重ね重ね、恥ずかしくいたたまれない気持ちになったものだ。

さあ、春の美術館めぐりは、そのような催しには引っかからないよう、注意深く探してみよう。

みたいぞ!なのは
暁斎 kyosai 京都国立博物館
桃山・江戸絵画の美  徳川美術館
いまあざやかに 丸山金睨  一宮市博物館
金刀比羅宮 書院の美       三重県立美術館
小袖江戸のオートクチュール   名古屋市博物館
江戸と明治の華     岐阜市歴史博物館
あらあら、やっぱし近世になっちゃいましたね。
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宿場の牡丹は池田山へと続いている

2008年04月19日 | お出かけ
最近の楽しみは、いわば下流である。無料、もしくは何百円という拝観料のところは、眼福の宝庫だ。国宝も、重要文化財も、登録文化財も、ほとんどは無料か小額の入場料で、その姿を拝見できる。千円札一枚も使い切らずに帰ってくるということも少なくない。

さて、先週の日曜は春の恒例である、多治見市之倉の陶祖祭に出かける。太っ腹の幸兵衛窯さんのお庭では、桜が散る中で太鼓のライブを聴く。昨年まではお茶とお菓子の接待があったが、今年からお菓子はカットされたよう。お大尽の無料お接待は、たとえ硬貨一枚で買える様なお菓子であっても、こちらまでのんびり泰平な気分になってうれしいものだ。ちょいとどんぶり勘定的な所が、利益率とかばかしの世知辛い中では時代錯誤でほっとする。幸兵衛さんのところでのそんな御接待がなくなってしまったのは寂しかったけれど、桜の堤が続く川沿いの窯では桜外郎の御接待があり、蕎麦茶を頂く。陶器を求める人たちが桜の中をゆっくり歩き、去年と同じように、桜が散り、菜の花が咲き、底まで透明の川が流れている。
今年は市之蔵の奥にある熊野神社にも出かけてみた。険しい参道の途中には、鳥居を横断するように、見事な枝垂れ桜の古木がある。花は終わっていたけれど、いつかは咲く姿を拝見したい。格天井には大正の陶工が奉納した絵が埋められている。唐美人やらが、ひっそりと在る。帰りは室町の本堂を持つ定光寺に行き着いたのもうれしかった。

         

熊野神社つながりで、今日は揖斐郡池田町の熊野神社クラフト展へ。
そういえば、牡丹の時期ですね、ということで、まず、旧中山道赤坂宿の御茶屋屋敷に。赤坂宿きっての旧家である矢橋家さんが無料公開しているお庭である。高い土塁に囲まれた御茶屋屋敷は惚れ惚れするような庭園である。                         
          
            
竹林に囲まれ、土塁の外には野草が揺れる。白い花を指し「これはオドリコ草」と友が教えてくれた。律儀に、そうして優しく整えられたお庭には時の花だけでなく、ぷっくりと育った野菜の花も咲いているのは好ましい。
牡丹の盛りはまだ少し先、ということだが、臙脂、紫、桃色の花は見時だ。
           
矢橋家は宿場の商いを経て、明治には大理石商となる。中山道から北の谷汲巡礼道、伊勢街道と分かれる四つ角に長い長い壁を持つ。そこから少し南東にはステンドグラスと大理石で作られていると噂に聞いた洋館がある。なまじのお大尽ではないのだ。
その四辻から谷汲巡礼道を北上し、池田町に向かう。近江から山越えをした西の人々は池田から美濃の平野をどのように見ただろう。そこかしこに清い水が流れ、遥遥と続く陽の当たる平野は、どんなにか魅力的であったろう。西の果ての向こうの地、東の始まりの地。たとえ凡夫でも天下取りを目指そうという気持ちにもなってしまうというものだ。茶畑の脇の水路には雪解け水がごうごうと流れる。ペットボトルに詰めたら「美濃一望の名水」とでも名づけ、そのまま売れそうな清らかな水だ。蓋のされているところは水琴窟のようにカランコロンと響く。春祭りのお囃子のようで、水音のようで私はわからなくなってしまう。遠くの山なみは新しい緑と陽の影で衣紋のようだ。そうだ、「夢」という映画の中に出てきたような、春のやまがだ。
池田熊野では参道でクラフト展。なんと50円という梅茶漬けを頂く。私、梅干はちょいと苦手なのだけれど、「だまさぬ味」の梅茶漬けはさらさらといただけた。このイベントの企画者の土川さんの庭では、窯でお肉がおいしそうに焼けていて、本とにほんとに夕方の懇親会に出たかったのだけれど、後ろ髪を引かれつつ帰った。少しだけお話をした土川さんは中濃のわたしにはかすかに西の言葉。
池田は京都の熊野神社の荘園であり、池田庄と呼ばれていたらしい。
中山道を近江から美濃へと辿っていくと、そこが西と東の境界であることがわかる。近江のべんがらが、関が原を境に消えていく。しかし、その言葉の端々に残る西の香り。そして、混じり物の一片もない水と大気。
本当に美しいものは商売をしない、ということが私には楽しい。
今まで生きてきた中で服とか装飾品とかに散財はしなかったけれど、たくさんたくさんの茶碗やらを買った。もしかしたら一生分を買ってしまったのかもしれない。でも、本当にほしいものは、定光寺の本堂だったり、御茶屋屋敷のような庭だったり、池田山からの眺めだったり、する。それらは値段のつけがたいもので、私はそれに今まで気づかなかった。物を手に入れれば入れるほど、本当に欲しい物は、手に入れられないものだと気づく。自分のものにするということにとらわれることの馬鹿馬鹿しさに気づく。年月を経、美しさを増していくものが、その場所に、居続けていてくれることの安らかに気づく。本当の贅沢は、それがそこにいて、見に行けばそこに居続けていてくれることだ。逆説的に言ってしまえば、私のものでないからこそ、それは美しい。私が気ままに出かけても、私が気に入らなくなっても、そうしてわたしがここから居なくなってしまっても、それがそこに在り続けるということが、美の完成であろう。
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春祭りをふたつ

2008年04月14日 | お出かけ
春はいいなあ。お祭がいっぱいだ。
この前の土曜4/12は、2年ぶりに美濃にわかに出かけた。うだつのあがる美濃の町は、電線も地中に埋められて、随所随所に提灯が提げられている。星の瞬く空が大きく見える。ぶらぶらと歩いていると、ゆっくりお神楽が近づいてくる。「わっち」「なも」との美濃言葉もゆかしくにわかが演じられ、また、神楽とともに去っていく。ちょいと前まで、この国の多くの人は、鼓やら太鼓やら笛やら三味線やらを演じることができていて、「わっち」やらのようなお国の言葉は何も恥ずかしがることなく話されていて、壮年の人老年の人は若者と祭の準備をしていた。大人になっても、年寄りになっても、「ちゃん付け」で呼ばれ続けていたのだ。

先週4/5は初めて、犬山祭に行った。
近くに住んでいて、これまでに一度も出かけたことがないなんて、本当に惜しいことだったと思う。宵祭に合わせて行ったため、からくりを見ることはできなかったけれど、ろうそくをつけ、引き回される山車は、それは豪壮だった。
   
        

日が落ちてくると町の若衆がこどもを肩車しながらやってくる。

                 
こどもたちは町のおにいさん、おじさんに担がれて、誇らしげに絢爛な衣装をつけてやってくる。この子らもお神楽を山車の中で演じるのだ。そこに細かな桜の花びらがいくつもいくつも舞い落ちる。夢の中でも見たことのないような、美しさだ。そうして、「民俗芸能」とか「保存」とかとは全く関係もなく、そこに「町」があり、町の営みがある。今そこに在る町の子と、今そこに在る町の大人が、毎日の暮らしの中で何百年も続いた祭を通して、繋がっている。
          

犬山は、本当にいい町だ。美濃は本当にいい町だ。
犬山を犬山と、美濃を美濃としているものが祭であるのかもしれない。いい町であり続けさせているものが祭だろう。多分、犬山も美濃も祭の都合に合わせて町並み作りがされている。それ故に、高層の建物や効率的な施設が作れないかもしれない。しかし、その効便を捨てて余りあるものが、そこにはきっとある。その町に住むと言うことは、その町の祭の中に入るということなのだろう。
古い町並みが観光資源として注目され、多くの地方がそれによる集客を目指しているけれど、ただ、それを装っているだけではないかと思われる所は興ざめで詰まらない。町も祭りも、観光の人のものだけでなく、住む人のものでなければ似非に成り下がってしまう。
そうして、町には祭が必要だ。春宵の町家の路地の上で考えた。町が観光だけを目指し、祭を殺せば町もきっと死んでしまうのだろう、とね。
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円明寺の邂逅

2008年03月25日 | お出かけ
ふと出かけた犬山城下 ふと通った路地で 目の端に桜色が入ってくる
そこは寺内町という通りで、ここにこの木が三百年も花をつけていることを
何も知らずに私は この木に出会ったのだ。
       

もう日も暮れかけている。門の中の枝垂れ桜は肩先だけを通りすがる人に見せている。

       

桜は甍に似合う。甍は桜に似合う。

        
思いがけず、桜と出会う。その「在る」ことも知らず、咲く時も知らぬ桜に、道の先で出会う。ずうずうしくも、待っていてくれたのかと思えてしまった。
名のある桜を尋ねて歩くのも楽しかろうが、桜を見る本当の喜びは、このような偶然の出会いである。大勢の花見も愉快であろうが、由来も知らぬ桜を一人見上げる時、桜とはこのような木であったのだなあ、と思う。
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花狭間

2007年11月20日 | お出かけ
随分気温も低くなり、うちの近くの銀杏もところどころ色づいてきた。日曜は紅葉狩など、と思ったのだけれど、里はまだまだ紅葉半ば。しかし、恒例の湯たんぽを出動させるほど、冬は近づいている。少し山に入れば色づきも濃かろう。はてさて、どこに出掛けたものか。去年うかがった谷汲の横蔵寺。高低差のあるお庭、お堂は紅葉狩のためである筈。横蔵寺まで登れば色づきもさぞやだろう。それとも久しぶりに明治村でも出かけようか。空は鉛色。雨が近い。広い広い明治村や横蔵寺に登る途中で雨に降られるのは難儀だ。やはり、多治見に行こう。数日前から、むらむらと虎渓山永保寺に行きたくてたまらない気分になっているんだ。お寺に行くのに、「むらむら」というのもおかしな話だけれど、岐阜にたった2ヶ所のの国宝の鎮座される虎渓山永保寺。隣の公園には随分前に行ったけれど、お寺が国宝だということを知らず、通り過ぎてしまったところだ。そうだ!今日はどうしても私は虎渓山永保寺に行きたいのだ!ネットで調べてみると、国宝のお堂2つと名勝庭園があるのに、静かな紅葉が見られるらしい。もう、止まらない。さあ、出発だ。
可児を通り、ヤイリギターを過ぎる頃には、ぽつぽつと雨が降ってきた。多治見市街では、もうどしゃぷりだけれど、引き返すわけには行かない。こんな雨の中、多治見の町は大きく渋滞している。一体皆さんどこにお出かけか?まさか虎渓山永保寺に紅葉を見になってことはなかろうし、陶器祭りでもないはずだし。
などの疑問を抱きつつ、山に入る。なんだか臨時駐車場まであったりして、そんなに人気なところでしたか、ごめんなさい、と思ったんだけれど、どうも様子が違う。和装のご婦人だらけ。臨時の看板には、庫裏完成記念茶会とある。偶然にも、そのような特別な日に、登山のような格好にウォーキングシューズで来てしまいましたよ、私は。

いやいや、どうもこれは仏縁。年に一度しか公開されない国宝のお堂の扉が開いているのだ!国宝裏表上下左右見放題!決まった拝観料も無し!これを仏縁と呼ばずしてなんと言おう。きっときっと呼ばれたのだわ、と、和装の方々の中をじっくり拝見させていただきました。紅葉にはちょっと早いけれど、お堂も、名勝庭園も伸びやかで凛としている。

花狭間 花の形に細工されている戸から黄に赤に色づき始めた木々が見える。
庭を抜けると清流が流れている。

大きな葉をつける銀杏も静かに燃える。


私をこの日にお呼び下さったあのお方に感謝。
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若冲熱

2007年05月30日 | お出かけ
先週初め、加入している生保の契約者サービスシステムからメールが来た。期間限定のホテル予約のお知らせだったのだけれど、その中に以前食事で立ち寄ったことのある、大津プリンスが入っており、余りの低料金に思わず、日曜の予約を取ってしまった。大津に行くなら、京都はすぐでしょ、京都ならもう一度若冲、と頭の中でまっすぐにつながってしまった。
という訳で、日曜は車で大津に向かう。一般道でゆるゆると向かうが、早朝で混雑はない。とにかく京都で若冲を見ることだけが今日の目的なので、急ぐ旅ではない。看板につられて、近江商人の町並というところに寄ってみる。車内から見るだけでもわかる立派なお屋敷。欄間には龍がいる。今度はしっかり時間をとって歩いてみよう。大津プリンスについたのは10時。ホテルのシャトルバスでJR大津駅に送っていただき、今回も京都駅の人ごみを避けるため山科で降りる。地下鉄一日パスで、まずは京都市役所前に向かう。昼食は、三条川原町でと思っていたからだ。
京都にしては比較的年齢層の低いこの通りの狭い路地を入っったところにお店がある。確かに、敷居の高そうな、一見さんお断りそうな、お値段の恐ろしそうなお店ではあるが、えいやっっとはいってみる。お店は、焼肉やさん「彦左衛門」。かつて旅館だったところである。掘りごたつ風のテーブルのあるお座敷に通していただける。内庭には5月の風が吹いていて、木の葉がさわさわ揺れている。日曜のランチは1500円からいただける(平日はランチメニューも、もっと充実し低料金からあるようだ)。うまうまのお肉が5切れと、私の読みが正しいなら釜炊きのごはん、スープ、キムチ、サラダ、コーヒーのセット。テーブルで焼きながら頂く。京都の古い旅館の日本間は遠い国に来た様に静かで、なんもかんも忘れることができる。庭の木を見ながら、ボーっと食後のコーヒーを頂く。いいなあ、京都の古いおうちの、世の中から捨てられたような気持ちで頂くお昼ごはん。若冲展はきっと、すごい行列だろうと、ここで英気を養う。
さて、ぽちぽちと歩いて烏丸御池から、相国寺に向かうため地下鉄に乗る。図らずも二週連続の今出川だ。
とりあえず相国寺まで行くと、120分待ち。それを聞いて引き返す人も多い。今日は閉館時間までいるつもりなので、3:30まで時間をつぶそう。先日週刊誌に載っていたお漬物やさんに向かう。お店は、寺町通り今出川上がる「野呂本店」さん。京都はこういう観光地に出店していないお店に、おいしいところが多くて楽しい。「青てっぽう」「葵大根」をいただく。お店も中庭が見える素敵なところだ。汲み上げの井戸水を頂く。さすが御所の水系は冷やりと癖のない甘露。ホントに楽しいおみやげは、賞味期限の短い物だ。京都のお漬物も、私の中では「おみやげ」から「観光土産」のレベルに下がってしまっていたので、最近購入しなかった。しかし、ここのお漬物はいい。賞味期限も長くないしね。
もう少し時間をつぶすため、同志社に入ってみる。ファルコンのマネキンが静かに首をかしげる。
さて、若冲展は90分待ちになっている。今回は第2展示場に絞って予定通り閉館までいた。閉館のアナウンスがあっても、去りがたい人が多い。しかし、頭越しでなく33幅を見渡すことができた。「荘厳(しょうごん)」 釈迦三尊像を30の動植が荘厳している。若冲さんはこんな風に老若男女が、自分の絵を見るために集っていることを想像したろうか。「若冲って変なやつやったろうな、友達になりにくそうやな」って思えてしまうんだけれど、何百年も、市井の人々をこの寺に集め続ける。江戸時代の人も、明治時代の人も、子どものように、おおっと声を上げながら、楽しそうに見たんだろうな。思想とか自己表現とか、そんなややこしいことはひょおい、と越えてさ。そうだ、自己表現ってやつの「われが、われが」なんて、所詮は底の浅い物で、「捧げもの」としての気持ちが存在しなければ、いいものはできない。それは自らの小ささ、罪、頼りなさを自覚するということなのだろうと思う。
実は我が家は相国寺派の門徒であり、墓所が京都の相国寺派の寺にある。先週、お豆腐を買った帰りに知らぬ小路を歩いていて、墓所のある寺に偶然行き着いてしまってびっくりした。きっと先祖も出来上がったばかりの動植栽絵を見たことだろう。不思議といえば不思議な縁かもしれない。そういえば、私は3週続けて休日に京都にいる。3週前から断続的に頭痛に悩まされている。風邪を引いたときくらいしか頭痛のない私にとっては稀なことだ。頭のどこかと若冲の絵が七色の紐で結ばれていて、時々、つんつんと引っ張られているせいかもしれない。
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春をあるく 山登り篇

2007年05月05日 | お出かけ
ゴールデンウィーク。世の中は西へ東へお出かけ中か。私はといえば、ぎふてぃの心優しきおにーさん3人(註:年齢不問)と、その姫と、わが友のオネーサン(引き続き年齢不問)と、お山に登りました。天下布武の金華山よりちょいと高いお山。天下の上を行く思いですよ。皆様、ペースあわせてくださり、ホントにありがとう。向かい酒というのがあるのだから、筋肉痛にも向かい労働とばかり、今日は屋根を越えてしまいそうな我が家の泰山木の枝払いをいたしました。仕方ないよね。どこまでも繁らせておくわけにはいかないんだもん。我が家は田園のドンツキにある。庭木は田の陰となってしまうし、雑草は、田に種を撒き散らせてしまうんだ。人の作った物を食べ、里や町に住むということは、庭の枝を払い、雑草を抜くということなのだね。
すぐに大きくなってしまうこの木は幹も密ではなく、わたしでもシャクシャクと簡単に伐れてしまう。ノコギリをふるうと、いい香りが漂ってくる。脚立の上で、遠くを見渡しながら、私は泰山木をかぐ。そう、お山もいい匂いがした。春の木はかぐわしい。少し甘く、少し清い好い匂いだ。遠くに見える山も街も霞んでいる。私の国の春は朧で、かぐわしい。
ゴールデンウィークの各地のニュースを見、また、春の祭りのことを考えている。春の祭りは、浄め、再生の祭りだ。もう芽吹かぬ枯れた枝を焼き、湿潤な地に棲む虫を燻し、焼き、駆除し、新しき水を捧げ、全てを新しくして、早乙女は舞う。若き男子は馬に乗り、魔除けでもある弓を鳴らして流鏑馬をする。冬の間に澱んだ空気の粒の一つ一つを、火で水で煙で清めるのだ。「死」を、「魔」を追い払う。生まれ変わるのだ。新しくなるのだ。やわらかいさみどりのかぐわしい春をむかえる。全てを新しくするのだ。いい匂いの春の粒がそこいら中でいくつもいくつも、ばちんばちんと、はじけて薫る。そんなイメージが大気の中から、そうしてわたしの中から湧き立って来る。
春をこんな風に感じるようになったのは、数年前からだ。
見たり聞いたり読んだり学んだりしたことは、ある時から一つのイメージとして現れる。頭の中にあった知識や経験が渦を巻き螺旋になり、起点は終点となり、原因は結果となり、カチャリと符合し、脳から、言葉から解放される。見る為に知り、知る為に見る。わたしはただイメージの器としてあるのだ。何かのためという囚われから離れ。「知ること」を越えるために、「知ること」はあるのだと、思える。だからこそ、「知ること」は大切だと思える。学ばぬ人は不幸だ。知識の果てでしか、知識を越える物に出会えぬ、とわたしは思うよ。

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内職with大西ユカリ

2006年11月28日 | お出かけ
只今、内職・本職ともに、超多忙中。締め切りありの内職ゆえ、とにかく余分なこと考えず、ブンブンと仕事をきりたおしている。ゆえに、秋の投稿強化月間も不定期半休業、です。
が、行っちゃったんだもーん。大西ユカリ&新世界inクラブダイアモンド。
会場に入ってみると、予想外に客の平均年齢が高い。普通のおじさんおばさんが随分多い。しかも、ライブでよく見る業界風のお洒落な方ではなく、本当に普通の。私なんかでも、若い方にはいっちゃう。しかも、始まってみると、皆さん、振りもちゃんと知っているし、今日や昨日のファンではなさそう。恐るべし。
大西ユカリちゃん。 非常にヨロシ。昭和歌謡も、スカも、ゴスペルも、よろしかった。ゴスペルでは不覚にも泣いてしまた。あれだけの客数で、そう大きくはないホールで、アンコールこみ2時間半。とても贅沢でしたよ。
ここらで知ってる人は少ないんだけれど、クレイジーケンバンドに劣らぬ力のある人だと思う。浪速のピアノ弾き語りのオバハンは随分世の中で評価されてるけど、私はユカリさんのほうが好きだな。「タイガー&ドラゴン」なんて歌って欲しいなあ。もちろん、ゴスペル、もっともっと聴きたいなあ。
新世界というバンドも、とてもお上手で、でもちょっと脱力でヨロシ。本当にいいバンドだったなあ。
さ、次回を楽しみに、お仕事の続きをしよう。
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べらんめえ鏡花

2006年11月24日 | お出かけ
桑名は鏡花が「歌行燈」のモデルとした地。鏡花の代表作といえば、やはり「歌行燈」と「高野聖」なのだろうけれど、私の記憶に二つの代表作はあまり重くはない。ずっとずっと前、鏡花ばかりを読んでいた時期があった。その頃は、「胡乱」な物に取り付かれていて、高畠華宵や玉三郎やらを見ていた。その中でも好きだったのは、「婦系図(義血狭血)」「滝の白糸」「夜叉が池」「天守物語」
それらの中の水芸の御姐さんやら、本当は池の妖怪やら、天守に住み着いたもののけの姫やらは、みんな、苦境に立つ鉄火肌の御姐さんだ。御姐さんを苦境に追い込んでいる者は、肩書き持ちのオジサンたち。オジサンたちは自分の肩書きや財産や常識を守るために御姐さんに無理難題(御姐さんたちにとってはそうだ!)を突きつける。もののけと人間は一緒になってはいけないとか、恩師と女とどっちを取るのだとか、貸した金をたてに自分の女になれとか、本当に今も昔も偉いオジサンたちは困った人たちなのである。金と権力と建前があれば、なんでも自由になると思っている。

君たち、おい、いやしくも国のためには、妻子を刺殺(さしころ)して、戦争に出るというが、男児たるものの本分じゃ。且つ我が国の精神じゃ、すなわち武士道じゃ。人を救い、村を救うは、国家のために尽(つく)すのじゃ。我が国のために尽すのじゃ。国のために尽すのに、一晩媽々(かかあ)を牛にのせるのが、さほどまで情(なさけ)ないか。洟垂(はなったら)しが、俺は料簡(りょうけん)が広いから可(い)いが、気の早いものは国賊だと思うぞ、汝(きさま)。俺なぞは、鉱蔵は、村はもとよりここに居るただこの人民蒼生(じんみんそうせい)のためというにも、何時(なんどき)でも生命を棄てるぞ「夜叉が池」

天下国家やら、世界平和やらを仰々しくうたいながら、その実、「わたくし」にヨクヨクとしている。そういうオジサンたちに鏡花の中の御姐さんたちは、耐える。忍ぶ。それはいとしい人を守るためであり、お天道様に顔向けできないことはしたくないからだ。なのにオジサンたちはこれでもかと御姐さんを苦境に追い詰める。堪りかねた御姐さんは、とうとう言ってしまう、叫んでしまう。

鷹は第一、誰のものだと思います。鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝嵐夕風の爽かな空があります。決して人間の持ちものではありません。諸侯(だいみょう)なんどというものが、思上った行過ぎな、あの、鷹を、ただ一人じめに自分のものと、つけ上りがしています。貴方はそうは思いませんか。「天守物語」

あんた達の大切にしている物はなんて汚いのでしょう。それを臭い口から言われたって、私はあんた達の思うようにはならない。あんた達がもののけだ、貧乏人だと思うものの中にどれだけ清く美しいものがあるかあんた達には、何にもわかっていない。そんなお人たちになぜ私の大切な物を汚されようか、べらんめえ。とね。
ぱちぱちぱち。よぉぉく言った、御姐さん!  拍手喝采だ。
警官や村長や判事や金持ちやは、鏡花の御姐さんの前では襤褸のようなものだ。名もない御姐さんや生首に舌なめずりするもののけの姫様は、彼らよりずっと「ひと」であるなあ、と私は思ったものだ。
オジサンたち(そうして心はすっかりオジサンのオバサンオネエサンオニイサン)は今日も談合を繰り返し、情報操作をし、とりあえずメディアの前では形ばかり頭を下げ、「遺憾だ」と他人事のように言い、世のためという名の売名、アホな少女を買い、料亭でこっそりお話をし、接待したりされたりしちゃっているんだろうか。
おじさんの青年の頃の志はどこに行っちゃうんだろうか。その初めは清かったであろうに。

栄燿(えよう)が見せびらかしたいんだな。そりゃ不可ん。人は自己、自分で満足をせねばならん。人に価値(ねうち)をつけさせて、それに従うべきものじゃない。(近寄る)人は自分で活きれば可(い)い、生命(いのち)を保てば可い。しかも愛するものとともに活きれば、少しも不足はなかろうと思う。宝玉とてもその通り、手箱にこれを蔵すれば、宝玉そのものだけの価値を保つ。人に与うる時、十倍の光を放つ。ただ、人に見せびらかす時、その艶は黒くなり、その質は醜くなる。「海神別荘」
                             青空文庫
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分れてもすえに

2006年11月22日 | お出かけ
日曜のお出かけは、桑名。諸戸家庭園と旧諸戸家邸(六華苑)でした。うちのナビは一宮から津島を通って弥富に行き長島から桑名に抜けよと指示。1時間半弱で桑名到着。空は暗く時に雨降りの日曜。諸戸家庭園は人影少なく、ほとんど貸切のような状態。撞球室、高く嵩上げし西本願寺を模したというお屋敷。庭は琵琶湖八景に作ってあり、ドウダンが紅く照っている。運河に続く庭沿いにはレンガの壁。あまりの広大さに人家と鳥は気づかぬように、気ままに鳴いている。諸戸家初代清六は、喰うのに時間のかかる温い飯を自戒し、冷や飯を食べて莫大な富を得た。山林王となった。幾らか商売がうまくいかなくなり気鬱になっていたときに、新築をして厄を払えというようなことを言われ、母屋を作ったと言う。商売がうまくいかなくなって作ったおうちなの、これが!?という煌びやかではないが芯の硬い美しいお屋敷。きっと彼の仕事振りもこのようだったのだろう。くるりと川沿いの道を歩き、2代目が建てた洋館を持つ六華苑へといく。
                         
2代目の建てた洋館は塔を持ち、やはり広大な池回遊庭園を見下ろすことが出来る。そうして明るく伸びやかだ。園内のレストランで食事をとり、少しだけ桑名の街を走ってみた。あらあら、「柿安」さんだ。お肉を売っているようで、たくさんの車が止まっている。はいってみると、小型スーパーのように、野菜やらパンやらデリカやら。色とりどりに盛られたお弁当やら。併設のcafeレストで牛丼も食べられる。おお、残念。さっきの食事でお腹は一杯なんですよ。次回は必ず必ず、ここで牛丼を食べ、お弁当を買って帰ろうと心に決め、お肉やらお野菜(キャベツ100円。桑名まできて、キャベツを買ってしまった・・・)やらお惣菜やらを買った。向かいの路地には鏡花の小説に出てくる饂飩屋、今はその名も「歌行燈」というそうな。しかし、残念ながらお腹は一杯。次回は、牛丼とお弁当とうどんを、必ず必ずと思いながら通り過ぎた。辻を越えると、「歌行燈」の中の宿屋(湊屋)のモデルとなった「船津屋」さんの美しい格子が見えてくる。うちに帰って調べたところ、船津屋さんのお食事は格の高いお札が必要のよう。うーん、仕方ない、次回はやっぱ牛丼とお弁当とうどんだね。お土産は柿安さんで買った食材と、貝新さんの「志ぐれたまり(315円也)」。しぐれの佃煮を作った溜りをブレンドしてあり、しぐれのだしが出ているとのこと。ふむふむ舐めてみると確かにこれはしぐれの味ですよ。今日はハマチのみぞれなべ。この溜りと、ポン酢、2種の味で食べてみよう。
桑名は古いおうちがたくさん残っている。黒い壁の低い軒の細かな格子の。宿場であり、後に海運で栄えたこの町。山林王の欅づくりの商店と、レンガ積みの倉と、空色の洋館。
なぜ、こんなにも近代建築は美しいのだろう。商才で富を築いた往時の人の弾けるような悦びが伝わってくる。退廃にはまだ遠く、己の手の中の富を惜しげもなく、あはあはと笑いながら費やしている。そんな快活な気持ちが伝わってくる。自らの才覚を素直に楽しんでいる。そのわかりやすさを時代も許している。
私の時代のお大尽は後の世に、一体何を残すのだろう。みみっちく隠蔽したりするために、嵩のはらぬ金のインゴットとか、汚い茶碗とかだろうか。紙っキレの株券だろうか。せめて、美術館作っちゃうくらいはして欲しいもんだ。
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運命の恋

2006年11月13日 | お出かけ
11月、秋たけなわのお出かけは、名古屋市則武にある、トヨタの産業技術記念館。自動織機や、車の製造工程や、ロボット展や、お子達も一杯、家族連れ、ドこぞの企業のおじさんの研修旅行の団体。外国の方。賑わっておりました。子どもの頃から文系で、機械やらには興味がなかった私。機械って、煮物ばかしが詰まって全体に茶色いお弁当のようだと思ってた。それに比べて、お話やら歴史やらは、だし巻きの黄色、ブロッコリーの緑、トマトの赤、エビフライの黄金色、とにかく色とりどりで楽しそうって思ってた。しかし、大人になって「機械」を見ると、結構エキサイティング。最新の自動織機はまるで和太鼓集団のようにリズムを刻みながらお仕事をする。ロボットは心を持っているように、働いている。たっぷり時間をかけて見ても飽きない。私の頃の大学受験は、文系でも盛りだくさんの理系科目の記述入試があり、そのおかげで、否応なく理系科目のリテラシーは育てられた。昨今の受験は少子化の影響もあり、入試科目が減らされていたり、文系にとっての理系(理系にとっての文系)はマークシートとなってしまっている。大学入試の時期に、自分の専門の対岸にある科目を、きちんと勉強しないことのデメリットは大きい。日本は、マークシートの導入に伴い、そういう育て方をしてしまっているのかもしれない。本当に高度に専門化された研究をするには、真逆の発想、文系における理系的発想、理系における文系的発想が不可欠であるのに。それができない人を日本の教育は何年もかけて作り上げているということかもしれない。大学受験が人生最大の通過儀礼であるという日本のシステムにおいて、その罪過は深いなあ、とレンガ作りの展示館を見ながら考えた。

まだ、日暮れには時間があったので、急いで川上貞奴が福澤桃介と住んだ二葉御殿へと向かった。二葉御殿は数年前までその崩落が危惧されていたのだけれど、市の改修によって、きれいに保存されていた。「お大尽御殿探検隊(いつから?)」の私にとっては、ちょっと美しくなりすぎていて、もっと古いままで改修して欲しかったなって思ったのだけれど。
ステンドグラスの花、紅葉、女神。
往時の女性には珍しく、花のように口をあけて笑う美しい貞奴。そうして「人たらし」であっただろうと思わせる桃介の美丈夫ぶりの幾枚もの写真。ここは名古屋産業界のサロンであった。貞奴と桃介は若い頃出会い、お互い違う相手と結婚をした。貞奴は川上音二郎と結婚し、欧州で女優としての名声を轟かせた。桃介は福澤諭吉に見込まれその娘の養子となり、株投資で成功、電力王と呼ばれるまでになった。そうして、壮年となった二人はここに共に住んだ。彼らにとって、お互いは運命の恋人であったのだろう。しかし、貞奴は音二郎と結婚し欧州に渡っていなければ、一介の人気芸妓で終わっていたかもしれない。桃介も諭吉に見出されて婿になっていなければ、郷里に帰って病弱な教師にでもなっていたかもしれない。お互い違う相手と結婚したことにより、名をあげ、それ故に再会できたのかもしれない。それを経なければ、一緒になれぬ二人のえにしというものもある。それも運命の皮肉ということである。また出会うために、他者との結婚が必要であった二人。稀代の女優と稀代の電力王は、その運命の力で、最も人生の充実した時をここで過ごしたのだろう。

そうして私はあの青年を、いや、少年とも青年とも区別できぬあの頃の彼を思い出している。思い出は、多くはない幾本かの糸となり、その糸を私は縦にし、横にし織っている。時にあの時の彼の面影がふと形をなし、また消えてしまう。ちょっとだけ私に笑ってみせる。もうとうに青年ではなくなった彼の顔と重なったり、離れたりしながら。
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やっつけしごと

2006年10月30日 | お出かけ
急な内職が西からやってきた。おおこれはあそこ、例のとこ、なんて思っておもしろかった。たまにはよその地区のお仕事もいいもんだ。ただ、期限切れ間近なチケットが2枚あり、この日曜に行かねば使用不可になってしまう。お仕事をちゃんとやり終えてお出かけしようとしたけれど、ええい、ままよ、と出かけてしまった。まずはここ。

始めて志村ふくみさんの織物を見た。そうして多くの展示物の中でもなぜか、やたらと箱が気になる。なぜ?
常設を見ていたら、広い展示室に突然独りになってしまった。たくさんの須恵器が並ぶ部屋の中。お茶碗が襲ってくるわけではないのに、とにかく怖かったなあ。
そうして、ここ。

観覧者は、5人。みんなすぐ近くの新しいところに行ってしまったのでしょう。竹の植わった中庭でぼんやり甍を見る。先週はいろいろあった。本当は、怒りと徒労感の真っ只中だったんだ、あたし。でも、またこんな日は、ここに来ようと思った。見る人も疎らな資料館。まっすぐな甍に囲まれて、この中庭には結界ができている。護りたまへ、浄めたまへ、休ませたまえ、美濃の甍よ。

ついでなんで、近くの新しいとこにも行った。いい建物だ。悔しいけど(これは岐阜県民の血税だもんね)初めて来た時から、好きなんだ。ここ。

もう山の端しかわからぬほど日が暮れている。なあんて遊んでしまったので、帰ってから再開したお仕事は真夜中までかかってしまったけど。

あ、なんか画像がちゃんと貼り付けられない。何分やっつけ仕事なのですわ。
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