乗鞍岳への自転車道

40歳で突如、自転車乗りになろうと発心して早15年。CAAD9少佐と畳平へ駆け上がる日はくるのでしょうか。。。(汗)

芭蕉さん

2007年09月20日 | 日常

昨日は、いつもお仕事をいただいている版元さまのところへ、

お打ち合わせに行って参りました。

この版元さまの所在地は、東京の下町のほうにございます。

東京の西の果て=高尾に住んでおりますわたくしは、この版元さまのところへ伺うには、

直線距離にして50km以上もの移動をしなくてはならないのでございました。

アクセスにかかる時間は、片道、たっぷり1時間半でございます。

ですが、わたくしは、この版元さまのところへ伺うのが楽しみなのでございました。

それはなぜかと申しますと、都心部より西側にしか住んだことのないわたくしにとりまして、

東京の下町というのは、異文化であり、江戸の薫りを感じさせてくれる興味深いエリア

だからでございます。

打ち合わせの前後に、ちょっと近所をぶらぶら歩いたりするのが、とても楽しいのでございます。

昨日の東京は曇天で蒸し暑かったのでございますが、ちょっと遠回りして、

墨田川の堤防を歩いてみることにいたしました。

Dsc00960

なんだか薄暗くて、殺伐とした風景になってしまいました。。。

前方に見えるのは、清洲橋でございます。

河口が近いので、隅田川の水面からは、潮の香りが漂っております。

この付近には、かの、『奥の細道』で有名な、松尾芭蕉の邸宅があったところらしく、

隅田川沿いの遊歩道のあちこちに、芭蕉の句碑などが立っているのでございました。

海に向かってぶらぶら歩いてゆきますと、住宅地の中に、なにやら歴史的旧跡っぽい

雰囲気の一角が目にとまりました。

Dsc00961

石の階段を上ってみますと、これこそが、芭蕉庵跡なのでございました。

そして、隅田川を見下ろすように、松尾芭蕉の像が建立されているのでありました。

Dsc00962

……唐突な芭蕉さんのご登場に、ちょっとびっくりでございます。。

曇天のせいでしょうか……なにげなく、不機嫌そうな芭蕉さんでいらっしゃいます。。

周囲は、住宅やビルなどに囲まれているのですが、この場所だけが

こじんまりと、芭蕉庵跡として、保存されているのでした。

でも、この像が作られたのは比較的最近のようで、真新しい印象でございました。

この場所は、住居表示でいいますと、江東区常盤というのでございますが、

両国も近いですし、ちょっと海のほうへ行けば深川でございますし、

江戸時代は、庶民の町として長屋がひしめいていたのかもしれません。

深川といえば、深川鍋……そうではなくて、深川の遊女でございます。

江戸城からみて、辰巳(東南)にあったため、辰巳芸者ともいわれますけれど、

芸者さんは遊女とは違いますから、江戸時代の場合は、辰巳の遊女というべきでございましょう。

辰巳の遊女は、吉原に比べるとぐっと年増で、男勝りのさっぱりした気性で、

男っぽい縞の着物なぞを着ていたそうでございますが、その気風のよさが

江戸っ子に好まれて、一時は、吉原の花魁をしのぐほどの人気だったとか。。。

ですが、松尾芭蕉が生きた時代と、深川の岡場所の最盛期とでは、時代にズレがありますから、

松尾芭蕉と深川の遊女とに、接点はないのでございましょうね(笑)

そんなことを考えながら、清澄公園まで足をのばして、清澄白河から帰路についたので

ございました。

次に、この会社へお打ち合わせに伺う機会がありましたら、今度は両国方面を

散歩してみようと思っております。

「ふらふら歩いてないで、仕事しろ!」という、ご担当者さまの怒りの声が聞こえてきそうでございますが……(汗)


長袖の服ください

2007年09月17日 | 日常

秋雨前線が北上して、ここ数日、関東地方はよく晴れておりました。

この連休、サイクリングにお出かけになられた方も多いのではないでしょうか。

ところが、わたくしときたら、連休はまったく自転車に乗らずに過ごしてしまいました。

それというのも、娘の学校でイベントが開催されていたからでございます。

この時期は、体育祭や文化祭を開催する学校が多いのでございますね。

わたくしのころは、もうちょっと秋が深まってからだったように思うのですが……

それともうひとつ、昨日の午後は、仕事の打ち合わせという重要な用事がございまして、

吉祥寺まで、でかけたのでございます。

八王子の……それも、高尾なんぞという場所からすると、武蔵野市吉祥寺町といったら

これはもう、三多摩一の大都会でございます。

あ、三多摩というのは、北多摩、西多摩、南多摩のことでございましてね。

東京都がまだ、東京府といわれていた頃、ええと、第二次世界大戦中までそうだった

と思うのですけれど、その頃は、東京は、東京市と、三多摩にわかれていたんですね。

東京市というのは、いってみれば、東多摩に相当するのでございましょう。

現・東京23区と重なるイメージでございましょうか。

ちなみに、以前、わたくしが住んでおりました杉並区は、現在は23区になっておりますが、

その昔は、多摩地区でございまして、このあたりは豊多摩といわれていておりました。

ですが、この豊多摩は、東多摩とともに、東京市に編入されたので、

現在は23区になっているのではないか……と、調べたワケでもございませんが、

勝手にそう思っているわたくしでございます。

間違っていたら、ごめんなさいませ。

(ワールド・ワイド・ウェブ上で、このような曖昧なことを書き散らして、

ほんと、危なっかしいですわね。)

で、多摩というのは、律令制時代(奈良時代~明治初頭くらいでしょうか……)

の地理区分でいうところの、武蔵国多摩郡のことなんですけれど、

武蔵国(むさしのくに)は、その昔、ムサの国だったというのをご存知でしょうか。

それで、ムサの上(京都に近いほう)のエリアが「ムサカミ」→「ムサガミ」→「相模」

となり、ムサの下(京都に遠いほう)のエリアが「ムサシモ」→「ムサシノ」→「武蔵」

……というように変化したらしい……というのを、何かの本で読んだことがあるのです。

(何かの本とは……これまた、曖昧な……)

あらあら、どんどん話が本筋からはずれてまいりましたわ。

とにかく、そういうわけで、現在におきましても、東京23区以外のエリア(島を除く)は、

旧・北多摩郡、旧・西多摩郡、旧・南多摩郡……になるのでございまして、

武蔵野市は、旧・北多摩郡に属していたのでございますが、

八王子市からお見上げ申しますと、北多摩郡などといったらもう、

えらい垢抜けているのでございまして、なかでも吉祥寺といったら、これはもう、

まごうかたなき、三多摩一の大都会といって、過言ではないのでございます。

ふぅ~……話が脱線して、申し訳ございませぬ。。。

そんな大都会に出かけたものですから、ついでに、洋服の一枚でも買おうと思い立った

わたくしでございました。

以前も申し上げたかと存じますが、わたくしは、服飾品とか装飾品とか服飾雑貨などには

まったく興味がないのでございまして、もし、世間体というものを気にしなくてもよければ、

1円たりとも、そんなモノに費やしたくないと思っているやからでございます。

ですが、クライアントさまとのお打ち合わせや、学校の保護者会などに備え、

いちおう、見苦しくない程度には、洋服もそろえておかなければならないのです。

ああ、無常……わたくしは、貧しい財政状況から、泣く泣く洋服代を出すことに

心を決めたのでございました。

……しかし、洋服って、お高いのですね。

ふだん、ユニクロさまの恩恵を最大に拝受して、一着あたり、きっちり千円で

済ましているわたくしにとって、吉祥寺のデパートの物価は、目玉が飛び出すほどに

高値に思えるのでございました。

最初に伊勢丹の婦人服フロアをくまなく見て回ったものの、どれも高くて、

とても手が届きそうにありません。

しかたなく、東急デパートに移動して、またもフロア中を歩き回り、

少しでも安い服を探すわたくしでございました。

こうなったらもう、デザインなどは二の次です。

とにかく、まず、値札をチェック。そこが第一のハードルでございます。

わざとらしく裏返っている値札を、1枚1枚ひっくり返して確認しておりますと、

なにやら、背後に殺気が……

そこには、悪魔のような笑みをたたえた店員さまが立っていらっしゃいました。

「いらっしゃいませ、本日は、どのような服をお探しですか?」

ぬおお! 見つかってしまいました。発見されてしまいました~!

ついに、店員さまのご登場でございます。

デパートの店員さまというのは、「限定品ですのよ」とか「素材も縫製もよいですから」とか

「これが最後の1点でございます」とかいう、数々の飛び道具を隠し持つ、

凄腕のバイヤーなのでございます。

極端に気が小さく、ノーと言えない日本人の典型でもあり、さらに腰がひけているわたくしは、

格好の餌食です。

わたくしは、店員さまに話しかけられただけで、オロオロしてしまうのでした。

「何をお探しですか? お好みをおっしゃっていただければ、お探しいたしますが……」

店員さまは、さらにわたくしを追及なさるのでした。

も、もうダメでございます。

ここは、おとなしく白状するしかございませぬ。。。

わたくしは、正直に心情を吐露したのでございました。

「あの……な、長袖の服を……」

その瞬間でございます。店員さまの愛らしいお目が、点になったのは……

長袖の服……そんなリクエストって、ないですわよね。

ああ~、わたくしって、なんて恥ずかしいオバサンなのでしょう。

「何を買いにきたのですか?」ときかれて、「長袖の服」って答えてしまいました。

どれだけ洋服の枚数すくないのか!

まるで、半袖しか持ってないみたいじゃありませんの!

秋になったから、半袖から長袖に着替えなくちゃいけないけど、一枚もない、みたいな!

わたくし、ものすごく動揺してしまって、ちょうどそのときに手にとっていた

ニットのセーターを握り締めて、

「コレください! コ、コレください!」と、口にしてしまいました。

だけれども、運のわるいことに、そのウールのセーターは半袖だったのですわ。

最近は、ウールのセーターでも半袖のがあるのですわね。

店員さまは、「あの、お客様、これは半袖になりますが……」と、うろたえた様子で

おっしゃいましたけれど、よほどわたくしの様子が奇妙だったのか、

それ以上は深く追求せずに、商品を包んでくださいました。

そしてわたくしは、逃げるように東急デパートを後にしたのでございます。

ああ、昨日は、長袖の服が欲しかったのに、気が動転して、半袖の服を買ってしまいました。

なんというムダ遣い! なんという不条理!

洋服を買うという行為は、かくも、デンジャラスなものなのでございますね。。。


前輪パンクにも遭遇した日

2007年09月11日 | 自転車

9日の日曜日は、はらきちさまからお声をかけていただくという、

うれしいハプニングのあった日でございました。。。

しかしながら、この日は……うれしくないハプニングにも遭遇した日でありました。

それは、初めての前輪パンク事件でございます。

昨年の初冬、笹子峠越えで初めのパンクを経験して以来、どうゆーわけか、

少佐どののパンクは、かならず後輪と決まっておりました。

そういえば、GT(MTB)に乗って多摩サイを走っていたときに、一度だけ前輪のパンクに

見舞われたことがございましたが、そのときは、GTの前輪に、

よく学校などで使われる画びょうが、プスリと刺さっていたという

悲しい要因によるものだったのでございます。

今回の少佐どののパンクは……と、申しますと……

いったい、何だったのでござましょう。。。

それが起こったのは、ちょうど下記の地図のあたりでございました。。。

1_6

都営墓地の丘から坂道を気持ちよく下っている途中のことでございます。

足元で、パンッという破裂音がしたかと思うと、みるみる前輪がペッチャンコに

なってしまったのでございました。

……毎度のことではございますが、パンクというのは、嫌なものでございますね。。。

パンクに遭遇したときの気分といったらもう、「がっかり……」という言葉が、

ぴったりなのですわ。。。

不幸中の幸いだったのは、その付近は歩道が広々としていて、チューブ交換するのに

十分なスペースがあったことでございます。

わたくしはかんねんして、CAAD9少佐どのをひっくり返してサドルとハンドルで

逆さに立てて、前輪をはずしてチューブ交換を始めたのでした。

ところが、タイヤのゴムが、ちょっと前代未聞というくらいに、硬いのです!

タイヤレバーをビシバシ差し込んでも、ホイールから外れてくれません~。

実は、6月の乗鞍のレースに参加する折、わたくしはタイヤを新調しておりました。

それまでは、CAAD9少佐どのが工場出荷時に穿いていらっしゃったタイヤのまま

乗っていたのでございます。

それを、ヴェロフレックスのレコードという、超軽量にしてハイグリップな、

贅沢三昧なタイヤに交換していたのでございました。

このタイヤ、お値段のことだけはある、軽くてよい具合のタイヤなのでございますが、

こんなにもゴムの硬いタイヤだったとは~~!

やはり、物事には良い面と、わるい面とがあるのでございまして、

この優秀なタイヤには、着脱が困難というダークサイドが潜んでいたのでございます。

バキンッ バキンッ 

もう、タイヤレバーが折れるのではないかというくらい、

テコの原理を総動員して取り組むのですが、ちょっと信じられないくらい硬い!

そうこうしているうち、辺りはとっぷりと日が暮れてしまい、手元も暗くなるありさまです。

なんとかタイヤの片方の面がホイールから外れたものの、あまりにもゴムが硬くて、

その状態からタイヤをホイールから完全に引き離すのに、さらに5分くらい

格闘してしまったくらいなのでございます。

……いえ、ホント、冗談ではなく、指がちぎれるかと思いましたわ。。。

予備のチューブに取り替えて、今度はホイールにはめようとする段でございますが、

当然のことながら、これまた、硬い!

周囲はもう、真っ暗です。しかも、公園墓地のど真ん中でございますのよ~!

(お願い~! ハマって! ハマってちょうだいませ~!)

わたくしはもう、半べそ状態になりながら、タイヤと格闘するのでございました。

バキンッ バキンッ またもタイヤレバーの限界に挑戦でございます。

そういえば、よく軽量化のために、タイヤレバーは3本も持っていく必要はない、

つまり、2本で十分だという話を聞いたりしますわね。

でも、でも……わたくしは身をもって体験いたしましたわ。。。

ぶきっちょさん(わたくし)が、ヴェロフレックスのようなカチンコチンなタイヤを

着脱する場合は、タイヤレバーはかならず、3本必要だということを!

全身汗まみれになりつつ格闘すること30分……ようやく、タイヤをはめることに

成功したのでございました。。。

それで、また、このテの硬いタイヤの場合、チューブをかみ込んでしまう危険性が

非常に高いわけでございますよ。

ですから、焦る気持ちを抑えつつ、ホイールをぐるぐる回して、

入念にチューブのかみ込みをチェックするわけでございます。

いつまでたっても、出発できないワケでございます~(涙)

さらにここから、エアの注入が始まるわけでして……。

みなさま、もうご存知ですわね。。。パンクを恐れるがあまり、わたくしが、さまざまな

パンク対策ツールを購入しているオバサンだということを……

わたくし、この日は、CO2のカートリッジと専用ポンプを携帯しておりました。

さらに、いつものハンディタイプのポンプも持参しておりました。

ただひとつ、持ってこなかったのは、グランジのポンプアダプターでございます。

嗚呼! 一生の不覚!

なぜに、グランジのポンプアダプターのみ、忘れてしまったのでございましょうや!

この時点で、あたりは、わたくしの心とともに、もう真っ暗闇でございます。

お金にモノを言わせてCO2ボンベを使うのか!

地道に携帯ポンプで空気を入れるのか!

二つにひとつでございます。二者択一でございます!

そして、わたくしのチョイスは!

……地道に空気を入れました。数え切れないほどポンピングいたしました。。。

しかも、ポンプアダプターなしで……

貧乏なわたくしに、たかだか家の近所でのパンクに、CO2ボンベを用いる勇気は

なかったのでございます。。。

ガタイばかり大きくても、わたくしの腕力はヘニョヘニョでございますから、

当然のこととして空気圧は中途半端……

たぶん、60~70PSIも入っていたら、いいほうなのでございますわ。。。

ですがもう、地道なポンピングで体力を使い切ってしまっていましたから、

空気圧を測る気にもなりません。

エアゲージの抜き挿しでも、ちょっとはエアがもれますし、

圧が足りないことを確認したところで、もうこれ以上、空気を入れる力がないのですから

どうにもなりません。

リム打ちしないようにゆっくり走って、家までもたせるしかございません。

そんなヘニョヘニョの状態で、真っ暗闇の公園墓地から、多摩御陵を脇を通って

おそるおそる、自宅へと逃げ帰ったのでございました。

このところ、平安な自転車ライフが続くなぁ~と思っていた矢先に、

このありていでございますよ。とほほ。。。

いつになったら、危なげのない自転車乗りになれるものなのでしょうか。。。

自転車道とは、かくも困難ないばらの道なのでございますね。。。


はらきちさまに遭遇した日

2007年09月09日 | トレーニング

このところ、CAAD9少佐と近所を走っていても、これというトピックもなく、

みなさまにご報告するような事件もない、平凡な日々が続いておりました。

しかし、今日はご報告すべき事件がございました。

そう、タイトルの通りでございます。

本日、よく当ブログにコメントを頂戴いたしますところの、

はらきちさまに、偶然お会いしたのでございます!

実に、驚きました~。びっくりいたしました。仰天でございました。

本日のトレーニングコースは、高尾から武蔵五日市の往復だったのでございますが、

都道61号線(山田宮ノ前線)と陣馬街道が交差する川原宿の交差点にさしかかったとき、

突如、「うり坊さ~ん!」と、お声をかけていただいたのでございます。

その交差点には、スリーエフ(コンビニ)があるのですが、お声をかけていただいたのは、

そのコンビニ前の駐車場付近でのことでございました。

一瞬、なんのことやらわからず、通り過ぎてしまったわたくし……ですが、今、たしかに、

「うり坊さん」と呼ばれたような……と思いなおし、少佐どのを停止させて振り返りますと、

そこには、根津甚八みたいな感じの、かっこいい見知らぬ男性が……

あらら、根津甚八なんて、わたくしも人間が古いのですわ。

もそっと、最近の俳優さんのお名前でも出せば、みなさまにもイメージしていただきやすい

と思うのでございますが……

あ! 根津甚八といっても、真田十勇士の根津甚八じゃございませんことよ。

俳優の根津甚八さまでございますのよ。

そして、もちろんのこと、実際のはらきちさまは、俳優の根津甚八さまよりは

はるかにお若い方でいらっしゃいました。

……そんなことは、ともかくとしまして……

そのお方こそ、はらきちさまだったのでございました。

なんでも、上り坂の途中で喘ぎながら走っているわたくしを発見してくださったものの、

上りの途中で声をかけては気の毒と、いったん坂を下りきったこの場所で、

わたくしが降りてくるのを待っていてくださったようなのです。

このような偶然があるのでございますね~! びっくりいたしました。

唐突なことでございましたので、わたくし、いつものように腰がひけてしまいまして、

お話しようにも、しどろもどろなありさま……。

なんだか、せっかくお声をかけていただいたのに、ご挨拶もそこそこに、

ピューッと逃げるようにその場を立ち去ってしまったのでした。

はらきちさま、もし、ごらんいただいているようでしたら、いまさらでございますが、

失礼をば、致しました~。

わたくし、極端に気が小さいうえに、41歳にもかかわらず男の人と話すのに不慣れで、

しかも、動揺しやすい性格なものですから、はらきちさまにお声をかけていただいて、

おおいに狼狽していたのですわ~。ほんとうに、申し訳ございません~。

それにしましても、このブログをご覧くださっている方と、偶然にもお目にかかる機会が

あるなんて、このような稀有な偶然もあろうとは、ビックリいたしました。

本日はじつに、このような稀少な経験をした日でございました。


番外編~富田靖子好き

2007年09月03日 | 日常

あの……先日のワイナリーめぐりのオマケとして、とてもくだらないことを書かせて

いただいてもよろしいでしょうか。。。

それは、「火の玉坊や」の命名者であります、例の奥さまとわたくしとが、

思わぬことで、意見の一致をみたというエピソードなのでございます。

バスでお隣りの席に座ったその奥さまとわたくしは、なにげなく、旅行のお話などを

いたしておりました。

すると、その奥さまが、お盆休みに広島県の尾道へ旅されたということを

お話になったのでございます。

「尾道ですか~。尾道といえば、大林信彦監督の尾道三部作で有名ですわね~」

そのわたくしのひと言に、奥さまはグイと身を乗り出されたのでした。

「ええ。そうなんですの。わたくし、学生のころ大林監督の作品の大ファンでしたのよ~。

とくに、『さびしんぼう』は名作ですわ。今回の旅では、『さびしんぼう』の舞台になった

島に渡って、ヒロインの富田靖子ちゃんに思いをはせましたの~」

なんということでございましょう! こんな場所で、しかも、こんなグループで、

富田靖子ちゃんのお名を拝聴することになろうとは!

なにを隠そう、わたくし、大林監督作品には特別な思いいれはございませぬが、

富田靖子ちゃんにつきましては、高校生の頃より、とってもカワユイお嬢さまであると

心の奥深く、思い続けていたのでございます。

それからはもう、わたくしたち二人の座席だけ、異空間でございました。

ええ、そうでございます。

富田靖子ちゃんの話題で盛り上がったこと、この上ございません。

だって、考えてもみてくださいませ。その奥さまもわたくしも、とうに40歳を越えている

れっきとした中年女でございますよ。

その中年女ふたりが、ミドルティーン時代の富田靖子ちゃんの話題で盛り上がっている

わけでございますから、相当に奇遇なことなのでございます。

ここに、惜しみなく暴露させていただきますが、わたくしが高校生のころ、

富田靖子ちゃんは、KENWOODのイメージガールをしていらっしゃいました。

さまざまなポスターやテレカなどがあったのですが、なかでもわたくしは、

ROXYというミニコンポの雑誌広告の写真に、とてつもなく胸を焦がしておりました。

当時は、「萌え」なんて言葉はございませんから、この苦しい胸のうちを、

なんと表現してよいかもわからずにおりましたが……

あの頃の富田靖子ちゃんは、まごうかたなき「萌え」でございました。

忘れもしない、「勉強のジャマ、ふえた」というキャッチコピーの広告です。

白いポロシャツにショートパンツ、白いソックスにスニーカーの靖子ちゃん……

その足首の太さが、なんとも悩ましい。。。

その表情は、笑っているバージョンがメジャーなのでしたが、

後から、体育座りっぽい感じで、憂いを秘めた瞳のバージョンも登場しまして、

わたくしは、その広告ページ欲しさの一念で、わざわざ、「FMステーション」という

雑誌を購入していたくらい、当時は、富田靖子ちゃんに惚けていたのでございました。

……考えてみますと、今はオバサンですけれど、女子高校生だった往時、

同性の富田靖子ちゃんに強い憧れを抱くというのは、

はたしてどうなんだろうという感覚もあろうかと思います。

しかし、不思議なのでございますが、わたくしは子供のころより、いわゆるジャニーズ系の

男子群に対して、まったく心が動かなかったのでございました。

なにしろ、中学の頃、友人から理想の男性像についてたずねられて

「忍者ハットリくん」と答えてしまったわたくしです。

そのわたくしの心を焦がしたのですから、富田靖子ちゃんの魅力たるや、

相当のものだったということがわかっていただけるかと思います。

富田靖子ファンの奥さまは、うっとりと目を細めて、『さびしんぼう』の靖子ちゃんが

いかに可憐であるか、そして、その演技力の高さがいかほどであるかを

とうとうと力説なさっていらっしゃるのでした。

その賞賛のことばを心地よく聴きながら、わたくしは、この日、ワイナリーめぐりに

参加できたことを、とても幸せに思ったのでございました。