乗鞍岳への自転車道

40歳で突如、自転車乗りになろうと発心して早15年。CAAD9少佐と畳平へ駆け上がる日はくるのでしょうか。。。(汗)

番外編~富田靖子好き

2007年09月03日 | 日常

あの……先日のワイナリーめぐりのオマケとして、とてもくだらないことを書かせて

いただいてもよろしいでしょうか。。。

それは、「火の玉坊や」の命名者であります、例の奥さまとわたくしとが、

思わぬことで、意見の一致をみたというエピソードなのでございます。

バスでお隣りの席に座ったその奥さまとわたくしは、なにげなく、旅行のお話などを

いたしておりました。

すると、その奥さまが、お盆休みに広島県の尾道へ旅されたということを

お話になったのでございます。

「尾道ですか~。尾道といえば、大林信彦監督の尾道三部作で有名ですわね~」

そのわたくしのひと言に、奥さまはグイと身を乗り出されたのでした。

「ええ。そうなんですの。わたくし、学生のころ大林監督の作品の大ファンでしたのよ~。

とくに、『さびしんぼう』は名作ですわ。今回の旅では、『さびしんぼう』の舞台になった

島に渡って、ヒロインの富田靖子ちゃんに思いをはせましたの~」

なんということでございましょう! こんな場所で、しかも、こんなグループで、

富田靖子ちゃんのお名を拝聴することになろうとは!

なにを隠そう、わたくし、大林監督作品には特別な思いいれはございませぬが、

富田靖子ちゃんにつきましては、高校生の頃より、とってもカワユイお嬢さまであると

心の奥深く、思い続けていたのでございます。

それからはもう、わたくしたち二人の座席だけ、異空間でございました。

ええ、そうでございます。

富田靖子ちゃんの話題で盛り上がったこと、この上ございません。

だって、考えてもみてくださいませ。その奥さまもわたくしも、とうに40歳を越えている

れっきとした中年女でございますよ。

その中年女ふたりが、ミドルティーン時代の富田靖子ちゃんの話題で盛り上がっている

わけでございますから、相当に奇遇なことなのでございます。

ここに、惜しみなく暴露させていただきますが、わたくしが高校生のころ、

富田靖子ちゃんは、KENWOODのイメージガールをしていらっしゃいました。

さまざまなポスターやテレカなどがあったのですが、なかでもわたくしは、

ROXYというミニコンポの雑誌広告の写真に、とてつもなく胸を焦がしておりました。

当時は、「萌え」なんて言葉はございませんから、この苦しい胸のうちを、

なんと表現してよいかもわからずにおりましたが……

あの頃の富田靖子ちゃんは、まごうかたなき「萌え」でございました。

忘れもしない、「勉強のジャマ、ふえた」というキャッチコピーの広告です。

白いポロシャツにショートパンツ、白いソックスにスニーカーの靖子ちゃん……

その足首の太さが、なんとも悩ましい。。。

その表情は、笑っているバージョンがメジャーなのでしたが、

後から、体育座りっぽい感じで、憂いを秘めた瞳のバージョンも登場しまして、

わたくしは、その広告ページ欲しさの一念で、わざわざ、「FMステーション」という

雑誌を購入していたくらい、当時は、富田靖子ちゃんに惚けていたのでございました。

……考えてみますと、今はオバサンですけれど、女子高校生だった往時、

同性の富田靖子ちゃんに強い憧れを抱くというのは、

はたしてどうなんだろうという感覚もあろうかと思います。

しかし、不思議なのでございますが、わたくしは子供のころより、いわゆるジャニーズ系の

男子群に対して、まったく心が動かなかったのでございました。

なにしろ、中学の頃、友人から理想の男性像についてたずねられて

「忍者ハットリくん」と答えてしまったわたくしです。

そのわたくしの心を焦がしたのですから、富田靖子ちゃんの魅力たるや、

相当のものだったということがわかっていただけるかと思います。

富田靖子ファンの奥さまは、うっとりと目を細めて、『さびしんぼう』の靖子ちゃんが

いかに可憐であるか、そして、その演技力の高さがいかほどであるかを

とうとうと力説なさっていらっしゃるのでした。

その賞賛のことばを心地よく聴きながら、わたくしは、この日、ワイナリーめぐりに

参加できたことを、とても幸せに思ったのでございました。