乗鞍岳への自転車道

40歳で突如、自転車乗りになろうと発心して早15年。CAAD9少佐と畳平へ駆け上がる日はくるのでしょうか。。。(汗)

宮ヶ瀬湖に破裂音を轟かせた日

2008年11月29日 | 自転車

少し前のお話になりますが……

去る、11月19日、久しぶりに東丹沢のヤビツ峠に行ってきたのでございました。

この日は、朝から雲ひとつないみごとな秋晴れで、浅川沿いの自宅からは真っ白な富士山がドドーンと眺望でき、まこと自転車日和。

娘の登校をウキウキと見送るやいなや、CAAD9少佐のチェーンにオイルをさし、身支度もそこそこに自宅を出発いたしました。

実は、前日の夜、宮ヶ瀬湖からヤビツ峠往復をたくらみ、友人Kと待ち合わせをしていたのでございました。

紺碧の空と錦秋の山々に囲まれた宮ヶ瀬湖畔に到着したのは、まだ茶店も開く前の午前9時半。

久しぶりの坂道ツーリングに、友人Kとわたくしは、ピャーピャー喜びながらペダルをこぎ始めたのでした。

……そう……ピャーピャーと大喜びしながら、ペダルをこぎ始めて、ほんの20mほど走ったところで……

スパーンッ!

鏡のように静まり返った宮ヶ瀬湖の湖面を、つんざくような、破裂音!

(え? 何? いったい何が起こったのですの?)

わたくしはこのとき、事態を把握できず、一瞬、頭のなかが真っ白になったのでした。

3秒ほどして、わたくしはこんな風に考えました。

(もしかして、今の時期は、狩猟が解禁されてしるのかしら。それで、今の音は、地元の猟友会の人の銃の発砲音なのかしら……それにしては、ずいぶん近くで聞こえたようだけれど……)

嗚呼! のんきなのでございます~!

猟銃の発砲音のわけがないのでございます~!

なぜならば、わたくしのバイクの後輪タイヤが、ペッチャンコになっていたからでございます~!

「ドヒャー!!!!」

↑オーバーなリアクションじゃございませんことよ。わたくし、ほんとうに、まことに、ドヒャーと叫んでしまいました。

人間というのは、下り坂でブレーキが効かないとき(by 実はけっこう昔からの愛読者さま )と、自転車のタイヤが爆発したとき、それぞれドヒャーと叫んでしまう生き物なのでございますね。わたくし、身をもって、体験いたしました。

目が点になって硬直している友人K。。。

わたくしは、顔面蒼白になりながら、ただちにCAAD9少佐のおしりを持ち上げ、前輪のみを転がして駐車場にUターンでございます~!

ホイールからタイヤを外してみると、中のチューブは、7~10センチくらい、タテに大きく裂けていました。

なんと申しましょうか……パンクなんて生易しい事態じゃございません。

これは爆発でございます~。

うえ~ん、CAAD9少佐の後輪が、爆発してしまいました~!

涙目になりつつ、友人Kのほうを振り返りますと、友人Kはいかにも不機嫌そうにイライラと、駐車場の中を自転車でくるくる走り回っているのでした。

このままでは、CAAD9少佐の後輪のみならず、友人Kの堪忍袋も爆発してしまいます~。

(とにかく、はやく修理しなくちゃ……)

わたくしは裂けたチューブをクルマの荷室に放り投げ、予備のチューブと交換して、クルマに積んであったフロアポンプで空気を入れ始めたのでした。

シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ………

あ……あらら? おかしいのです。

いくらポンピングしても、いつまでたっても、タイヤの空気圧が上がりません。

おかしい……

まさか……

わたくしは背筋が薄ら寒くなりました。。。

考えたくないことですが、まさか、予備のチューブにも穴が空いている?(汗)

もう一度、タイヤを外して、チューブを確認いたしますと……

空いていた~!!!

予備に持ってきたチューブは、パッチ修理していない穴あきチューブだったぁぁぁ!!!

ぐぉぉぉ~! どどど、どうすればいいんだ~!

こんなにいい天気なのにぃ~! 終了なのか! 以上終了なのかぁぁぁ!!!

わたくしは、窮地に追い込まれ、ただでさえ抜け毛が多くて薄くなっている頭髪をかきむしりました。

この頃になると、駐車場の中をくるくる走るのに厭きてしまった友人Kが不愉快そうにクルマのところまで戻ってきました。

わたくしは友人Kに、予備のチューブをめぐんでくださいと懇願するしかありませんでした。

友人Kは、しぶしぶ自分のチューブを差し出してくれたのですが、わたくしたち二人の間には、不穏当な空気が漂いました。

なぜなら、この日は友人Kも、予備のチューブを1本しか持って来ていなかったのでございます。

つまり、わたくしたち二人合わせて最後の1本の予備チューブを、わたくしはスタートの前に使いきってしまったのでございました。

ああ、なんということでございましょう。

晩秋のヤビツ峠アタックは、予備チューブ皆無……という崖っぷちな状態で、過酷なスタートをきったのでございました。

(つづく)


多摩川サイクリングロードの上流をめざした日

2008年11月24日 | トレーニング

昨日、11月22日のお話です。

世間ではこの日を、「いい夫婦の日」というらしいのですが、いいもわるいも、夫がいなくなってしまったわたくしは、しかたなく、友人Kをさそって、多摩川サイクリングロードを上流に向けて走ることにしたのでした。

と、もうしますのは、先日、Yasさまのコメントを拝読してふと気が付いたのですが、わたくしはこれまで、多摩川サイクリングロードというと府中四谷橋よりも下流側ばかりを走っていて、それより上流は支流の浅川サイクリングロードに入ってしまうケースが9割を超えているのでございます。

高尾時代は、多摩川とはエリアが離れておりましたので仕方ない選択だったと思われますが、日野に住むようになってからは、多摩川上流へのプローチも比較的容易になったのでした。

そこで急に思い立って、府中四谷橋から羽村堰(玉川上水の起点)をめざすことにしたのでした。

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3連休初日の多摩サイは非常なる混雑が予想されましたので、友人Kは若干、二の足を踏んでおりました。

しかし、往復50kmちょいで川沿いの平坦路往復……これほど脂肪燃焼に有効なコースはないのでございますからして、そのあたりをエサに誘いますれば、友人K(中年)はホイホイとやってくるのでした。

(実際、わたくし本人にとりましても、脂肪燃焼は切願なのでございます~。)

さてさて、そんなわけで、一番橋から浅川を下流へ下り、浅川と多摩川の合流地点であります府中四谷橋から、Uターンして多摩川本流へと入って参ります。

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↑多摩都市モノレール(立日橋)でございます。

秋の斜光をあびてススキの穂が金色に輝き、のどかな風景でございます。

写真には残さなかったのですが、多摩丘陵ごしに丹沢の山々と真っ白な富士山が眺望される格好のロケーションなのでした。

それにしましても、思っていた通り、休日の多摩サイはこれはもう、上りも下りも、自転車の高速道路のよう。

ロード5割、MTB3割、小径2割、その他1割…って感じでしょうか。

あら? 全部で11割になっちゃいましたわね。まあ、適当なので、気になさらないでくださいまし~(汗)

トレック、スペシャライズド、アンカー、ジャイアント、スコット、インターマックス、ジオス、コルナゴ、フェルト、ルイガノ、ビアンキ、ピナレロ、デローザ……そして、もちろんキャノンデール。

なんかもう、オンパレードって感じで、モノスゴイことになっているのです~。

拝島のあたりで、一部、サイクリングロードというより雑木林の中の遊歩道みたいになっている箇所があるのですが、お散歩している歩行者の脇を、MTBだのロードだのが、数珠繋ぎになってビュンビュン追い抜いていくわけです。

せっかく静かにお散歩を楽しんでいらっしゃるところを、お邪魔して申し訳ないのでございます~。

追い抜くときには、できるかぎりスピードを落としますけれど、それでも思わず、「申し訳ございません~」と謝罪せずにはいられないのでした。

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そうこうしているうちに、次第に前方の奥多摩の山々が近づいてきました。

睦橋のところで、五日市から風張峠などをめざす方々が、秋川に沿って方向を変えていきますので、このあたりからは、若干、自転車の数が減ったようでもございました。

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ひと休みして、エンゼルパイで糖分をとり、さらに先へと進みます。

多摩川も浅川もそうなのですが、サイクリングロードというのは、橋や幹線道路の下をくぐるようになっているので、信号で停止することがないのでございますよね。

ですから、積極的に休憩をとらないと、延々、ローラー台のように脚を回し続けることになってしまうわけです~。

以前、多摩サイの河口往復の後半で、大バテしてしまった苦い経験を持つわたくしは、シャリバテ恐怖症に陥っているのでございまして……結果的に、せっかくの脂肪燃焼のチャンスを、こうして大量の糖分摂取で台無しにするのでした。

さて、福生を過ぎて羽村大橋を通過しますと、唐突に羽村堰が見えてまいりました。

やったぁ! 終点でございます~!

……というよりも、多摩川サイクリングロードの起点でございます~!

多摩川サイクリングロードとは、この羽村堰から羽田空港のある海までの区間に整備されているので、羽村は終点というよりは、起点というべきでございましょう。

ちなみに多摩川それ自体は、羽村から先も奥多摩湖まで、まだまだ続いているのでありまする。

↓この写真は、羽村堰から分岐する玉川上水のはじまりのところです。

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玉川上水というと、太宰治のことだとか、なんかそういうイメージがございますけれど、元々は、みなさまご存知の通り、江戸時代に、江戸の水不足を解消するために作られた上水路なのですわね。

その工事に私財を投じて貢献した玉川兄弟(「その時歴史は動いた」オンエア済み)の銅像がありましたので、せっかくですからCAAD9少佐のスナップを撮ってあげました。

少佐どのはたいしてうれしくなさそうですが……

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さてさて、目的の羽村堰にも到達したことですので、戻ることといたしましょう~。

帰りは、友人Kに先導してもらって、わたくしはフラフラ後ろを付いて参ることにいたしました。

すると、友人Kときたら、意図的か否かわかりませんが、多摩川ではなく、玉川上水沿いの細い道を走り出したのでございます。

しばらくは多摩川と玉川上水は平行していますが、次第に離れていき、玉川上水は小平とかそっちのほうへ行ってしまいますので、早めにルートを修正して、多摩川に戻らなくてはいけません。

ちょうど、川沿いの道がとぎれたので、友人Kは進路を右手にとって、多摩川サイクリングロードの方向へと坂道を下り始めたのでした。

すると、そこはなんと! わたくしの大好物の嘉泉(日本酒)の蔵元でいらっしゃる田村酒造の真前の道だったのでした。

なんてことでございましょう~!

友人Kったら、なにげにスゴく勘のいいヤツじゃございませんか!

わたくしが先導していたら、最初から多摩川沿いを走っていたでしょうから、田村酒造の前を通るなんてことはなかったでしょう。

ナイスなわき道選択なのですわ~。

そして、さすがは田村酒造。白壁の土蔵がいくつも連なる立派な造り酒屋さんです。

ああ、立ち寄りたいのでございます~。

お土産に1本買って帰りたいのでございます~。

しかし、蔵元さまですから、きっと試飲コーナーなんかもあるに違いありません。

気が弱いのと同じくらい、意志の弱いわたくしのことです。

試飲コーナーを目にしたとたん、飛びついてしまうに決まっています。

わたくしは嘉泉のまろやかな風味を思い出し、口の中いっぱいに唾液を溜めながら、(イヤ、いかん。自転車はれっきとした軽車両なのだ、飲酒運転はイカン)と、自らにいいきかせ、ほとんど目をつぶって白壁の前を通りすぎるのでした。(それはそれで、キケン)

田村酒造の白壁が途切れた曲がり角、ふいに友人Kがバイクを止めました。

そこには、見落としてしまいそうなくらい、とっても控えめな小さな看板が……

「おやき・お茶→(コチラ)」

……と書いてあります。

友人Kは、この看板にハートをワシヅカミにされたようです。

わたくしの同意も得ないまま、かってに進路を変えて、おやきの喫茶店めがけて暴走するのでした。

わたくしも、ここはひとつ、「おやき」でもって、田村酒造への未練を断ち切ろうと決心し、友人Kの後に続きました。

「おやき」のお店は、「さなぎ屋」さんといって、田村酒造からわずか300mくらいのところにありました。

普通のおうち……といっても、風格ある門構えの立派な民家で、その敷地の一部を改築して、喫茶ルームを営んでいらっしゃるのでした。

周囲を生垣に囲まれているので、敷地内に自転車を停めさせていただけば、盗難のリスクも低い、まことに自転車人向きのお店です。

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↑この写真からもおわかりの通り、隠れ家的な雰囲気が漂い、なんだかワクワクするお店なのでございます。

中に入ってみますと、すがすがしい木材の香りがただよいます。

店主の方は、30代くらいの清楚で上品な女性で、おひとりでお店をきりもりしていらっしゃるご様子でした。

もっとも、多摩サイからも少し離れている住宅街でひっそりと営んでいらっしゃるお店ですので、土曜日の午後というのにお客は友人Kとわたくしのふたりきり。。。

このお店をみつけることができた、幸運…または縁といってもいいかもしれません。そんな縁でつながることができた人だけに、おいしいお茶とおやきを出してくださる、そんなお店のようでした。

けれど、けして敷居が高いということはないのです。

女主人さまは、物静かでいらっしゃいますが、心からわたくしたちを歓迎してくださっているのが自然と伝わってくるのでした。

ですからわたくしたちは安心して、誰もいない店内に上がらせていただくことができたのでした。

さて、20畳ほどの部屋の真ん中には大きな木机があり、青い染付けの磁器がたくさん並べられていました。

その器をひと目みて、わたくしは体中の血のめぐりが倍速になったような心持がいたしました。

それは、砥部焼というやきもので、わたくしが個人的にとても思い入れている品物だったのでした。

古い話になりますが、今から20年前のこと。わたくしはひとりで四国を旅しておりました。

松山の道後温泉で漱石や子規の記念館など観てまわり、次はどこへ行こうかと思案していたとき、松山のわりと近くに、砥部というやきものの里があるという情報を得たのでした。

行ってみると、砥部という集落は、砥部焼の窯元がそれこそ何十という数、点在している文字通りのやきものの里でした。

それらは基本的には同じカテゴリーのやきものに違いないのですけれど、窯元によって個性がありますので、わたくしは1件1件訪ね歩いて、かなりじっくりと見学させていただいたのです。

ところで、その旅の時期は2月下旬か3月上旬だったかと思いますが、わたくしが砥部を訪れた日はとても寒い日でした。

朝ごはんを食べたきり、その後は飲まず食わずで歩き続けていたわたくしは、夕方になるとすっかり疲労し、体温も低下し、いくつか目の窯元さんのところで、凍えてへたりこんでしまいました。

(なにもそこまで、窯元めぐりに執念を燃やさなくともよかったのですが……)

わたくしがへたりこんでしまった窯元さんは、若い陶工の方がおひとりで器づくりに励んでいらっしゃる工房でした。

その若い陶工さんは、梅野さんというお名前だったことは記憶しているのですが、それ以上のことは残念ながら忘れてしまいました。

その方は、わたくしの暴挙をやさしくいさめつつ、ストーブで暖をとらせてくださり、温かいお茶とお茶菓子を出してくださいました。

ひと心地ついて、その方の作品を拝見いたしますと、白地に青の染付けで、絵柄も砥部焼の伝統にのっとったシダ模様などの、オーソドックスなものだったのですが、絵付けにどこか勢いがあって、絵柄もなにかが違っている……

よくよく拝見すると、シダ模様の葉の部分に、丸い胞子嚢が絵付けされているのでした。

ほかにも窯元さんをたくさん拝見しましたが、シダの葉に胞子嚢を描いていらっしゃるのは、この方おひとりでした。

わたくしは、それがすっかり気に入って、数ある作品の中から慎重に吟味して、蕎麦ちょこをひとつ買い求めさせていただいたのでした。

それが、↓この器でございます。

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ロジクールのマウスと比較していただくと、だいたいの大きさをわかっていただけると思いますが、一般的な蕎麦ちょこの大きさかと思います。

わたくしはこれを、大切に大切にして、この20年を生きて参りました。

その砥部焼に、昨日、多摩サイ・ポタリングで立ち寄ったお店で、偶然、再会できたのでございます。

わたくしは大感激してしまいました。

しかも、しかも、です!

二重にうれしいことに、そのお店には、2006年版の『TOKYO自転車人』が置いてあったのでした。

なんというご縁でございましょう~!

わたくし、すっかりうれしくなって、店主さまに、おもわずお声をおかけして、自分の20年前の砥部焼との出会いのこと、また、自分が地図屋で、このお店にある雑誌の地図を作らせてもらっていることなどを、お話申し上げてしまったのでした。

すると、それまで物静かでおとなしい感じにお見受けした店主さまの表情がぱっと活き活きとなり、そのことを、ちょっと予想外に喜んでくださったのです~。

このお店の店主さまは、ご自身が砥部焼をとても気に入って、ひとつふたつ収集しているうちに、それが長じて、ギャラリーとして展示や販売をするようになられたそうです。

そもそも、東京西部の羽村と、愛媛県の砥部とでは、まったく何も関連がないのですから、このお店で砥部焼を扱っていること自体が、非常に特殊なことなのでした。

そして、同時に『TOKYO自転車人』の地図の作者がわたくしであるということにも、店主さまはとても感激してくださったのですが、わたくしこれまで、地図を作っていると告白して、これほど喜んでいただいた経験がなかったので、なんだか自分の地道な作業を肯定していただいたような心持がして、思わず涙ぐみそうになってしまったくらいでした。

とにかく、砥部焼と、自転車人と、ふたつのご縁で引き寄せられた店主さまとわたくしは、感激のあまり、かたく握手をしてしまったほど盛り上がったのでした。

ああ、大切なことを申し上げそびれておりました。

このお店のお茶とお菓子(おやき)のことでございます。

わたくしは、さやま野紅茶と、スイートポテトのおやきのセットを、友人Kは、ホットゆずジュースと、あんのおやきのセットを、それぞれいただいたのですが、とても美味しゅうございました。

おやきとお茶のほかに、口なおしのお漬物や、あられせんべいが添えられていて、細やかなおもてなしのお心がうれしいのでございました。

みなさまも、羽村や福生の方面へおでかけの機会がございましたら、ぜひ立ち寄ってみてくださいませ。

さなぎ屋さん でございます。

こうして、世にもマレな、奇跡のような出会いをさせていただいたわたくしは、帰る道々、ホクホクとうれしい気持ちでいっぱいで、少佐どののペダルをこぐ足取りも軽く、終始、ニコニコしっぱなしでございました。

すれ違うサイクリストの方が、「このおばさん、なんでニヤニヤしながら走っているんだ?」と不思議そうにわたくしをご覧になられましたが、もうそんなことに構っていられないくらい、うれしい気持ちが後から後からあふれてくるのでした。

途中、バイクをとめて上流を振り返ると、奥多摩の山々は遠く、夕日に浮き上がっています。

次はいつ、あのお店に行けるかしら……

わたくしは、もう、そんなことを考え始めておりました。

すてきな寄り道をしてくれた友人Kに、素直に、感謝です。

今度あのお店にいくときは、梅野さんの蕎麦ちょこを持っていこう……そんなことまで計画しながら、わたくしは多摩川をわくわくと下って、家路についたのでございました。


タイヤを新調した日 (回想)

2008年11月21日 | 自転車

ええと……またも、昔話をしてしまうのでございますが、しばしお付き合いくださいませ。

このたび、わたくし、タイヤを新調したのでございます。

それも、これまでご縁のなかった近所のプロバイクショップの門をたたいて……の、勇気を要する一元さんお買い物だったのでございました。

そのプロバイクショップは、JR豊田駅の近くに店を構えておりまして、仮にショップCと申し上げておきまする。。。

このショップC……地元ではけっこう有名店ということで、自転車専門誌などに広告を出したりもしているらしいのですが、わたくしは勉強不足で、これまでまったく存じ上げておりませんでした。

それを、ふとしたきっかけで、あるご老人から教えていただいたのでございますが……このあるご老人との出会いというのがまた、ちょっとしたドラマだったのでございますが、それはまた、別の機会にお話させていただくとしまして、とにもかくにも、わたくしは自宅のわりと近所に、プロバイクショップがあることを知り、さっそく出かけてみたのでございます。

これがまた……世間知らず&モノ知らずのわたくしにとりましては、非常にセンセーショナルなショップだったのでございました。

なんと申しましょうか……バンビちゃん率いるショップAとも雰囲気が違いますし、ウッチー率いる大型店のショップBとは、それこそ対極的といっていいくらい異質なイメージだったのでございます。

一見すると、おやっさんが一人で営んでいる街の自転車屋さんという雰囲気をかもし出しているのです。

それはなぜかと申しますと、店頭に修理預かりしているママチャリが、山ほど並んでいるからでした。

けれど、一方では、単なる街の自転車屋さんではないという異質な空気も漂っている……ピンと張り詰めた緊張感と申しましょうか、ただ事ではない雰囲気にも包まれているのでした。

なんたって、そのママチャリ群とは別に、これまたメンテナンス中と思われるロードバイクやMTBなどが、ぎっしりと、それこそ、スシヅメ状態で並べられているのでございます。

それは、このお店が大勢の常連さんを抱える信頼の篤いプロショップである証でもあり、また、メンテナンスをご商売の柱にしていらっしゃることを窺わせるものでもありました。

さてさて、ほの暗い店内では、店主とおぼしきおやっさんが、オイルで真っ黒になった手で、ひたすらパンク修理に励んでいらっしゃるのでした。

ちょっと声をかけにくい雰囲気ではございましたが、わたくしは勇気を出して、ご挨拶してみたのです。

「あのぅ~……ごめんくださいませ……」

おどおどと声をかけたわたくしのほうを振り返ったおやっさんの眼光の鋭いこと!

こりゃ、只者じゃございません!

サムライです! さすがは新選組発祥の里・日野市です!

おサムライさんが、自転車のパンク修理をなさっていらっしゃるのですわ~!

わたくしはおやっさんの威圧感にすっかり飲み込まれてしまって、言葉を発するのも忘れて、ぱくぱく口を開けたり閉じたりする金魚状態で固まってしまいました。

しかし、次の瞬間、おやっさんはニッコリ笑って「いらっしゃいませ」と、力強く応えてくださり、わたくしを迎えてくださったのでした。

(眼光は相変わらずレーザー光線のように鋭かったのですが……)

勇気をふりしぼって店内に足を踏み入れてみますと、奥に向かって細長い店内には、これ以上は無理というくらい、ギッシリとバイクやギア、ウエアなどがひしめきあっていました。

そして、短時間にわたくしはずいぶんいろいろ観察してしまったのですが、このお店にはバイクのメンテスペースが2箇所あり、そのひとつをおやっさんが占有し、もうひとつは、おそらくおやっさんのご子息と思われるお兄さんの作業場になっているのでした。

店内に入るには、お兄さんのほうの作業スペースの脇をすり抜けるようにして奥へ進みます。

おやっさんのほうは、なぜかフェンスで店内と仕切られていて、通過できないようになっているのでした。

でも、さすがはプロショップ。

店舗面積は狭くとも、フツウに必要な品物なら、すべて揃っているという印象です。

タイヤも、MTB用とロード用それぞれ、種類別にきちんと在庫が揃っているのでした。

事前に、MAXXISのタイヤにしよう……程度のプランはあったものの、詳しい特性を調べていなかったわたくしは、他力本願で、ついついおやっさんにおすすめのタイヤをお尋ねしてしまいました。

「あのぅ~、軽くて、耐久性があって、グリップがよくて、未舗装路みたいなところでも比較的安心して走ることができて、パンクしにくくて、でも坂道とかもグイグイ登れて、私みたいな者でも速く走れて、お値段も安いタイヤはありますか?」

我ながら、矛盾だらけで、不条理すぎるリクエストでございます(汗)

そんな都合のいいタイヤ、あるわけないのでございます~(涙)

わたくしは言ってしまってから、自らのわがままぶりに真っ青になりました。

おやっさんは一瞬、鋭い眼光をいっそう鋭くなさったのでしたが……わたくしを責めることもなく、作業の手を止めていったんお店の外に出て、お兄さんの作業場のヨコをすり抜けてタイヤコーナーまで歩いてきてくださいました。

そして、ひとつひとつ、モノ知らずなわたくしに丁寧に説明してくださりながら、タイヤを選んでくださいました。

迫力満点ではございますが、ご親切で、いい人なのでございます~。

それが、コレ↓MAXXIS COLUMBIERE というタイヤでございました。

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おやっさん曰く、わたくしのリクエストをすべて満たすのは難しいけれど(当たり前ですわね)、値段とパフォーマンスのバランスが取れているものなら、コレがおすすめということでした。

ほかのお客さんの評判もいいとおっしゃったので、わたくしはすっかり安心して、このタイヤを2本購入させていただいたのでした。

なんといっても本日は一元さんだったのですから、無事に目的のお買い物が成立しただけでも上々の出来と、わたくしは自分自身を高く評価しつつ、ショップCをあとにしたのです。

そして、自宅に戻り、楽しいタイヤ交換タイム……

まずは、古いタイヤを外してチューブをはがすわけですが、なんでございましょう……エライこと、固着しているのでございます。

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ビヨ~ンと、思い切り引っぺがさなくてはなりません。

ロードバイクの高圧な状態では、こんな風にチューブがタイヤの裏側に圧着してしまうものなのでございますね。

以前、このチューブを入れたときには、少しでも圧着を避けるために、コーンスターチを振りかけてみたのでございました。

しかし、あまり効果がないようにも思ったわたくしは、ふと思いついて、汗とりのボディパウダーを持ってきてみました。

ワコールの、お風呂上り用のパウダーでございます。

たぶん20年くらいの年代モノかと思いますが、なぜかバリバリ現役。。。

基本的に、お風呂上りにボディパウダーを使う習慣がないものですから、何年経っても減らないわけなのです。

こんなところで活躍するとは……捨てずにとっておいてよかったのです~。

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これをまんべんなく振りかけてから、タイヤ交換は無事に終了です。

かつて、わたくしの唇をムラサキナマコのように腫れ上がらせた猛毒のパーツクリーナーでチェーンやプーリーの汚れをキレイに落とし、もちろんフレームもピカピカに磨き上げました。

逆さまなところがちょっと残念なのですが、タイヤ交換&お掃除済みのCAAD9少佐どのでございます。

この頃は、いろいろ事情があってバイクに乗る時間をなかなか捻出できなかったのですが、タイヤを新調し、クリーニングができただけでも、大満足の一日でした。

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そして、この日以降、わたくしはショップCに頻繁に足を運ぶようになったのでございました。


和田峠でいろいろと楽しかった日(回想)

2008年11月20日 | 自転車旅

すっかり秋も深まり、高尾陣馬の山々も紅葉に色づく季節となりました。

またも更新の間隔が開いてしまい、お恥ずかしい次第でございます。

ブログのほうは更新できなかったのですが、このひと月あまりの間には、実にいろいろなことが起こっていたのでございました。

日々是更新……が暗黙ルールのブログとしましては、ずいぶんな昔話になってしまうのですが、なにとぞお付き合いくださいませ~。

まず、一番古いところから掘り起こしてまいりますと、10月16日の和田アタックでございます~。

この日の和田アタックは、いつもの孤独な戦いとは異なり、お友達と二人でのツーリングでございました。

このお友達というのが、元々はインタビューのお仕事で偶然に出会った方でして、通常であれば、お仕事終了ののちまでお付き合いが継続することはないはずなのでした。

ところが、わたくしはこの方に非常に強い興味を抱いてしまいまして、お仕事終了後もずっとお付き合いを願っていたのでございます。

彼女は年齢はわたくしより少し下なのですけれども、その物事の考え方といい、行動力といい、嗜好性といい、実に興味深い、味わい深い、魅力的な人なのでございます。

そして、この方もまた、「女は黙ってロードバイク」な中年女性なのでございました。

そんな憧れの女性と、よりにもよって和田峠アタックをご一緒できることとなり、わたくしはもう有頂天でございました。

この一年ばかり、わたくしは家庭の事情であまり自転車に乗る時間を捻出できなかったものですから、和田峠へ足を伸ばせたことだけでも相当な興奮に値するものだったわけですが、その上、ずっと一緒に走りたいと思い続けてきたお友達と二人だなんて……天にも登る気持ちだったわけです。

そんなハイテンションな心理状態ですから、和田峠のキツイ激坂を上りつつも、わたくしはペチャクチャと彼女に話かけ続けてしまい、結果、息があがって何度もバイクを押すというハメに陥ってしまうのでした。

もちろんバイクを押しながらも、ペチャクチャとさまざまなおしゃべりを続けたのでございましたが、そんな風にペチャクチャおしゃべりしながらでも、歩いてさえいれば、和田峠へは到達できるものでございまして、50分ほどかけて峠に到着。

その日は平日だったのでしたが、和田峠へは陣馬~高尾を縦走するハイカーの人もたくさん来ていて、峠の茶屋も営業をしていたので、わたくしたちは、茶屋のベンチに腰掛けて、甘酒をすすりながら相変わらずおしゃべりに花を咲かせておりました。

ふと気がつくと、すぐそばのベンチにLemondのロードバイクがたてかけてあり、おしゃれなニットジャージのお兄さんが休憩をなさっていらっしゃいました。

わたくしたちは少し前にサイクルウエアの話題で盛り上がっていたところでしたので、そのお兄さんのセンスのよさに目を見張ってしまいました。

「あのニットジャージ、クラシックでかっこいいですね~」

「しかも、バイクがLemondというのが、これまたイケてますわ~」

などと、コソコソとナイショ話をしたりしておりました。

そのときは、まったく思いもよらなかったのです。

まさか、そのオシャレなニットジャージのお兄さんが、このブログにコメントを残してくださった「ゆうなみ」さまだったとは!

そうなのです。1年ぶりに訪れた和田峠で、偶然にもわたくしは、ゆうなみさまにバッタリ出逢ってしまったのでした!

稀有なことでございます~。

1日でもお互いの日程がずれていたら……いえ、仮に同日だとしましても、少しでも峠到着の時間がずれていたら、お会いすることは叶わなかったことでございましょう。

ゆうなみさまと、例のお友達と、わたくしとは、三人三様にまったくバラバラの立地に暮らしており、しかも通常であれば、まず和田峠に集合することなどありえない境遇なのでございます。

このブログにお越しくださっている方と遭遇したことといえば、かつて、陣馬街道の川原宿交差点付近で、はらきちさまにお声をかけていただいたことがございました。

また、乗鞍スカイラインサイクルヒルクライムのレース中、いまにもリタイヤ寸前だったわたくしに、ブログのロムをしてくださっていたKENさまがお声をかけてくださり、勇気を頂戴したという経験もございました。

実のところ、わたくしのような者が、足きりにならずに畳平に到着できたのは、KENさまの励ましと、このブログにご参加くださっているみなさまの応援のおかげなのでございます~。

(普通に考えたら、わたくしのような者がヒルクライムのレースに出るなど、どうかんがえても暴挙……アワワ……)

そして今回の、ゆうなみさまとの偶然の遭遇……

実にミラクルな出来事なのでございます。

ゆうなみさま、あの折は、わたくし、おおいに驚愕してしまい、みっともなくただ狼狽し、あたふたと意味もなくペコペコしてしまい、失礼いたしました~。

あれからひと月あまり経過してしまって、いまさらなのでございますが、あの偶然はとても貴重で、うれしいサプライズでございました。

つまるところ、2008年10月16日は、かねてからあこがれていた女友達と一緒に和田アタックを実現できた記念すべき日であり、その峠の茶屋において、ゆうなみさまとも偶然お会いできたという、二重にハッピーな日だったのでございました。

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自転車は、いつもわたくしに幸福を運んでくれる不思議な乗り物でございます~。