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大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

「仮名」の変遷と勅撰「古今和歌集」

2005-11-25 10:00:00 | 文学・文芸・芸術
   古今和歌集の序文「真名書き(漢文)」と「仮名書き」

<真名序>

古今和歌集は、905年(推定)に、醍醐天皇の勅命によって編纂され
た、わが国最初の勅撰和歌集である。当時、公用語は漢字であった
から、勅撰集でも古今和歌集以外のものは「漢字(真名)」で書かれ
ている。古今和歌集の序文も「真名序」で書かれている。下の文字は
見づらいが、漢文の「真名序」である。



         
               「真名序」


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尾崎左永子の古今和歌集・新古今和歌集

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<仮名序>

しかし、古今和歌集の序文は、漢文の「真名序」のほか、紀貫之による
漢字+平かなの「仮名序」も併せて書かれている。当時、公用語の漢字
は男の文字であり、仮名は女文字という枠がはめられていたので、国家
によって、仮名が初めて公用文字として使われたことになる。
これにより、和歌の世界では、男も堂々と仮名文字を使うことが出来る
様になったと言える。この「仮名序」は、紀貫之の歌論としても高い評
価を得ている。

        
       古今和歌集「仮名序」の原文  
 | やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのは 
 | とぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれ 
 | ば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひだ 
 | せるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、
 | いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからを 
 | もいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあ 
 | はれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきも 
 | ののふの心をもなぐさむるは、うたなり。

          
 
     ー以下、長文につき省略ー



   +++++++++++++++++


       <平仮名の土佐日記(紀貫之)>

しかし、和歌以外は全て漢文であり、仮名序を書いた紀貫之でさえ、
30年後に、女の人の日記という設定で、平仮名による「土佐日記」
を書いているくらいだから、それまで、平仮名は和歌という限定的な
世界で発展してきたのである。その後、貴族と後宮の女性を中心とす
る平安朝宮廷文化の成熟に伴って、平仮名による表現方法が発達し、
後世に残る様々な仮名文学が出現することになる。

特に女流文学、例えば、蜻蛉日記、和泉式部日記、紫式部日記、更級
日記などの日記・随筆文学の出現に大きな影響を与えたのである。


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姫様と紀貫之のおしゃべりしながら土佐日記

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           <万葉仮名>

万葉の時代から、和歌は仮名書きであったが、万葉仮名というのは漢字
で書かれている仮名のことである。そのため、外見は漢詩と何ら変わら
ない。しかし、実は、日本のことばを表現する方法として、漢字を使っ
ているのであって、漢字を使った仮名書きである。仮名の要領で漢字を
読んでゆくと、私でも何とか読める。 


  散砥見手可有物緒梅之花別様匂之袖丹駐礼留  →万葉仮名

  散ると見てあるべきものを梅の花うたて匂ひ  →漢字+平仮名
                 の袖に留まれる

          (注)別様→「うたて」は、格別に、の意味で
             独自の使い方


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      <漢詩文>全盛時代から<仮名文学>台頭へ

その後も、和歌の世界を除いて、公用語は漢詩、漢文であり時代が永く
続いたが、平安初期から中期に入る頃、時は藤原摂関政治が頭を擡げて
きて、宮廷文化が花開きつつある頃、中国からの借り物文化から日本独
自の文化への高まりが起こり、いわゆる、国風文化の象徴として平仮名
文化が台頭するのである。

特に平安時代初期の850年代前後から900年代、さらには1100
年代の平安時代後期にかけて、平仮名による和歌が隆盛を極め、優秀な
歌人が多数出現した。六歌仙と称せられた歌人から、後には、三十六歌
仙、中古三十六歌仙とつづく和歌の練達者が活躍する。もちろんこの中
には、伊勢、清少納言、紫式部、和泉式部、相模等の女流歌人・文人が
いるが、歌の数が少ないためにこのような名称を冠せられないものの、
この他にも練達の歌人が多く存在した。


「六歌仙」
世に、六歌仙と称する和歌の達人がいた。

在原業平、小野小町、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、大伴黒主
文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰法師


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          <古今和歌集>

古今集は、醍醐天皇の命により、紀友則、紀貫之、
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みびのただみね)
の4人が抜擢されて編纂にあたった、とされる。
20巻、総歌数1,111首のうち、後年墨で消されたもの11首、
そのうち、四季の歌が342首、恋の歌が360首である。

収録されている歌人は、編纂者4人の歌の合計が244首、このほか
素性法師36、在原業平30、伊勢22、藤原敏行19、小野小町18、
僧正遍照17、藤原興風17、清原深養父(清少納言の曾祖父)17ほか
これ以外によみ人知らず450。



「僧正遍照の歌」の書


           

           「藤原行成・升色紙」

          いまはゝやこいひな ましをあひみむと 

                 たのめしことぞ いのちなりける



          「古今和歌集と仮名」

古今和歌集によって、宮廷文学としての「和歌」の地位が確立した。
和歌の発展によって、歌語の用法が発達し、修辞技法、比喩方法等が
進化し、新しい言語体系が出来たと言える。特に、古今和歌集の四季
の歌は日本人の季節感、生活感、自然観などの原点になり、それ以降
の文学や芸能に大きな影響を与えた。

このことは、仮名文化の国家的な確立を意味するものであり、日本人
のこころを語るための和風、国風文化を進化させることに大きな貢献
をしたということである。また、「仮名文字」の確立は、「仮名書風」
という文化を形成することになったが、下の「草仮名」なども「仮名
書風」発展の先駆と言えるものである。


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          <草仮名(そうがな)>

楷書体の万葉仮名(男手)が草書化した仮名で、草の手とも呼ばれる。

伝小野道風「秋萩帖」

           



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            「現代の書・日比野五鳳書」

            古今和歌集「阿倍仲麻呂歌」

              

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(おはり)




 

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