「歌舞伎」は「世界無形遺産」
<これまでに選定された世界無形遺産>
(正式には世界無形遺産条約の発行前のため、「人類の口承及び
無形遺産の傑作の宣言」として発表している)
2003年までに世界無形遺産に選定された47件のうちで確実に知って
いると云えるのはゼロである。
辛うじて映画やニュースの中で見たり聞いたりしたかも知れないと思うも
の . . . 本文を読む
文化財の一分類である「文化的景観」の第一号として、滋賀県近江八幡市の
「水郷」が1月26日に選定された(2月26日朝日新聞)。
<文化財とは>
我々が一般に文化財と云うときには、城郭や神社仏閣や古民家などの建造
物や仏像などの彫刻、陶器、絵画、書画、古文書などの形のある美術工芸
品や、城跡、古墳、土器や、庭園、天然記念物なども思い浮かべるだろう。
また、形のないものでは、能や歌舞伎、人形浄瑠 . . . 本文を読む
重要伝統的建造物群保存地区「岐阜県白川村荻町」
(世界文化遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の一部)
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<文化財行政とは?>
かねがね、わが国の文化財行政は遅れている、対応が後手に回っている、と
思っていたが、2005年4月 . . . 本文を読む
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<作る前の段階で考えていた図案>
当初は左上に描いてある四角錐の花器を想定していた。三角形の窓から
花が出ている部分は三角形の蓋になっていて自由に取り外せる構想のも
ので、後ろ側は穴が開いていて、前面の穴から指し入れた花を花器の底
の部分に置いた剣山やオアシスに差し込むとき、裏側から手を差し入れて
剣山などを押さえることが出来る。
花器のてっ辺は . . . 本文を読む
<歌舞伎市村座「積恋雪関扉 小町姫」三代目歌川豊国作>
(つもるこいゆきのせきのと)
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<浮世絵師「渓斎 英泉」>
渓斎 英泉(けいさい えいせん、寛政2年(1790)~嘉永元年(1848))は、
江戸の下級武士の出身で、苦労しながら狂言作者を目指したり葛飾北斎
に私淑 . . . 本文を読む
(冒頭の絵は鳥居派による初代市川団十郎の歌舞伎絵である)
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喜多川歌麿は、宝暦3年(1753年)生まれと云われているが、年代が近い
浮世絵師は7歳後に葛飾北斎、8歳後には山東京伝(戯作者・浮世絵師)
がいる。菱川師宣や鳥居清信は90年以上前、鈴木春信も30年以上前の
人物で、歌川(安藤)広重は40年以 . . . 本文を読む
私が作品を知っている、あるいは名前を聞いたことがあるという浮世絵
師は沢山いる。例えば、
鳥居清長、鳥居清信、歌川(安藤)広重、歌川豊国、歌川国芳、
歌川国貞、葛飾北斎、鈴木春信、喜多川歌麿、菱川師宣、東洲斎写楽、
渓斎英泉、勝川春章 等々。
その中でも一番、作品に触れる機会が多い作者は以下の6人であろうか。
今回一般にはあまり知られていない渓斎英泉(けいさいえいせん)なる人
物の浮世絵を初 . . . 本文を読む
私は、この美術館に初めて訪問したのだが、ご存じない方も多いと思われる
ので、若干説明したい。
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<所在地>
礫川(こいしかわ)浮世絵美術館は、文京区小石川(こいしかわ)1-2-3と
いう分かり易く、絵に描いたような番地にある。
場所は、地下鉄丸の内線後楽園駅4B出口の前が . . . 本文を読む
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<最初に造ろうと考えていた器>
造る前は、下の黄色の図面のように、丸みのある、太い縁(ふち)の、
少し深みのある独特の器をイメージしていたが、半磁器粘土を捏ねて
いるうちに気が変わり、完成したものが「想定外」のこの作品。
<当初の予定図>
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「王史二氏墓誌銘稿巻」(おうしにしぼしめいこうかん)
黄庭堅(こうていけん)が、王潨(おうしゅう)氏と史扶(しふ)氏の墓誌銘
を頼まれて起草した草稿二紙を合装した書巻である。墓誌銘草稿の中
に、王潨氏は1086年(元祐元年)に亡くなり、史扶(しふ)氏は1096年
(紹聖三年)に没し3年後の1099年(元符二年)に葬られたと書いてある
から、草稿二紙の作成年代は1 . . . 本文を読む
黄庭堅(こうていけん、1045-1105)は、北宋時代の四大家(蔡襄、蘇軾、
黄庭堅、米芾)の一人であるが、四大家の一人である蘇軾のもとで詩文を
学び、書画にも通じていた。書は、唐時代の有名な顔真卿(がんしんけい)
や懐素(かいそ)などの革新的な書を学んだ。下の行書を見ると分かるが、
彼の書は長い横画と左右に伸ばした払いが独特で、力強さと厳しさが感じ
られる。晩年は禅の道に入り草書 . . . 本文を読む
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「群玉堂米帖(ぐんぎょくどうべいじょう)」
-米芾(べいふつ)の書を収録-
群玉堂米帖は、南宋の宰相韓侂冑(かんたくちゅう、 ~1206年)の家蔵
の書跡を刻して法帖としたもので全十巻からなるが、この法帖は、もとは
「閲古堂帖」と . . . 本文を読む
「行書紅県詩巻(ぎょうしょこうけんしかん)」は北宋時代の四大家の一人、
米芾(べいふつ、1051-1107年)が紅県という風光明媚な水郷の地を訪れ
たときに揮毫した行書の書巻であるという。また、「多景楼詩冊(たけいろう
しさつ)」は矢張り、多景楼というところの題詩を行書で書いたものといわれ
ている。いずれも、一部分のみ掲載してある。
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<米芾(べいふつ)の行書>
米芾(べいふつ、1051年-1107年)は北宋時代に書学博士の任にあったが、
宋の四大家の一人に数えられているという。先に、<もう一つの草書競演>
米芾(べいふつ)筆の「草書四帖(そうしょしじょう)」で「草書」を見てきたが、
米芾は「行書」においても優れた作品を残している。
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もう一つの草書の競演を楽しみたい。といっても、私が、これはと思う草書を勝手
に並べて鑑賞しているだけのことであるが。
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<賀知章(がちしょう)筆の「草書孝経巻(そうしょこうきょうかん)」>
下の二枚は、賀知章が書いたと伝えられている「草書孝経巻」の一部である。
賀知 . . . 本文を読む