悠々time・・・はなしの海     

大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

アメリカ映画「扉をたたく人」 と 9.11テロの後遺症

2010-03-05 01:47:22 | 社会的行事

<アカデミー賞主演男優賞候補にノミネート>
2008年4月に公開されたアメリカ映画「扉をたたく人(原題「Visitor」)」は、日本ではそれほど話題になっていなかったためこれまで積極的に見ようとは思わなかったが、昨日(3月3日)WOWOWでやっていたので見てみた。9・11テロ事件以後グリーンカードを取得していない中東からの移民(不法滞在者)がどのように扱われてきたかということと、妻を亡くして以来心を閉ざし孤独な生き方をしてきた大学教授が、そのことにどのように関わっていくのかということに興味を持った。また、大学教授の演技で主役の俳優リチャード・ジェンキンスが2009年のアカデミー賞主演男優賞候補にノミネートされたということについても興味をひかれた。

<心を閉ざした大学教授とアラブ系青年たちとの出会い>
普段はコネチカット州に住んでいる大学教授、62才のウォルター(リチャード・ジェンキンス)が学会のためニューヨークに出張してきて別宅のアパートを訪れたところ、そこには見ず知らずのシリアの青年とアフリカ系セネガルの黒人女性のカップルがいたため騒動となるところから物語は始まる。

<ぎこちない共同生活が始まる>
この若者たちはこのアパートがウォルターの所有だということを知らずに詐欺にあったのだが、結局、やむを得ず、ウォルターは行くところのない若者たち、タレク(ハーズ・スレイマン)とゼイナブ(ダナイ・グリラ)との共同生活を始めるのだが、陽気な青年タレクが敲くアフリカの太鼓ジャンベの演奏を通してウォルターは次第に打ち解けていく。しかしそのような関係になった矢先にタレクは地下鉄無賃乗車を疑われて逮捕されてしまい、不法滞在の身であることが分かってしまう。

<収容所に収監>
タレクは否応なく収容所に入れられてしまうが、ここから、タレクとの心が通い始めたウォルターの収容所通いが始まる。ウォルターはタレクを釈放させようと奔走するのだが、埒があかないまま時間だけが過ぎて行く。

<タレクの母モーナ>
だんだん悲観的になってきたところに、シリアからタレクの母親が心配してやってくる。このタレクの母親モーナ(ヒアム・アッバス)の息子を心配するひたむきな雰囲気と冷静で強固な精神が醸し出す雰囲気がドラマの展開を引き立てる。

<ウォルターの演技>
ウォルターは内心少しずつモーナに惹かれて行くが、それでもウォルターはあくまでも控えめで、あまり言葉になっては出てこない。われわれ観客は、彼の顔の表情を見て彼の心の中の苦悩と心配と愛のようなものを感じ取ることになる。こんな演技、あるいは彼がただそこに存在するということ自体が、主演男優賞にノミネートされた所以ではないかと思われる。
すばらしい脇役が、派手な演技をするわけではないのだが、その存在そのものが主役を食う、あるいは主役に転ずることがある。リチャード・ジェンキンスとは年齢も性格も異なるが、このような俳優が、昔、日本にもいた。たとえば、老け役の笠智 衆である。そこに存在しているというだけで大きくそして静かな存在感がある。

<モーナの真実>
映画の途中の経緯は省略するが、結局、タレクは何の前触れもないまま、ある日突然、シリアに送還されてしまう。収容所の窓口で、そのやり方に激高するウォルター、逆に冷静になだめるモーナ。

モーナは明日にでも息子が送還された故郷シリアに帰るという。そして最後の夜、モーナはタレクのアメリカ滞在が3年となり、仕事を持ち、学校にも入ったのでもう大丈夫だと思ってタレク宛てに来た書類をタレクに渡さなかったことを、つまり送還された原因は自分にあることを、泣きながらベッドの中でウォルターに打ち明ける。ウォルターは「あなたは悪くない、悪くない」といって抱きしめる。

そして翌日、モーナは、愛しているというシリア語の言葉を残して飛行機に搭乗する。

<やり場のないウォルターの心>
ウォルターはジャンベ(太鼓)を抱えて地下鉄のホームに向かい、ホームの長いすに座って周囲の好奇の目や、迷惑を省みず、やり場のない怒りと無念さをはき出すかのように、一人激しく太鼓を叩き続ける。

映画が、地下鉄のホームで一心に太鼓をたたく場面で終わったことについては、物足りないという批判がないでもない。無駄でも弁護士を巻き込んで何らかの法的な行為、あるいは政治的な嘆願の活動をするところで終わる、という成り行きを予想した観客もいると思われる。  

<9・11テロ事件の後遺症>
このことは、9・11テロ事件以降のアラブ系移民に対するアメリカ政府の厳しい政策の存在を浮かび上がらせると同時に、テロには全く関係ないので大丈夫だと思っているアラブ系移民のやりどころのない怒りの両面を浮かび上がらせている。同時に、今でも中東やパキスタンではアメリカ軍のテロ掃討作戦が繰り広げられており、9・11事件は今でも解決していないことを思い知らされる。そしてアメリカ国民でさえも自分たちの心の傷を癒す処方箋を未だに見つけられないでいることを示している。

ふと思った。われわれ日本人は、あの忌まわしい無差別地下鉄サリン事件について心の解決はついたのであろうか、と。



 





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