「行書紅県詩巻(ぎょうしょこうけんしかん)」は北宋時代の四大家の一人、
米芾(べいふつ、1051-1107年)が紅県という風光明媚な水郷の地を訪れ
たときに揮毫した行書の書巻であるという。また、「多景楼詩冊(たけいろう
しさつ)」は矢張り、多景楼というところの題詩を行書で書いたものといわれ
ている。いずれも、一部分のみ掲載してある。
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<「行書紅県詩巻」>
「米芾(べいふつ)最晩年の行書か」
下の「再題」と書いてある帖の左側(掲載を省略した部分)に、実は
「天使残年司筆研」
という文字が書いてあるのだが、書学博士に任命されたときの心境を
「天は残年をして筆研を司らしむ」と記したのだと言われている。
米芾が書学博士に任命された年が崇寧五年(1106年)だったことから、
この書は彼が亡くなる1~2年前、つまり彼の最晩年の行書だというこ
とが推測されるわけである。
力強く、しっかりした中にも米芾特有のしなやかさがあり、さらに、米芾の
最晩年の書、という目で見るせいか、枯淡の味わいが感じられる。
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<「多景楼詩冊」>
この書は、最初の「行書紅県詩巻」と比べると筆致、即ち書きぶり、趣が
異なる。また、筆の運び方や勢い(運筆)も年代と心境の違いが感じられ
る。
こちらは、米芾の流れるようなしなやかさと柔らかさの中に、力強さと剛
健な感じが前に出ているような感じがする。「行書紅県詩巻」よりも若い
時代の書ではないかと思われる。
いずれにしても、米芾(べいふつ)の大字行書の代表的な二題であろう。
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<二題の筆致、運筆比較>
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その一、「華」
「行書紅県詩巻」 「多景楼詩冊」
左側は「行書紅県詩巻」の文字で、右側は「多景楼詩冊」の文字である
が、両方の「華」という文字を見比べて見る。
左側の文字は「中華髪」と書いてあるが、真ん中の文字が「華」、右側の
文字は「華骨」と書いてあり、上の部分の文字は同じく「華」である。
並べて見ると明らかに異なることが分かる
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その二、「天」
「行書紅県詩巻」
「多景楼詩冊」
こちらは、上が「行書紅県詩巻」の文字で、下が「多景楼詩冊」の文字
である。上の文字も下の文字も「天」という文字を比較する。
上の文字は、最初の「紅県旧題云快・・・」の後に続いて出てくるのだが
スペースの関係で省略した部分である。下の文字は「多景楼詩冊」の中
の一段目の一番左側に見ることが出来る。
枯淡の味わいの時代の文字と、力がみなぎっている時代の文字の違い
がはっきり分かる。
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同じ人物でも、年齢と経験と習熟と精神状況の変化によって、書風や書
体は大きく異なることがあることが分かる。いずれも、すばらしい書であ
ることに変わりはない。
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