<浮世絵の版元 蔦屋重三郎>
浮世絵の仕掛け人「蔦屋重三郎」のことはよく知っているが、この人を主人公にした展覧会はあまり記憶にない。そういう意味で今回の展覧会は出色ものといえる。江戸の安永・天明・寛政期における「蔦重」の晴れやかな活躍によって浮世絵の文化が市井に花を咲かせるが、吉原文化とともに歌麿や写楽の華々しい活躍の裏側には、寛政の改革による「身代半減」という過酷なお咎めや病気による苦しみとの戦いの末に亡くなったことも忘れてはならない。
<展示物の構成>
詳細は12月19日まで開催している展覧会の方をご覧いただくとして、展示物の構成は下記の通りである。
第1章は、蔦重とは何者なのかー江戸文化の名プロジューサー 第2章は、蔦重を生んだ<吉原>ー江戸文化の発信地ー
第3章は、美人画の革命児・歌麿ー美人大首絵の誕生ー 第4章は、写楽“発見”-江戸歌舞伎の世界-
<浮世絵の版元の裏側にある文化のプロジューサーとして姿を浮き彫りに!>
沢山の浮世絵の展示もすばらしいが、なんといっても、浮世絵文化を生み出した、あるいはその周辺の文化の担い手である狂歌師(大田南畝)や戯作者(山東京伝)などを見いだした、蔦屋の版元としての貴重な活動の記録や絵や文書の類の展示物の多さに驚く。
<蔦屋の店先>
この絵は葛飾北斎画で、店先の看板には、「通油町 紅絵問屋 蔦屋重三郎」、店の名は「耕書堂」と書いてある。
<蔦屋重三郎の人間関係>
ここには以下のような人物の名前が見える。
喜多川歌麿(狂歌絵本、浮世絵美人大首絵)、 東洲斎写楽(役者絵)、 北尾重政(絵師)、 大田南畝(狂歌)、 山東京伝(戯作者、浮世絵師名は北尾政演、北尾重政の弟子)、 勝川春章(絵師)、 葛飾北斎(役者絵、黄表紙挿絵、勝川春章の弟子) など
<最初は吉原の貸本屋が後年は稀代の文化のプロジューサーへ>
吉原の小さな貸本屋さんに過ぎなかった蔦屋が、吉原の刷り物や冊子類の発行を通じて吉原の魅力の発信を担い、一方で蔦屋は吉原の隆盛とともに重三郎の交友関係も広くなり、浮世絵だけでなく戯作などの書物の発行にも手を広げるようになり、江戸の美意識の代名詞であった「通」を表現する発行元に成長していったようである。 これから先の紆余曲折は展覧会に譲ることとして、華美を取り締まる寛政の改革で身代半減の仕置きを受けても事業意欲はいささかも衰えなかったようであるが、病気(脚気)もあり47歳でこの世を去ったという。