こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

ささやかな幸せ

2006-03-21 14:46:01 | 別居その後
 夫との生活から解放された私は、ごくごく日常の些細なことひとつひとつに安らぎと幸せを感じるようになった。きっと、普通の生活を送っている人たちにとって、そんなことは当たり前のことなのだろう。特に喜ぶべきものでもないのだろう。しかし今まで夫から、生活上で様々な制約、支配、圧力を受けていた私にとっては、些細なことでも自分の好きにできることが心から嬉しかったのだ。

幸せを感じる数々のものとは…
*家の中でびくびくせず、ゆったりと座っていられること(もう私を威圧し罵倒する人間はいない)。
*自分の好きな音楽を好きな音量で聞けること(夫は自分の好きな音楽は大音量で聞き、私は夫に気兼ねし、自分の部屋の中で小さな音量で聞いていた)。
*休日は自然に目が覚めるまで寝ていられること(休日も夫より早く起きる必要がない)。
*お風呂にゆっくりと安心して入れること(お風呂も夫に侵入されたり汚される心配がない)。
*買い物で、自分の好きな食材を買えること(夫の偏った好みに合わせなくていい)。
*自分の食べたいものを料理できること(夫に怯えずに料理ができる)。
*そしてできた料理を味わい、ゆっくり食べることができること(夫に料理の文句を言われないし、怒りの雰囲気漂う、砂を噛むような食事をしなくてもいい)。
*休日にはゆっくり外出できること(夫が家にいたら時間に縛られ、必要な買い物以外あまり外出できなかった)。
*気兼ねなく友人と会い、お茶したり飲みに行ったりできること(夫がいたときは無理だったので、常に夫が自分の用事でいないときをねらってしか友人と会えなかった)。
*仕事が終わった後、冷や汗をかきながら焦って帰宅しなくてもいいこと(夫がいたときは仕事が残っていても、夕食を早く作らなければならなかったので、早々に帰宅した)。
* 気兼ねなく電話をしたり、かかってきた電話で話しができること(夫は私にかかってきた電話の相手を詮索し、電話が少しでも長くなると怒った。そして自分は平気で長電話をした)。
*部屋がそんなに汚れなくなったこと(夫はよく物を散らかし、物を汚く使った)。
*生活にかかる経費が少なくなりひとり暮らしにもかかわらず、自分の使えるお金が増えたこと(夫はとにかく私に生活経費を出させたので)。
*日々の、暗く押し殺したような気分から解放されたこと。
*とにかく何よりも、顔色を窺わなければならない、怒りと不機嫌オーラを放つ人(夫)が家の中にいないこと!

 私は、休日などはよく腕時計をはずして外出した。もう時間を気にして慌てて買い物をすませる必要もない。商店街をゆっくり歩く。本屋で立ち読みし、雑貨屋をのぞき、スーパーで買い物を楽しんだ。ゆったりと流れる心地よい時間。
 ひとりで過ごす休日は、安らぎだった。買い物をし、料理をし、ビール片手にゆっくり食事する。何もかもがおいしかった。穏やかだった。こんなにひとり生活を楽しんだことがあろうか?というくらいに感じたものだった。

 こんなことに幸せを感じることができるのも、夫との生活のお陰?いやいや、私は夫と幸せな生活を送ろうと思っていたのに、まさかこんな事態になろうとは…と溜息も出たりする。どうしてこうなってしまったのだろう。わかっているのに、納得しきれずに何度も結婚生活を思い起こしてしまう。ある日は、夫とのよかった思い出が蘇る…ああやって笑い合ったこともあったと悲しくなる。ある時は、夫の理不尽な暴言を思い出し、なんて酷い夫だったんだ、と暗い気持ちになる。

 ゆらゆらと漂う私の気持ち。

 でも、もう夫と生活はあり得ない。だから「もし~だったら」なんてこともあり得ない。私はこうして自分を取り戻すために、夫と別居したのだ。
 私はひとりの生活を心から喜びながらも、心のどこかで夫との生活と決別できずに過ごしていた。あの結婚生活を捨て切るにはもう少し時間がかかりそうだ、と感じていた。

共感と優しさと

2006-03-16 23:19:37 | 別居その後
 別居から約3ヶ月後、私は勇気をだしてモラハラ被害者同盟の掲示板に投稿した。心のどこかで、夫にばれやしないかとヒヤヒヤしながらだった。その頃私は夫にどこかで見はられているのではないかという、恐怖があったのだ。
 私は、夫からモラハラを受けていたということをモラハラ被害者同盟で知った後、別居したことの簡単な経緯を投稿した。すると何人かの方々が温かいお返事をくださったのだ。私1人の体験だと思っていたことを、「私も同じように大変だった!」と寄り添ってくださり「これはこんな意味ですよ」と優しく解説してくださる。そして「離れられてよかった」と我がことのように喜んでくださったコメントに、私は新鮮な驚きと嬉しさで胸が一杯になった。最も近しい夫からは決して決してもらえなかった、温かい共感と、そっと寄り添うような優しさだった。

 私は夫のモラハラについての詳細は、親にも親しい友人にも話せなかった。夫が大変、疲れる、という話しはしても、夫からのあまりにも酷い仕打ちは惨めすぎて話せなかったのだ。しかしモラハラ被害者同盟では違った。夫の暴言や信じがたい行動についても、「わかる!」「私もそうだった」というコメントが返ってきた。別世界のように見たり単に同情したりするコメントは全くなかった。今までこんなに温かく共感していただいたことがあっただろうか。きっと私自身が苛酷な体験を経たことが大きかったと思う。このように苛酷なモラハラ被害という点で共通な体験をもつ方々と出会えたこと、まったく個人的な体験と思っていたことが、実はモラハラ被害者にとってあまりにも似たような体験が多くあったこと。それらは、絶望的な孤独感から私を救い出してくれる大きな希望だった。

 私は夫との生活や、夫への怒りや悲しみをモラハラ被害者同盟の掲示板に綴った。そして多くの温かい共感をいただいた。ネット上のニックネームでの出会い、そして均一化された文字にもかかわらず、エールを贈ってくださる方々の温かい心を感じることができた。それはモラハラ被害を受けた者にしかわからない、苦しみと痛み、そしてお互いをいたわり思いやる優しいハグだった。相手の顔がわからなくても、私はどんなに心癒されたかわからない。掲示板での方々とのやりとりで、私は自分を取り戻し、自分を保ち、自分ひとりでの生活を安定させることができた。夫への怒りに駆られても、夫への悲しみに沈んでも、夫からの仕打ちを思い出して苦しんでも、掲示板での交流で私はモラ毒を浄化され、ひとりで生きていく自分を保つことができたのだ。

 忘れもしない、最初の投稿にコメントを下さったおもわずさん、ぺんぎん太さん、はればれさん、のんびり屋さん、今頃どうされているのでしょうか。そして、その後の投稿には雪ん子さん、マサコっちさん、ぷくたさん、りすさん、風花さん、himawariさん、マサ子っちさん、宇砂子さん、めありーさん、むらいっこさん、北風さん、はるはるさん、風花さん、塩砂糖さん、あんこさん、みちるさん、pazさん、マコさん、ひつじさん、ぶちうさぎさん、あずきさん、クレマリさん、チャパリータさん…その他の方々。
 そして、ある夜のパブで私が夜更かししたいと言ったらすぐに声をかけてくださった宇砂子さん、そしてnasaさん、あんこさん、みう子さん、モラハラのこと、人生のこと、仕事のことなどの語らいがひとりの夜の時間、どんなに楽しかったか。

 パソコンの前で私はひとり、笑ったり泣いたり励まされたりしていた。ひとりだけど、どこかで誰かとつながっている。同じように苦しい体験をした女性達がそれぞれの生活を送りながら、こうしてつながり、心の交流をしながら支え合っている。お互いの怒りに、悲しみに、滑稽さに、苦しみに、笑いに、絶望に、共感しあう…ただ感動だった。
 そしてモラハラ被害者同盟を経てブログを開設されたまっち~さんの『モラルハラスメント・ブログ』では、まっち~さんとの対話によって力強い共感と前向きに生きるパワーをいただいた。続いて宇砂子さんのブログ『宇砂子の七転び八起き』で宇砂子さんのお笑いセンスで朗らかになりながら、モラハラについて共感し優しく寄り添っていただいた。

 いつしか私は自分のの中に溜まっていたモラハラのどす黒い毒が涙とともに、さらさらと流れていくことを感じていた。

 そして、まさか私が、と思っていたのに、なぜか自分のブログまで作ってしまった。その頃には、世の夫たちのモラハラ振りにはあまりにも共通点が多すぎて、どこのモラ夫の妻が作ったブログかわからないだろう~、と思い切って作ることができた。そこで私はこうして、自分の体験を語り、思いのままに綴っている。それが自分自身の振り返りとなり、自分の体験を意味づけしながら整理することができている。そして何よりも、私のつたないブログに、こうして温かく共感溢れるコメントをくださっている方々がおられるからこそ、自分の体験を振り返る勇気をいただき、こうしてひとり生きる元気をいただけるものと実感している。

 自分の体験を話す(放す)こと、そしてそのことについて、同じ体験をもつ方々や共感してくださる方々と安心して、言葉を交わし、想いを分かち合うこと…それが一番の癒しであり、私自身に力を与えてくださる何よりのものだと心から思っている。


 ここに至るまで、顔も知らぬ私に声をかけてくださった方々に心から感謝いたします。また、@fixさんが作ってくださったモラハラ被害者同盟という焚き火が、これからも苦しんでおられる方々の恐怖で冷えた心身を温め、闇夜を照らす希望の光となりますように。。。。

 そして私は皆さんと一緒に、同じ時間を共に生きることができる…各地にお住まいの皆さんに想いを馳せ、生きる元気をいただけることの幸せを感じています。



夫への怒り

2006-03-12 20:46:21 | 別居その後
 別居後は、夫が突然現われるのではないかと怯えながらも、部屋の中では心静かな生活を送りつつあった。威圧的な存在が家の中にいないことで、緊張から解放され、自分の心のままに時間を過ごすことができる。私はほっとしたような安心した気持ちを日々噛みしめていた。

 そんな中、あるきっかけで突然ハラワタが煮えくりかえるような怒りに襲われることがあった。職場の顧客名簿の住所に、夫と住んでいたマンションのある地名を見たとき、夫と(多分)同じ香水をつけた人とすれ違ったとき、以前のマンションの最寄りの駅に行かなければならなかったとき…。
 何と言っていいのだろうか。ハラワタが熱くなり頭に電流が走るような激しい怒りの感情。もし周囲に誰もいなかったら、叫び地団駄踏みたくなるような怒り。私は手のひらを握りしめ、歯をくいしばった。その怒りの感情が体中を荒れ狂い、そして嵐のように去っていくまでじっとこらえていた。

 そして私は時々夫の夢を見た。ある夜の夢は、家の中で夫に向かって必死に叫んでいるのだ。「どうしてそんなこと言うの?…私はもう我慢できない!…もうやめて~!!」と途切れ途切れになりながらも、腹の底から声を振り絞って叫んでいる。夫は冷たい顔をして見ている。
 ある夜の夢は、夫が出て行った家に私1人で住んでいる。そこに夫が現われ玄関から室内に入り込もうとしている。私は血相を変えて玄関先まで走っていき、夫に向かって「もう来ないでっていったでしょう?…家に入らないで!…出て行って~!!」と泣きながら叫んでいる。夢の中では声がスムーズに出ず、絞り出すように声を出していた。
 はっとして目が覚めると、布団の中に横たわっているのだが、心臓が波打っており息が荒かった。私はやりきれない気持ちを抱え、暗闇を見つめた。私はいつまで怒りによって夫に縛り付けられるのだろう。

 夫への怒り。
夫から蔑ろにされ、冷酷な扱いを受けたことへの怒り。夫と築きたかった結婚生活が崩れ去ったことへの怒り、夫と過ごした時間が粉砕され葬られたように感じることへの怒り、私の言葉や想いがまったく夫に伝わらなかったことと、夫に怯えて何も伝えられなかったことへの怒り、夫がすべてをぶちこわしたんだという怒り、なぜ夫を選んでしまったのかという自分への怒り…。結婚生活を失敗させてしまったという罪悪感。そして、夫のモラハラさえなければ、私は夫のことが好きでい続けたはずだった…そのことへの深い悲しみと憤り。
 別居後、一回だけ夫からメールがあった。それは「もしかしたら僕は酷い人間なのかもしれない。自分でもどうしたらいいかわからない。自分はもう誰とも暮らさない方がいいのかもしれない…」というような内容だった。私はそれを読み「その通りだ。おまえはとっても酷い人間だ。今更気がついたか。おまえと生活する人は皆不幸になるだけだ~!」と言いたかったが、下手に書くとそれを逆手にとられる可能性が大いにあるし、嫌がらせをされるのも恐ろしかったので、一言「その通りだと思います」だけ書いて返信した。それが当時の私にできた、精一杯の抵抗だった。その後夫から返事はなかった。
 このメールにもしばらく怒りがとまらなかった。そんなことどうしてもっと早く言わなかったのだろう。同居していたときはあんなにも酷い仕打ちで私を散々踏みにじったのに、どうして今更こんなことを言ってくるのか。許せなかった。

 私はいつまでこんな怒りに苦しめられるのだろう。当の本人にはぶつけられない怒り。私の気持ちは、ぶつけたい、伝えたい相手には決して受け止められないのだ。

 そんな苦々しさを抱えた私は、モラハラ被害者同盟の掲示板に初めて投稿した。このやり場のない混乱した想いを、誰かに話したかったのだ。身内でもなく友人でもなく、誰とも知らないが、同じ体験をして苦しんでいる人たちに。
 誰かに理解して欲しかったのだ。モラハラ体験の恐ろしさと孤独を。そして夫の元からから飛び出し、ひとりになった私を。

別居直後の生活

2006-03-08 21:41:17 | 別居その後
 部屋の中にひとり。静かな夜。
 もう家の中に私を怒鳴ったり威圧したりする人はいない。私は、もう夫の声色に、足音に、表情に怯える必要はない。私はもうテレビの大音響に神経を逆撫でされることもない。お風呂に入っているとき、突然侵入される恐れもない。
 私は静寂の中、ゆったりと座っていた。

 荷物を片付けながら、どんな部屋にしようかと考えるのは楽しかった。電化製品一切は前の家に置いてきたので、まず大型電気店に行き、自分用の電化製品を購入した。それから家具屋さんをあちこち見て、テーブルと椅子、そして小さな食器棚を買った。実は、テーブルや食器棚を自分で選び、買うのは初めてだった。若かりし頃のひとり暮らしでは、実家にあった棚や、買い換えるからもっていきなさい、と言われたものを運び、それを使い続けた。結婚した時には、すでに夫の趣味の暗い重厚感のある家具がそろえられていた。今回、初めて自分の好みの色や形のものを買うことができたのだ。上等ではないが、自分の気に入ったものを買え、こんなことですら自分の生活を築くささやかな喜びを感じた。(それは、およそ夫が選びそうもないものだったので余計に!。)
 こうして少しずつ、時間をかけて部屋の中を整えていった。

 そして悩んだのが、この別居について職場の人に伝えるかどうかだった。職場には転居届けと、通勤路変更届を提出しなければならなかった。単に引越しをしました、と言いたかった。プライベートなことは職場の人たちにはあまり詮索されたくないし、触れられたくなかった。もともと夫の扶養にも入ってはいなかったので、扶養からはずれる等の手続きも必要なかった。
 しかし私は、引越し当初は何よりも夫の突発的な行動を恐れていた。夫も納得したかのように別居できたが、今までのことを考えると突然夫が職場に電話してくるかもしれない。訪ねてくるかもしれない。そんな時変な騒ぎになっても嫌だ。そして、もし私に何かがあったときの連絡はどうなるのか。もし私が家の中でぎっくり腰にでもなって、動けなくなったら(実際友人がそうだった)。もし通勤の途中で事故に遭い、職場に連絡がとれずにいたら上司は夫に連絡をとろうとするだろう。何かあったときの緊急連絡先も、夫の職場ではなく実家の電話番号に変更しないとややこしいことになる。
 私は同じ課の上司と同僚にだけは別居したことを話すことにした。そして、夫から何らかの働きかけがあったらすぐ知らせてもらうことと、私に何かあったら実家に連絡してくれるようお願いした。幸いにも皆神妙な顔をしてうなずいてくれた。これでだいぶほっとした。何せ、今の私がほぼ毎日会うのは職場の人だけである。親やそれぞれの友人とも連絡(電話やメールなど)するのは多くて一週間に一度くらいなものだ。その点では、緊急なときの対処として同じ課の数人に最低限の事情を説明し、理解を求めることが最善ではないかと思えたのだ。

 そう考えた背景には、やはり夫への恐れがあった。夫は一緒に暮らしていたときも、私のいうことに納得したかのような態度をとっても、だいぶ後になってから「あのときは…よくもあんなこと言ったな」と罵倒されたことがよくあったからだ。
 夫が怒りを募らせ、嫌がらせをするのではないか…家に押しかけてくるのではないか…電話でまた責められたらどうしよう…。そんな不安も強かったのだ。DV夫が自分から逃げていった妻や、妻をかくまっていた友人を殺害、といった事件も後を絶たない。私は仕事帰りの道すがらも、いきなり夫が出てきやしないかと不安だった。駅の改札周辺に夫が立っていないかと、辺りを見回した。自分の家に入ったら、鍵をしっかりかけた。

 幸いにも別居後、今まで夫がうちを訪ねてきたことはない。職場に連絡が来ることもなかった。モラ夫はええ格好しいで、世間体を守る気持ちが強いから、離れてもストーカーや嫌がらせなどはしないパターンも多いらしい。夫はこのタイプだったようだ。
 ただ、何回か事務連絡的に、電話や郵便物が届いた。一回だけ、物を取りに行くために会いもした。しかしやはり妙に事務的でよそよそしくもったいぶった、おかしなムカツク行動だった。


 嬉しかったことは、夫の大変さについて(モラハラの詳細は恥ずかしくて言えなかったが)、聴いてくれていた友人の何人かに「夫と別居したよ~」と報告したら、「やったじゃん!」と喜んでくれたり、「じゃあ引越祝いしよう!」と懐石料理をご馳走してくれたり、引越祝いのプレゼントをもらったことだった。親しい友人は誰も心配したり咎めたりしなかった。むしろ喜び祝ってくれたのだ。これがどんなに心強く励まされたことか。それにしてもなんだか不思議な感覚だった。結婚、そして別居。どちらも祝われる不思議。
 そして、やっぱり自分はモラ夫以外となら、信頼できる関係がたくさんあったんだ、と改めて思うことができたのだ。
 モラワールドの中にいたら、私はいつまでもバカでろくなことができない最低最悪人間でしか見られなかった。

 

 ひとり暮らしも落ち着いてきた頃、私はいろいろな感情の波を体験することになる。次回はイカリ編です。