自分の夫がしていることはモラル・ハラスメントだったと知った妻は、まず何を感じるだろうか。それは人によって、また置かれている状況によって様々なのだろう。絶望、落胆、悲しみもあるだろう。しかし私の場合は違った。
夫のしていることがわかった瞬間、「これだーーっ!」と手を叩いて興奮している(もち心の中で。実際に夫の前でしたかったけど…)状態だった。その後はいちいち発見の喜びに包まれていた「これも!」「あれも!」「まるでオット~~~ッ!」と。なぜこんなに喜んだのか。夫の不可解な謎が解けた!という思いと、自分が抱いていた厳しい孤独からの解放を感じたからだ。私の知人、友人の中で、モラハラという言葉を知る人は誰もいなかった(パワハラやアカハラはまだ知られていた)。そしてあまりの夫の仕打ちは誰にも言えなかった。親しい友人にはそれとなく、夫が大変だと愚痴を言えたが、詳細なことは惨めすぎて言えなかったし、ただ同情だけされるのも嫌だったのだ。だから、夫のモラハラについて私は本当に孤独だった。誰にも言えないまま虐げられ暗く沈んでいく自分にも絶望していたのだ。そんな中、パソコンの中の文字とはいえ、まるで私の状況を代弁してくれるかのようなサイトは、「あなたはひとりじゃないよ」と語りかけてくれているかのようだった。
実は、私は夫に会う以前から、DVや様々な依存症、共依存という言葉を知っていた。それは自分と母親との関係を考えるため、家族問題に関連した書籍を読み進めていくうちに得た知識だった。そして、私自身は共依存の傾向があるのではないかと、薄々感じてはいた。しかし親から離れて生活した後は、親ほど濃厚な人間関係もなく、人付き合いに共依存的な問題を感じたことはあまりなかった。
夫と出会い、少々夫自身の問題を感じながらも、恋愛の渦中にどっぷりはまっていた私はあまり気にならなかったし、お互いにこんなに想い合っていれば、何だって乗り越えられる、と錯覚していた。そして結婚後、優しい夫は鬼の面になった。
どうして夫は絶えず怒りを爆発させ、絶えずぴりぴりし、私をなじるのだろう。夫はかつて親から暴力を受けたと話していた。虐待された子ども時代のトラウマがこうやって表出しているのだろうか。そうだとしたら私が辛抱強く接しなければ。いずれは夫も変わるだろう。時に反省を見せたりしているのだから…。
しかし私が努力しても、工夫しても、夫は笑わず、怒りを募らせるだけだった。私は夫の態度の理由を探った。しかしDVにある身体的暴力はあまりなかったので、DVでもないような、でもこのまったく自己中心的な振る舞いはなんだろう…。そして「自己愛性人格障害」あるいは「境界性人格障害」を知る。この2つに夫はけっこう当てはまった。しかし何か具体的な説明に欠け、いまひとつピンとはこなかったのだ。
こうして私は私なりに、夫の不可解な行動について必死になって調べていた。何とかこの状況を打破したかったのだ。しかし依然霧の中を彷徨っているようで、私はただ霧の中でもがき、疲弊していくだけだった。
そして霧の中で力尽きかけ、這いつくばっていたときにこの「モラル・ハラスメント」を発見した。この時よかったのは、発見したものが学術的な内容ではなく、実際にモラル・ハラスメントを受けた妻達の、日常生活の中の具体的な話を知ることができたことだ。モラハラを受けたときの戸惑いや悲しみ、驚き、怒り…妻達の想いがパソコンから溢れ、私の心へ一気に飛び込んできた。その上での、モラハラに関する説明は目から鱗だった。加害者や被害者の特徴、モラハラの意味を知り、私は自分の置かれている状況をはっきりと把握することが出来た。もうこれ以上、私は夫を理解しようとする必要はないし、夫とは人間として暖かい血の通った交流がもてないことも確信した。
そう、必要以上に罪悪感をもつ必要はないのだ。いつだって夫に関して、私は無力だったじゃないか。夫からはボロクソに言われ、力をひたすら奪われていたじゃないか。
もうこの男と生活し続けていたら、自分の人生を捨てるようなものだ。自分を殺し、夫の顔色を窺い、夫の生活、夫のルール、夫の気分に合わせて、ひたすら卑屈に暮らさなければいけない。もうおしまいだ。これ以上いたら自分は廃人になってしまう。もうこの生活を終わらせよう…私が自分として生きるために。私自身を犠牲にすることはない。離れよう。夫から離れよう…!
私の気持ちが少し明るくなり、落ち着きを取り戻しつつあった。
私は作戦をたてることにした。失敗は許されない。ことは慎重に運ばなくてはならない。先のことはわからない。でももうやるしかない。
そして私は決意を固めた。
夫のしていることがわかった瞬間、「これだーーっ!」と手を叩いて興奮している(もち心の中で。実際に夫の前でしたかったけど…)状態だった。その後はいちいち発見の喜びに包まれていた「これも!」「あれも!」「まるでオット~~~ッ!」と。なぜこんなに喜んだのか。夫の不可解な謎が解けた!という思いと、自分が抱いていた厳しい孤独からの解放を感じたからだ。私の知人、友人の中で、モラハラという言葉を知る人は誰もいなかった(パワハラやアカハラはまだ知られていた)。そしてあまりの夫の仕打ちは誰にも言えなかった。親しい友人にはそれとなく、夫が大変だと愚痴を言えたが、詳細なことは惨めすぎて言えなかったし、ただ同情だけされるのも嫌だったのだ。だから、夫のモラハラについて私は本当に孤独だった。誰にも言えないまま虐げられ暗く沈んでいく自分にも絶望していたのだ。そんな中、パソコンの中の文字とはいえ、まるで私の状況を代弁してくれるかのようなサイトは、「あなたはひとりじゃないよ」と語りかけてくれているかのようだった。
実は、私は夫に会う以前から、DVや様々な依存症、共依存という言葉を知っていた。それは自分と母親との関係を考えるため、家族問題に関連した書籍を読み進めていくうちに得た知識だった。そして、私自身は共依存の傾向があるのではないかと、薄々感じてはいた。しかし親から離れて生活した後は、親ほど濃厚な人間関係もなく、人付き合いに共依存的な問題を感じたことはあまりなかった。
夫と出会い、少々夫自身の問題を感じながらも、恋愛の渦中にどっぷりはまっていた私はあまり気にならなかったし、お互いにこんなに想い合っていれば、何だって乗り越えられる、と錯覚していた。そして結婚後、優しい夫は鬼の面になった。
どうして夫は絶えず怒りを爆発させ、絶えずぴりぴりし、私をなじるのだろう。夫はかつて親から暴力を受けたと話していた。虐待された子ども時代のトラウマがこうやって表出しているのだろうか。そうだとしたら私が辛抱強く接しなければ。いずれは夫も変わるだろう。時に反省を見せたりしているのだから…。
しかし私が努力しても、工夫しても、夫は笑わず、怒りを募らせるだけだった。私は夫の態度の理由を探った。しかしDVにある身体的暴力はあまりなかったので、DVでもないような、でもこのまったく自己中心的な振る舞いはなんだろう…。そして「自己愛性人格障害」あるいは「境界性人格障害」を知る。この2つに夫はけっこう当てはまった。しかし何か具体的な説明に欠け、いまひとつピンとはこなかったのだ。
こうして私は私なりに、夫の不可解な行動について必死になって調べていた。何とかこの状況を打破したかったのだ。しかし依然霧の中を彷徨っているようで、私はただ霧の中でもがき、疲弊していくだけだった。
そして霧の中で力尽きかけ、這いつくばっていたときにこの「モラル・ハラスメント」を発見した。この時よかったのは、発見したものが学術的な内容ではなく、実際にモラル・ハラスメントを受けた妻達の、日常生活の中の具体的な話を知ることができたことだ。モラハラを受けたときの戸惑いや悲しみ、驚き、怒り…妻達の想いがパソコンから溢れ、私の心へ一気に飛び込んできた。その上での、モラハラに関する説明は目から鱗だった。加害者や被害者の特徴、モラハラの意味を知り、私は自分の置かれている状況をはっきりと把握することが出来た。もうこれ以上、私は夫を理解しようとする必要はないし、夫とは人間として暖かい血の通った交流がもてないことも確信した。
そう、必要以上に罪悪感をもつ必要はないのだ。いつだって夫に関して、私は無力だったじゃないか。夫からはボロクソに言われ、力をひたすら奪われていたじゃないか。
もうこの男と生活し続けていたら、自分の人生を捨てるようなものだ。自分を殺し、夫の顔色を窺い、夫の生活、夫のルール、夫の気分に合わせて、ひたすら卑屈に暮らさなければいけない。もうおしまいだ。これ以上いたら自分は廃人になってしまう。もうこの生活を終わらせよう…私が自分として生きるために。私自身を犠牲にすることはない。離れよう。夫から離れよう…!
私の気持ちが少し明るくなり、落ち着きを取り戻しつつあった。
私は作戦をたてることにした。失敗は許されない。ことは慎重に運ばなくてはならない。先のことはわからない。でももうやるしかない。
そして私は決意を固めた。