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うどんのこと香川のこと

開店後、ほぼ週1ペースの更新になってます。
しばらく、主なテーマに信号番号の設置を加えようと思います。

日曜営業モニタリング

2007-08-20 22:04:26 | Weblog
やっぱり、酷暑だと人が普通には歩いてない。
自転車の通行の少なさはすごくはっきりしてます。

35人ぐらいで10,570円でした。
こりゃ、普通に考えたら、見込みはないですね。
うちのお客さんはもう日曜日やってるの知ってると思うし、うちのお客さんでなかった人ってのはなかなかそう増えるものではない。
それに、用事ができなくて、いろいろ作業の時間がずれたり、疲労が極限に近づいて明らかに、体調が悪くなってるからね。

やっぱり、日曜営業はやるべきではないなあ。
自分のように、一人営業で、家族無しだと無理や。

前の経営者のマネはできん。
最近、酷暑、猛暑だから、明らかに客数の割りにトッピングの出が悪いので早く店を閉められない。
だから、平日も土曜も日曜日もそこそこ営業時間を引っ張っている。
これで、引越しとかやってたらほんまに病気になりかねん。

9月は日曜営業やめ!
決めた!
無理!

売上げが悪い日とかつくってはいかんのは、体調や品質を落とす可能性が出るからだと思う。
そりゃあ当然出るんだけど、少なくする努力をしないと財務状況にかなり余裕のある人ならともかく、それだけ、体調や品質を落とす可能性をつくることになると思う。

といいながら、10月また日曜営業を復活したいとは思ってます。
引越しが終わってるし、将棋大会もFPの試験も結果はともかく終わってるし、酷暑でないから、うどんジムの体調にも余裕が出るし、空調の電気代が減るし、お客さんの食欲も上がるだろうから、再挑戦する意味はあると思う。

とにかく、売れない日をつくると体調が崩れる可能性は増す。
これはほとんどの店主についてそれを見て取れます。
だから、売れない日をつくってはいけないし、売れなかった日の理由や売上げが落ちる理由ってのは調べをつけられる限りはつける必要があると思う。
まあもちろん、わからんことが多いんですが、気に留めてさえいれば、わかる率は確実に上がるし、後に何かの情報を得て、合点が行くことも多いんですよね。

最近、熟成時間を大幅に長くした麺を午前中何度か出してる。
できたちは以前よりもいいと思うけど、時間が経つと切れやすい。
置き時間は短くしているけど、まだお客さんから感想を聞いてない。
うちは今までほとんど意図的に熟成時間を短めにしていたけど、ほんとうはもっと長くした方が麺の味がよく出ると思う。
うちは硬さや太さの加減と出汁の味でもっていたけど、ほんとうはもっと小麦の味が出た方が良いとは思っていた。
今後、もうちょっと熟成時間を長めにしていきたいと思ってます。

陸上の100mのランキング

2007-08-20 20:59:56 | Weblog
世界陸上が近いからか、たまたま、いろんな100m走のカテゴリーのランキングを目にした。

驚いたことに、中学で歴代10傑が1人しか後に高校で10傑に入ってないし、高校で10傑に入った人も1人しか後に10傑まで行ってない。

世界の男子でもジュニアの歴代10傑で後に全体の10傑に入ってるのは1人だけ。
世界の女子でもジュニアの歴代10傑が誰も全体で後の歴代10傑に入ってない。

これって、すごくうどんジムの琴線に触れました。

実はうどんジムは、100mは調子のいいときは10秒台で走れたと思う。
今でも、まだ練習してちょっとやせたら11秒台なら走れるかも。
こんな商売してなければ、年齢別で出てみたい気もする。

でも、中学のときは、クラスでまあ速い方というだけでちっとも目立ちませんでしたよ。
ただ、22歳ぐらいまでずっとぐんぐん速くなり続けてたみたいでした。
とあるマイナーな種目をやってたら、東四国国体の関係でナショナルチームのコーチをやってた人で香川に教員として赴任した人と会って、トレーニングの仕方の考え方に触れて、そこでウェイトトレーニングをやったら、直接関係なかった走力が別人のように上がりました。
地域対抗リレーや草野球や草サッカーに借り出されてる現役高校生の部で一番速いような人と走っても25歳ぐらいのときに走ってちっとも負けませんでした。
自分が高校時代や中学で陸上やってたころなら、逆に彼らは雲の上の存在だったと思う。

うどんジムがいろんなところで、うどんについてであれ、起業についてであれ、勉強についてであれ、地域や業界全体での育成ということを考えるのは、中学のときに指導者がいない部で一人で走っては大会で大した結果を出せずに挫折を感じた自分って何?
ていうあの思いは、ほんの少しは関係があると思う。

応援したり育成するシステムに、やる気のある人が触れられさえすれば、全然世界が違ったのにと思う場面があまりにも多くて、そのことが自分のブログの考えの根になってると思う。