goo blog サービス終了のお知らせ 

うどんのこと香川のこと

開店後、ほぼ週1ペースの更新になってます。
しばらく、主なテーマに信号番号の設置を加えようと思います。

街の一角の杜へ

2007-07-17 20:35:26 | Weblog
今日の四国新聞に、うちによく来てくれる方が書いた記事で
今新町で、個人でつくった、たぶん一般開放もしてる庭のことが書いてあった。
いや開放してるかどうかは記事の雰囲気から勝手にそう思っただけです。
間違ってたらごめんなさい。

もとの宮武画廊のちょっと東になるのかな?
最近そこ通ったことないけど、通らなきゃ?

建物をつくるよりも、空間をつくろう。
街に緑を、杜を。
街の風通しをよくしよう。

みたいなことが書いてあった。

うどんジムもささやかながら、店の前にベンチを置いているのは
店をつくるだけでなく、街の空間に働きかけようという意図があったからで、
できる範囲は違えど、根底に通ずる思想があるような気がした。

行ってみよう。
で、あわよくば、話しをしにいこうと思う。

あの高松でトップクラスの商業地で、コインパーキングにも使われていたところを57坪も使って、竹炭を5トンも土に埋めて、植物を育てやすい土壌にしたそうです。
ああ、恐れ入ります。

連休明け

2007-07-17 20:24:24 | Weblog
うちは、月曜日、中でも、連休明けがお客さんが多いような気がする。
もちろん、月が祝日なら、明けは火曜日ですが。

讃岐うどん界で、セルフの場合は、週に数回は食べる人が多い。
で、毎日だとやっぱりちょっと飽きて、週3ぐらいにしとこうとかいう人もいるんだと思う。

週明けは、その飽きが無い状態だし、土日にうどん食べてなかったり、いいもの食べてたら、明けは軽くとか安くとか思う人が多いのではないでしょうか?
もちろん、土日までうどんを食べてる方には飽きなんかないので、毎日でも問題ないでしょうし。

そんなに大きな差ではないけど、うちは、月曜日とか週明けは平均してお客さんが多いと思う。
近隣の会社等の中の業務上のことで、月曜日は、喫茶とかのランチとかでゆっくりしにくいとかそういうのがあるかもしれないけど、そこはよくわかってません。

こういうことが、県外だとどうなるのか?
駐車場の広い郊外ならどうなるのか?
興味深いところです。

水泳の経験

2007-07-17 00:00:37 | Weblog
うどんジムは、今でもたぶん、1km以上は泳げると思う。
この5年ぐらい、2回ぐらいしか泳いだことないけど、たぶん、大丈夫だと思う。

うどんジムは、泳ぐことに関して、ときどき人に話したくなる特殊経験があります。

うどんジムは小学校のとき、2年で25m泳げるようになってから、5年になるまで50m泳げませんでした。
けっこう夏休みのプール開放で、真面目に練習した時期もあって、休憩を入れながらですが、何時間も練習した日もありました。
でも、バランスが悪いのか、25m泳いだら、つまり、向こう岸まで行ったらいっぱいになって、折り返して10mぐらいで足を着いてしまってました。
特に、誰一人コーチもいなかったし、教えてくれる人もいない状態でただただ、25m泳いで折り返しては足を着くという繰り返しを何時間も何日もする年が3年ほど続きました。

で、初めて、50m泳げた日、次泳いだ日には、2kmでも3kmでも泳げるようになっていました。
しかも、5年の最後の日に、「今年のプール開放の最後だから何が何でも泳がないと」という切迫感があって、その日の練習の最後にプールを閉める直前ギリギリで50mを完泳しました。

で、すごく達成感がありました。
来年、6年になったら100m泳げるようになろうとか思ってました。

そして、6年の最初のプールの日、50m泳いで折り返しても、すごく楽な自分がいて、何度も折り返し、100mをはるかに超えている自分がいました。
えっ!と思って、数えてみると、1時間ぐらいぶっ続けで一度も足をつかずに、たぶん、数km連続で泳いでる自分がいました。

何年もバランスが悪いままですが、バタバタでも泳いではいたので泳ぐ体力自体はできてたんでしょう。
息継ぎがうまくできない間は、無酸素運動みたいな状態だったんでしょうね。
そして、50m泳げた時点で、有酸素の感覚になり、泳ぐことが歩くのと同じぐらい楽で自然な行為としてつかめたんだと思います。
6年の初日では、泳ぐことが歩くのと同じぐらい楽なことに感じ、何kmでも歩けるんだから、何kmも泳げて当たり前と思えました。

つかんだ感覚が翌年まで持ち越せていていきなり、数km泳げたことは今でも、自分がいろいろ上達しようとしたことの歴史の中で、特筆ものです。
間違いなく、前の年、50m泳げてなかったし、その間、誰一人アドバイスしてくれる人はいませんでしたから。

そして、その年に、海に行ってあの沖の島まで行ってやろうとか挑戦するようになりました。
しかし、沖に出て、潮の流れに巻き込まれて、溺死しそうになったので、それ以来は沖には出なくなりました。
泳ぐ力よりも潮の力が強くて、戻れなくて、まわりにまったく人もいなくて、あせって何度も海水を飲んだので普通に泳ぐ事ができなくなり、浮くこともしんどくなり、ああ、ついに自分は死ぬんだと思いました。
そうこうもがいてるうちに、いつの間にか、戻れない潮の流れから外れていて、いちおう、生きていることができましたが、海水浴場のロープからはそれ以来、出ないようにしてます。

で、今は1kmぐらいしか泳げないのですが、泳ぐ体力が問題ではないんです。
男は、上半身が空洞が多いのに、脚は重い骨と筋肉と血で、脂肪も少なく、水より軽いとこがないので、泳いでて足が沈んできます。
だから、きちんと泳ぎを習ったことがないうどんジムはかなり、強くバタ足をしないとバランス良く浮いていられません。
すると、長年泳がない生活の中、足首が固くなっているのか、1kmぐらいで、足首がいつも痛くなります。
泳ぐ事自体は楽なのに、それでやめてしまいます。
立ち泳ぎで、2時間ぐらいは足を休めながら浮いてはいられるのですが、連続して泳げません。


このことが思い出されたのは、少年期に上達したり、感覚をつかんだり、年取って若い頃の当たり前ができなくなる肉体になるとかの、普遍的な過程を典型的に踏んでいると思ったのと、今、営業に関連して上達したいと思いながらもうちょっとと思うあることがダブったからだと思います。