草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

ウシガエル2

2018-07-24 20:25:07 | 日記
 家の前の防火水槽の中のウシガエルのオタマジャクシが、近ごろすっかり大人じみてきた。尻尾の脇の後脚が大きくなり、心なしか口が尖ってカエルみたいな顔になって来た。まだ前脚が生えていないので、もう少しオタマジャクシのままだろうが、カエルになる日も遠くはないようだ。
 それにしてもなんて大きなオタマジャクシなのだろう。田んぼで見かけるオタマジャクシとはくらべものにならない。小さな防火水槽の中にあんなにたくさんいて、何を食べているのだろう。カエルになったらどうするのだろうか。どこかに巣立って行くのだろうか。それともこのままここに住みつくのだろうか。しばらくはオタマジャクシから目が離せない。
 始めてウシガエルを見たのは中学二年の時だった。「解剖用のカエルを各班で用意すること」それが前日出された理科の宿題だった。解剖用に使うカエルなんてどうやって集めるのだろう。そんな大きなカエル、家の近くにはいない。そんな宿題なんて初めからやる気の無い私は、さっさと部活に行ってしまった。
 「きっと明日は解剖できないな」そう思いながら「池に捕りに行ったけどカエルなんてどこにも居なかった」なんていい訳も考えていた。先生の怒った顔を思い浮かべながら。
 ところが翌日の理科室はカエル、カエル、カエルのオンパレードだった。ウシガエルから解剖するにはちょっと小さなトノサマガエルまで、みんな律義に宿題のカエルを持ってきたのだ。とりわけ私の班の男子は驚くほど大きなウシガエルを用意していた。
 その男子たちの顔ぶれを見た時「嘘だろう」と思った。当時私もそうだったがその男子たちも、宿題など全くやって来た試がなかったのに。それがあんな大きなカエルを持って来るなんて。部活の後みんなで捕りに行ったのだろうか。
 彼らはいつも三、四人で教室の後ろの方にたむろしていた。他の生徒とは接触することは少なく、ボソボソと仲間内だけで話していた。しかし時々とんでもなく面白いことをした。ある時などは壊れた木製の椅子と机を摩擦させ、教室でモクモクと煙を立てさせたことがあった。
 早速家に帰って真似をして見たが、煙など私に出せるはずもなかった。いとも簡単にそれをやってのける男子が羨ましくてならなかった。取り立てた思い出も無い中学時代、そんな男子たちみたいになりたいと思ったことが、なぜか忘れなれない。
 さて件のウシガエル。麻酔を打たれて仰向けにされ、いよいよ解剖が始まった。こうなればもう劣等生の私やカエルを用意するのに尽力した彼らの出番はない。ただ黙って解剖を見守るしかなかった。
 誰もがしり込みする中、果敢にメスを振るうのはJ子だった。J子は外科医の娘だったので、血が騒いだのだろう。ところが腹を切り開いたところでさあ大変、カエルが逃げ出した。たぶんあまりにカエルが大きかったので、麻酔が途中で醒めてしまったのだろう。腹から腸をはみ出させて、カエルがピョンピョンと跳ねて逃げていく。理科室はたちまち阿鼻叫喚の巷とかしたのであった。
 騒ぎを聞きつけて飛んできた理科の先生が、飛び跳ねていくカエルを捕まえ再度麻酔を打ち、J子と二人で解剖を続行した。思わぬアクシデントに二人とも小刻みに手が震えている。しかしなんて仲良く解剖しているのだろう。
 J子のM先生嫌いは有名でクラスのみんな知っていた。それがあんなに仲良く解剖するなんて。クスクスという笑い声が理科室のあちらこちらから聞こえて来た。たぶんその時のJ子は一番大切なことはカエルの解剖で、そのためにはM先生が嫌いな自分の感情などどうでも良かったのだろう。あの後カエルのお腹を縫い合わせ校庭の隅に埋めたのだけど、内蔵の事など全然覚えていない。覚えているのは、はみ出した腸のことと、仲良く解剖するJ子とM先生の姿だけだった。

結果は後のお楽しみ

2018-07-23 21:02:08 | 日記
  各地で四十度越えの猛暑が伝えられている。熊谷市では41度1分の、観測史上国内で最も高い気温の記録を更新したとニュースが伝えている。この猛暑いったいいつまで続くのやら。天気予報の気象予報士が、申し訳なさそうに明日も暑いと言っている。暑中見舞いのハガキには「猛暑ご注意申し上げます」と書いた方がいいのではなかろうか。
 とにかく暑いし夕立もない。まあ夕立など降ったら降ったで、後が猛烈に蒸し暑くなるので考え物だ。それでも人情としてひと雨欲しいところだ。ひと雨欲しいのは人間よりも畑の方がもっと切実だ。トマトやナスなどの夏の定番野菜の元気がいまいちだ。
 子供の頃三〇度と聞くとなんて暑さだと思っていたが、今では涼しいと感じるようになった。昔と比べると十度以上も気温が上がったことになる。日射病が熱中症に代わり、暑さの上に猛が付きその上に危険か伴うがつくようになった。そしてまたまたその上に命のが付くようになった。
 そんな暑さの中、元気のいい野菜もある。空心菜やモロヘイヤ、四角マメなどの東南アジア原産の野菜たちだ。空心菜はニンニクと唐辛子と一緒に油で炒めるとおいしい。途中で水を少し足しながら芯が柔らかくなるまで炒め、仕上げにナンプラーで味付けすると一層おいしくなる。シャキシャキとした歯ごたえの最後にヌルッと来る食感が癖になる。我が家の夏の定番野菜。ぜひ一度ご賞味あれ。
 さて目先を畑から庭に変えよう。百日紅やフロックスの花が満開で、いかにも夏らしい。特筆すべきはバラの花で、この暑さにめげずにふだんの大きさに比べると一回りも二回りも小さな花を咲かせている。本来バラは真夏には咲かないものだが……。
 近隣のバラ園でバラの魅力に取りつかれてから十年近くなる。毎年ひと株ずつ増やしていき、昔畑だった場所に今では十数種のバラが植わっている。私なりに慈しんで育てているし、観察もしている。
 だからあえて今のこの時期に言うのだが、こんな真夏にバラが花をつける年は、意外に早く涼しくなり秋がさっさとやって来る。さて私のバラ予報、当たってご教祖様とあがめ奉られるか、外れて後々の笑いものになるか。結果は後のお楽しみだ。

 ご自愛ください。

2018-07-21 20:15:50 | 草むしりの幼年時代
 生前父は母のする家事に対しては、いっさい小言は言わなかった。しかしその時代の人らしく、自ら台所に立ったり箒を握ったりはまったくしなかった。それでも私がまだ小さかった頃には、父でなければならない台所仕事の一つや二つはあった。
 川で捕ってきた鰻をさばくのもそんな仕事の一つで、母には絶対手を出させなかった。素手ではなかなか掴むことのできない鰻をカボチャの葉の裏側で包んで握り締めると、まな板の上に思い切り打ち付ける。鰻がショックでのびてしまったところに、すかさず頭にキリを刺し固定させる。
 包丁の先を鉛筆で字を書く時のように握り、左手でカボチャの葉を被せた鰻を押さえつけながらゆっくりと用心深く背中から開いていく。骨と身を切り離すときに、黒い鰻の中の透き通った白い身に血が針の先ほどにじみ出て、それでも鰻は逃げようと身をくねらせる。子供心にも、命の力強さを見たような気がした。
 家族の笑顔と大げさなくらい真剣な父の顔が、七輪から立ちのぼる煙の向こうに見え隠れする。戻りたくても戻れない、懐かしいあの時代。
 「カボチャ葉の裏側のある小さなとげが、滑り止めの役目をするのよ」と、あの時はまだ家族の一員だった叔母から教わったのは、つい最近のことだった。


童話書きました

2018-07-20 22:04:42 | 日記
 苦うりと狐

 これはお婆ちゃんが子どもの時のお話です。
山の中の小さな村に、お椀を伏せたような丸い形の山がありました。女の子の家はこの山の麓にありました。お父さんとお母さん、お祖父さんや三人の姉さんたち。女の子は大勢の家族と毎日、賑やかに暮らしていました。  
一方山の中腹のブナの木の下には、狐の巣穴がありました。巣穴には子狐のギンが、お母さん狐と一緒に棲んでいました。一緒に遊ぶ友達や姉弟もいないギンは、時々女の子の家にやって来てはいたずらをしました。
 カゴの中の甘柿を渋柿とすり替えたり、後で食べようと思って残しておいた卵焼きを食べてしまったり。いたずらと言っても他愛の無いものでした。でもそのいたずらの被害にあうのは、決まって女の子でした。女の子はギンを懲らしめるいい手立ては無いものかと、いつも思っていました。
 今日も学校から帰ると、庭で飼っている雄鶏に追いかけられました。きっとギンが雄鶏をけしかけたのに違いありません。こんな時に限って家には誰も居ません。畑の中を逃げ回りもう少しで突かれそうになった時、お祖父さんが帰って来て助けてくれました。お祖父さんは泣いている女の子に、ビスケットをそっと渡してくれました。女の子は嬉しくなってすぐに泣き止みました。
  女の子がビスケットを食べていると、田んぼからお母さんが帰って来ました。お母さんは畑でキュウリの種を撒き直しています。女の子が畑の中を逃げている時に、出たばかりのキュウリの芽を踏んでしまったのです。  
 女の子はお母さんのお手伝いをしようと思ったのですが、食べかけのビスケットが気になります。そのまま残しておくと、ギンにまた食べられてしまうかもしれません。女の子は大急ぎで残りのビスケットを食べてしまうと、畑に走って行きました。
 女の子がキュウリの種を畑に蒔こうとしたら、急にしゃっくりが出てきました。しゃっくりがどうしても止まらず困っている女の子に、お母さんが笑いながら言いました。
「慌てて物を食べたりするからよ。井戸に行って水を飲んでごらん」
 水を飲むと本当にしゃっくりが止りました。
「良かった、苦うりの芽が無事で」
 畑の隅で苦うりの芽を見つけたお母さんが、嬉しそうに言いました。苦うりとはその名の通り苦い味のするうりのことです。女の子はこの苦うりが嫌いだったので、そっちの芽の方を踏めばよかったと思ました。
 
 梅雨明け間近の夕暮れ時でした。
「明日は『おらんだ』にしよう」
 お母さんが初なりの苦うりを見て言いました。女の子はおらんだが嫌いだったので、「嫌だなぁ」と思いました。おらんだとは苦うりとナスとで作る料理のことで、女の子の住んでいる地方では、夏になるとどこの家庭でも食べます。 
 作り方は簡単で、苦うりとナスを油で炒めて味噌で味をつけます。その上に水で溶いた小麦粉でとろみをつけて出来上がりです。苦うりを入れるからなすまで苦くなってしまいます。お母さんは苦い所が美味しいと言うのですが、女の子は苦いから嫌いです。
「苦うりなんか植えなければいいのに」
 畑の苦うりを見て、女の子は思いました。でもその時鶏小屋の陰で、黄色い尻尾がチラリと揺れたのが見えました。女の子はいいことを思いつきました。
「明日はおらんだだ。嬉しいなぁ」
 女の子は苦うりを見ながら大声で言うと、スキップをして家に帰りました。
 次の朝早く女の子は畑に行ってみました。畑には狐の歯型の付いた苦うりが転がっていました。苦うりをひと口噛んだギンが、あまりの苦さに驚いて逃げて行ったのでしょう。小さな狐の足跡が無数に残っていました。
 
 あれから永い歳月が経ちました。女の子もとんと年を取り、お婆ちゃんになりした。あれほど嫌いだったおらんだも、いつの間にか大好物になっていました。苦うりは今ではゴーヤと呼ばれるようになりました。沖縄料理のゴーヤチャンプルーはすっかり有名になりましたが、おらんだの方はあまり有名になりませんでした。けれども女の子の住む地域では相変わらず食べられています。そして大人は大好きですなのですが、子供皆嫌がります。
 それに比べ世の中は大きく変わってしまいました。近頃では鹿や猪が田畑を荒し、狐はまったく見かけなくなりました。若い人たちは町で暮らし、子供たちの姿もみかけなくなりました。子供がいなくては狐もいたずらができなくて、寂しいのではないでしょうか。
 雨上がりの畑では苦うりの実が大きく育っていました。お婆ちゃんは不意にギンのこと思い出しました。ギンも年を取って苦うりが好きになったことでしょう。
 その時です、倉庫の陰で黄色い尻尾がチラリと揺れたのが見えました。
「明日はおらんだ、うれいな」
 お婆ちゃんは嬉しそうに言いました。

伝えたい母の味

2018-07-19 23:24:45 | 日記
母が突然の脳出血で他界してから、今年で十三年になる。母が亡くなった当初、私は自分の不注意で母を死なせた気がして自分を責める毎日だった。そんな私を慰めてくれたのは、母が生前慈しみ遺していった野菜であった。昔から家に伝わる野菜はいずれも深い味わいと美しい姿をしている。
 その中の一つにふだん草がある。黄色みの強い艶のある緑色は、見る者を優しく包み込み元気にしてくれる。冬の間は少しも大きくならないで葉も固いままなのに、冬野菜が終わり夏野菜の出来る間の端境期になると、グングンと柔らかな葉を次々と出してくる。
 やがて次の季節の野菜の収穫が始まると、自らの役割を察知したように、真ん中から芯を出し次の年に命をつなぐために花を咲かせる。母の残したふだん草はそんな野菜である。
 しかしこの野菜、口に入れるとちょっと泥臭さがあるのが玉に瑕だ。ところが同時期に出て来る筍との相性が抜群で、一緒に油で炒めて味噌煮にするとおいしい。味噌がふだん草の泥臭さや筍のえぐ味を消してくれる。母に教わった知恵である。
 他にもモクズガニと高菜で作る「蟹汁(ガンじる)」は絶品である。両者の相性もさることながら、食べる時期の目安にもなる。すなわち高菜の美味しい冬から春にかけてが、モクズガニの美味しい時期とかさなるのだ。だからその時期以外にはカニを絶対に捕ってはいけないと教わった。
 また盛夏のこの時期に食べる郷土料理の「おらんだ」はニガウリとナスを油で炒め味噌で味をつける。最後にドロドロに溶いた小麦粉を流し込んでとろみをつけるという、ちょっと変わった料理だ。ゴーヤに比べると細長くて苦みの強いニガウリは、長ナスと油との相性が抜群で、夏に食べたくなる一品である。子供の時には嫌いだったけど、おばさんになると好きになる。見た目も料理方法もとても変わった、なんとも変な料理である。
 しかしいずれの料理も懐かしく、季節の食材を生かした「伝えたい母の味」である。

おらんだの作り方
材料 ゴーヤ    大1本
   長ナス    大1本
   油      やや多め
   味噌     適当
   A水又はだし コップ1
   小麦粉    大さじ4適当
   だしの素   だし汁を使う場合不要
   B水又はだし汁 コップ1
作り方
①ナスは所々皮をむき、味噌汁の具の大きさくらいに切り、水にさらしておく。
②ゴーヤは縦半分に切り種を出し、5㎜くらいの厚さに切る。
③フライパンに油を熱し強火で①②を炒め合わせ、Aの水を入れ味噌を入れてナスに火が通るまで煮る。(水の場合はだしの素もいれる。味噌はこんな味噌汁辛くて飲めないくらいの濃さにする)
④ボールに小麦粉と水を入れて、泡だて器でかき混ぜる。小麦粉がダマになるくらいのおおらかさでまぜる。このダマがおいしい)
⑤③に④を流し込み手早くかき混ぜ、とろみがついたら出来上がり。あつあつ美味しい。冷えても美味しい。
若い頃はこのいい加減な料理方法が許せなかった。