草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

猫に心配されない程度に

2019-01-31 14:49:17 | 猫自慢
猫に心配されない程度に

冬だからと言って毎日が寒い訳ではない。暖かな日もあれば寒い日もある。それでも一旦コタツの味を覚えると、もう外には出たくなくなる。すうっかりコタツの国の住人になってしまった。

コタツと言っての小さな電気コタツなので、長い間入っていると窮屈で仕方ない。それでも入っているのだから、これはもう根が生えたと言っていい状態なのだろう。あっちに向いたりこっちに向いたり。最後は寝っ転がって、いつの間にかウトウトしてしまう。

 まあこれがコタツの醍醐味だろうが、しかしいつまでもこれでは困る。気分転換にセリでも摘みに行くかと思い立った。「よし」と声をかけコタツから出ようとして足をぐいと動かした。とたんに「ギャオー」を声がして、猫が私の足に爪をたてて噛みついた。

 しまった猫のハナコを蹴ってしまった。「ごめん、ごめん」と謝ったが、ハナコは怒って外に飛び出していった。まあハナコもコタツの国の王様みたいになっていたので、たまには外の空気を吸うのもよかろう。そう思って、私はそのままセリ摘みに出かけた。

 思えば正月からこっち大して外に出てはいなかった。長靴を履き手にはバケツと草とり鎌を持って、近所の杉林に脇や耕作を放棄された田んぼの畦道などを、散歩がてらに歩いて回った。しかしなん気持ちのいいことか。

 散歩も良いものだと思った。カメラや双眼鏡、植物や鳥の図鑑など持って行くと、もっと楽しいかも知れない。しかし散歩は散歩で、シャカリキになって歩くウォーキングではない。一昨年に猪よけの網に引っかかって足を骨折して以来、左の足に爆弾を抱えてしまった。無理はいけない。歩数や時間なども決めずに緩くいこう。 
 
 散歩のことばかり考えていたので、肝心のセリは少ししか摘めていない。せっかく来たのだかと、今度はセリ摘みに勢を出した。少し欲張り過ぎたのか、気がつくと日が西の山に傾き始めていた。
 
 急に寒くなり慌てて家に帰ると、庭先にハナコがいた。「遅い」とでも言いたげに、ひと声鳴いてそっぽを向いてしまった。あれからずっと私を待っていたのだろうか。寒くは無かったのだろうか。セリの入ったバケツとハナコを抱いて家に入った。
 
 耳もとでゴロゴロとハナコの喉を鳴らす音を聞きながら、散歩もいいけど猫に心配をかけないようにしようと思った。
 
 今夜はセリご飯。炊き立ての白いご飯に混ぜ込んだ、セリが食欲をそそる。噛みしめると口の中に春が広がった。
 


昨日のニュース

2019-01-29 11:03:10 | 日記
昨日のニュース

 夕方テレビのニュースを見ていたら、「大型ペット キリン値上げ」なんて文字がテレビの画面に大写しされました。

 驚いた。キリンが値上されるなんて。そもそもキリンなんてペットショップで売っているのだろうか。値上げがテレビで報道されるくらいに、キリンは売れているにだろうか。どんな人が買うのだろうか。いや待て、大型ペットだからサイやカバも値上げされるのだろうか。いったい定価はいくらなのだろうか。まあ、今回の値上げは私には関係ないな。キリンやサイは買わないから。
 
 等々テレビの画面に大型ペットボトルが写し出されるまでの短時間、それだけの事を考えてしまいました。
 
 今朝読んだ、ある方のブログには「大型ペット キリン値上げ」はYahoo!ニュースで見たと書いてありました。
 
 誰が考えたのだろうか、素晴らしい。私的には大阪なおみ選手や嵐のニュースよりも、よほどインパクトがありました。
 

草むしりの「幼年時代」その9

2019-01-28 13:53:30 | 草むしりの幼年時代
蜂蜜

 霜焼け体質ってあるのだろうか。同じ姉妹でも姉は何とも無かったのに、私は冬になると手は霜焼けができ、唇もカサカサになって困っていた。手の霜焼けは手袋をすると治っていたが、唇の方はそうはいかない。

 最初カサカサになった唇が、すぐに口紅を塗ったように真っ赤になってざらざらに乾いてくる。舌で舐めるとその時はいいのだが、すぐにもっとざらざらになる。しまいにはぷっくりと腫れて、唇が切れて血が噴き出していた。

 そんな時は決まって父がハチミツを唇に塗ってくれた。舐めたらダメだよと言われたのに、甘いのですぐに舐めてしまう。何度も塗っては舐め、塗っては舐めを繰り返しているうちに、荒れた唇はもとに戻っていた。

 今みたいにリップクリームの無い時代だった。蜂蜜を塗ってくれるのは、決まって父だった。蜂蜜の入った瓶を持って、務めから帰ってきた父の姿を思い出す。
 
 残った蜂蜜は台所の棚の上にしまっていたが、誰もいない間にこっそり舐めていた。舐めたのが分からないように少しずつ舐めていたのだが、ビンの中の蜂蜜はすぐに無くなった。当時は舐めているのは自分だけだと思っていたが、今考えると他の人も舐めていたような気がする。

 子どもの頃の懐かしい思い出である。



ようこそ天使さん

2019-01-26 21:46:55 | 日記
ようこそ天使さん

目の前に天使が現れた。
小さなお手々を、開いたり握ったり。
ご機嫌だね。
2019年1月24日天使誕生
何時間でも見ていたいけど
ママが疲れるから帰ろうって言うのだけど
お祖父ちゃんがなかなか帰らない。
ずっと見ていたいンだって。
新米のパパとママ。
新米の祖父ちゃんと婆ちゃん。
どうしていいか分からずに、寝顔をじっと見ているだけ。
天使だね、キミは。
ほらね、皆がニコニコしている。
見ているだけで皆が幸せになったよ。
ようこそ天使さん。
背中の羽と頭の輪っかは、ママのお腹に置いて来たの。

草むしりの「幼年時代」その8

2019-01-23 14:42:04 | 草むしりの幼年時代
山茶花 

 私が子供の頃、家の裏庭にはたんぽと呼ばれる、きれいな水溜めの池があった。そこに竹で作った樋(とい)をかけて、谷川の水を引き入れていた。その頃はすでに井戸にポンプを取り付けた水道はあったが、よく日照りになると井戸の水がかれて、お風呂にはたんぽの水をバケツで汲み入れていた。
 
 たぶん井戸の水がかれたかポンプが故障したかだったのだろう。バケツでたんぽの水を汲んで風呂入れたことがあった。私は子供の頃から部屋の掃除や後片づけは苦手だったが、風呂を沸かしたり薪を割ったりするのが好きな子供だった。その日も喜んで水汲みをした。

 たんぽと風呂の間には白い花の咲く山茶花の木があり、この木の下を何度も通ったのを覚えている。それから少ししてあちこちが痒くなり、体全体が腫れたように真っ赤になってしまった。すぐに病院に行って注射を打って事なき得たが、後にも先にもあんな痒い思いはしたことがなかった。
 
 翌朝起きてみると、父親が山茶花の木を切っていた。なんでも毛虫がいっぱいついていて、私はこれに刺されたのだと言うのだ。山茶花の木は日陰にあり、花は少ししか咲かせなかった。しかしその楚々とした白い花が私は好きだった。けれども母は辛気臭いと言って、この木を嫌っていた。

 今では山茶花の植わっていた辺りには椿の木が植わっており、毎年たくさんの赤い花を咲かせる。きっと母がその後に植えたのだろう。私は今でも薪で風呂を沸かしているが、たんぽの竹樋は無くなり、井戸水はボーリングしたのでかれることが無くなった。