草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

草むしりの「マンハッタン」

2018-08-30 16:31:44 | 日記
 買い物に行って菓子パン等を見ると、どうしても食べたくなってしまう。だから極力見ないようにしている。ところがその日はどうゆうわけか菓子パンに目がいき、棚の上にそれを見つけた時には思わず笑ってしまった。
 そこで見つけたのは「マンハッタン」という名前の菓子パンだった。笑ったのは向田邦子の短編集『思い出トランプ』の中の「マンハッタン」の主人公を思い出しまったからだ。
 主人公の失業男よろしく、「マンハッタン」の文字を見たとたんにスイッチが入った。「マンハッタン、マンハッタン」と頭の中で連呼しながら、買い物カゴの中に入れてしまった。。
 早速家に帰って食べてみた。パンのようでド―ナッツのようで、美味しい。私はこの独特の虜になり、気が付くと一袋に6個入ったパンを一人で全部食べてしまっていた。情けない。還暦はとうに過ぎたのに。子供の頃には大人は菓子など食べないものだと思っていたのに、何だこの有様は……。
 後はお決まりのコースだ。「あれが無い」「これが切れそうだ」と理由をこじつけてはスーパーに買い物に行き、ついでに「マンハッタン」を買う。「マンハッタン、マンハッタン」あれからずっとスイッチがオンの状態だ。
 けれどその日は菓子パンを横目で睨みながら納豆売り場に走って行った。好きでもない納豆だが、薬だと思って毎日食べている。鯖缶だってトマトだってオクラだって、体にいいと言われるものはけっこう食べて努力しているつもりだ。もうじき住民健診だ。このままでは日ごろの努力が無駄になる。
 結果はやはり良いにこしたことはない。しばらくはスイッチをオフのままにしておこう。

トマトブームに思う  

2018-08-22 14:03:47 | 日記
 昨日テレビで血管を丈夫にするのはトマトがいいと言っていた。なんでもトマトに含まれるリコピンという栄養素がいいらしい。
「私は毎朝トマトを食べています」と番組の中で林先生が力説していた。なんでも林先生は毎朝トマト3個とチーズとオリーブオイルを一緒に食べているそうだ。
 出演していた医者に言わせるとその食べ方は理想的だそうだ。リコピンの吸収は朝が一番優れているそうだ。その上ニンニク、タマネギなどのユリ科の野菜と一緒に油で炒めると、もっとよく吸収されるそうだ。
 林先生とはテレビでよく見かけるカリスマ講師の林先生のことで、あの先生が口をちょっと尖らせて言うと、明日からトマトを食べなくてはと思ってしまう。林先生のことはさて置き、近ごろトマトがいいってやたらテレビでやたら言っている。また明日からトマトがよく売れるようになるだろう。
 畑の横に作った私の小さな野菜の無人販売所も、こういうテレビの影響を受ける。ぶっちゃけて言えば、トマトはよく売れるがオクラが売れ残るのだ。数年前オクラのネバネバが健康にいいと、テレビで取り上げられた時があった。その時はオクラが驚くほど売れたのに、今年はさっぱりだ。
 別に林先生に文句を言うつもりはないが、「オクラは健康にいいですよ。僕は毎朝食べています」なんて口を少し尖らせて言ってくれたらいいのになぁと、大量に余ったオクラを食べながら思うのだった。



猫と蔵にまつわる話2つ

2018-08-21 16:26:06 | 猫自慢
猫と話した朝 
 ハナコは腹から脚に掛けて真っ白で、背中ら長い尻尾に掛けては、少し緑がかった灰色と黒の縞模様のある美しい猫である。時折光の加減で縞模様が銀色に光って見えるのは、飼い主の欲目だろうか。
 そんなハナコがいないと気づいたのは、夕食の支度中だった。いつもは好物の煮干しをねだって、足元にまつわりついてくるのに。心辺りを探したが見つからない。時々はそんなこともあるので、特に心配はしなかった。
 ところが朝になっても帰って来ない。慌てて捜したが見つからない。蔵の前に時折見かける猫がいる。こちらは煮しめのような色をした縞模様だ。
 「ハナ知らん?」思わず声をかけてみたら、漆喰の引き戸の前で「ニャーニャー」と泣き出した。重い戸を引いた途端に、ほこりだらけのハナコが飛び出してきた。抱き上げて頬ずりすると、ゴロゴロと喉を鳴らす音と土ぼこりのにおいがした。
 それにしても猫と話した不思議でハッピーな朝だった。
 
2010.4月新聞投稿
 
猫を怒らせた日
 床下の芋釜の掃除をしているところを、猫のハナコにみられると少し厄介だ。とにかく好奇心旺盛で、私が何か始めるとすぐにやって来て邪魔をする。だから今日は邪魔されないように、蔵の中に閉じ込めている。
 芋釜とはサツマイモの貯蔵庫のことで、大人の背丈ほどの深さで、畳一枚半ほどの広さの穴だ。もみ殻を入れて冬の間芋を貯蔵しておく。毎年サツマイモの収穫前にもみ殻の入れ替えをする。けっこう大変な作業であるが、ここで貯蔵した芋の美味しさに比べれば、たいしたことではない。けれども時間のかかる作業でもある。
 中に芋を入れるころには寒さも増してくる。その頃には猫にこたつを出してやらねば……。猫のことを思い出した時には、もう薄暗くなっていた。大慌てで蔵の戸を開けると飛び出してきたのだが、そのまま走って庭石の上に飛び乗り、そっぽを向いて毛繕いを始めた。
 かなり怒っているようだ。今夜は好物の煮干しを一匹多くやって、ご機嫌を取らなければ。

2012.10月新聞投稿


台風と猫の思い出2つ

2018-08-15 21:24:18 | 猫自慢

台風
 台風の余波だろうか。明け方から降り始めた雨は次第に雨脚が強くなり、すぐに本降りになった。その日私は雨の中、車を走らせていた。せわしげに往復するワイパーは、フロントガラス越しに交換の時期を教えていた。
 突然前を走っていた車がスピードを落とし、何かをよけるように大きく曲がってそのまま走り去った。ハッとしたと同時に感じた嫌な予感は的中し、見たくもないものを見てしまった。雨の中道路に倒れていたのは二匹の子猫だった。しかも一匹はまだ生きていた。
 見なかったことにして通り過ぎ、帰りは違う道を帰ろうと思っていたのに。気が付くと通り慣れた道を走っていた。目は自然と生きていた子猫の方に向いた。「もう死んでいる」と思った時に子猫が頭を上げた。それでも知らん顔して通り過ぎたのだが、家に帰るとすぐに車をUターンさせた。
 子猫はその日ずっと眠ったままだったが、翌日目をさましてかすれた声で鳴いた。運の強い猫だと思ってラッキーと名付けた。
 ところが収まらないのは前から我が家にいた猫のハナコだ。子猫だから仲良くなれるだろうと思った、私の考えが甘かった。ハナコの怒ること怒ること。以来台風はずっと我が家に停滞したままだ。
 2013年11月

ラッキーや 
 明け方ラッキーの夢を見て目が覚めた。ラッキーを拾ったのは昨年の台風の日だった。雨に打たれて道路のアスファルトの上に、へばり付くように倒れていた。そして今年、盆前の台風の日に突然姿が見えなくなった。台風が去年の忘れ物を取りに来たのだろうか。
 翌日ご近所の方が首輪を拾って届けてくれた。慌てて落ちていた所に探しに行くと、近くの藪の中に網が落ちていた。それは去年私が田圃に張った網だった。しまい忘れていた物を、鹿が角にでも引っかけて運んだのだろうか。ラッキーはこれを私に教えたくて、首輪を落として行ったような気がする。
 夢の中のラッキーはどこかの優しいご夫婦に拾われていた。とても元気で前脚の縞模様が美しく、尻尾がフワフワとしていた。私が抱くと「ああ、お母さん」と鳴いた。「一緒に帰ろう」と言うと、腕の中をすり抜けて走ってどこかに行ってしまった。
 さようならラッキー。もう帰ってこないんだね。寂しかったけれど少し安心した。
 「立ち別れ 因幡の山の 峰に生うる まつとし聞かば 今帰り来む」戸口に張った猫の帰って来るおまじないを書いた紙が、いつの間にか剥がれていた。
2014年12月


お盆の掟

2018-08-12 21:27:28 | 草むしりの幼年時代
 真竹を切ってきてお墓の花立てを作るのは、そのころまだ同居していた叔父の仕事だった。
 残った竹を1センチくらいの輪切りにし、半分に割った竹を土台にして、真ん中に鉛筆の太さくらいに削った竹を立てた。叔父の作った「わなげ」はそのまま私の夏休みの工作になって、展覧会では金色の紙が貼られた。ちょっと後ろめたい思い出である。
 お盆の十三日にはその花立てを持って、一家でお墓に仏さまを迎えに行く。ずらりと並んだ墓石の両脇に花立てを立てて、柴を活ける。夕暮れの苔むした墓石に花立てや柴の瑞々しい緑色が映え、線香の白い煙が漂っていた。
 両手を合わせてお参りをして帰路につく。さて、これからが正念場だ。転ばないように坂道を下っていく。両手を後ろ手に組んで、背中にご先祖様を背負ったもりになって、まじめに歩く。それは「お盆の掟」だった。もし転んでしまったら、背中のご先祖様が驚いて墓に帰ってしまうのだ。そうしたら今度は一人でお墓に戻り、ご先祖様を連れてこなければならないのだ。どんなに泣き叫ぼうとも親は助けてはくれない。薄暗くなった墓地に一人で行って、ご先祖様を連れてこなければならないのだ。
 家に帰えるとまず仏壇の前に行き、背中の仏さまを下ろす真似をする。それから家族全員で仏壇に手をあわせるとホッとしていた。まさに肩の荷を下したように。
 お墓で転ぶと危ないので、大人が言い出したことなのだろうか。前に「そんな事聞いたことがない」言われたことがあるから、私が生まれた地方での言い伝えとは言い切れない。しかし私の父方と母方、両方の親戚の子供は皆この掟を守ってきた。あるお姉さんは本当に転んで、一人でお墓まで戻ったそうだ。
 そんな人が本当にいるのかと思ったが、あの人ならやりかねないとも思った。いい人なのだけど、親戚の中では群を抜いてそそっかしい。まるでサザエさんみたいな人だ。今でも時折法事などで会うのだが、やっぱり今でもそそっかしい。